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アインシュタインの公式 E=mc2 の証明

 この公式は極めて重要なので、アインシュタインは繰り返し証明しています。
 この公式の証明は特殊相対性理論に基づいています。そのため別稿「アインシュタインの特殊相対性理論(1905年)」の知識が必要です。そちらをご理解の上でこの稿をお読み下さい。

1.証明1(1905年9月論文)

 Einsteinの公式 E=mc2 の証明の内で、最も有名なのが、1905年9月に発表されたものです。
 アインシュタインは先の6月論文でこの公式に繋がるヒントをつかんでいるのですが、その時点ではまだ気付いていません。しかし、そのすぐ後に事の重大性に気付き、9月に追加の論文を発表します。
 この証明は難解ですが、この公式が相対性理論に基づいていることが良く解る、とてもエレガントな証明です。
 
 訳文は参考文献1.から引用した。ただし、別稿「アインシュタインの特殊相対性原理(1905年)」との繋がりを考慮して、文中の光速度Vに、エネルギー**に、また(ξ、η、ζ)(x’,y’,z’)に置きかえています。

原論文は右記URLよりダウンロード可 http://wikilivres.ca/wiki/Albert_Einstein




補足説明1
 上記の式は1905年6月論文の第U部§8で与えられている。そこの議論を復習すると、下図の様にK系に静止している物体が放射したエネルギーである場合、k系(以後はK’系と呼ぶ)から見ると、その同じ物体がエネルギー*を放射したことになる。

 このように、相対性理論では輻射(光)が持つエネルギーは“ローレンツ変換”に対して不変ではないのです。なぜそんなことになるのかというと、光の速度がどのような慣性座標系で見ても同じであるとしたからです。別稿の[補足説明5]をよくよく吟味されたし。
 以下の議論ではこの事を用いますので、公式 E=mc2 は相対性理論によって初めて予言できることであることがお解りになると思います。






補足説明2
 ここで言っていることは極めて解りにくいので補足する。
 まず注意して欲しい事は、1905年6月論文で証明したように、同じ物体の持つエネルギーでも、K系で見た場合とK’系(k系)で見た場合で異なることです。つまり0≠H0であり1≠H1です。そのとき、さらに同じ物体から同じように放出された輻射のエネルギーであっても、K系で見た場合とK’系で見た場合で異なる
 このように全て異なっているのですが、“エネルギー保存則”が相対論的に成り立つ(つまりローレンツ変換に対して不変)ならば、それぞれの系で見たエネルギーに関して(A)式(B)式が成り立たねばならないと言っている。
 
 このとき、更に以下のことに注意してください。静止系Kにおいて静止している物体は輻射を放射する前に静止しており、輻射を放射後も静止状態を続けます。なぜなら輻射は真反対方向に同じエネルギー量で放射されるとしているからです。
 そのときK’系における物体は輻射を放射する前からすでに動いています。つまりK系に対するK’系(k系)の移動速度の反対符号を持つ速度−vで動き、運動エネルギーK0を持っています。また、輻射を放射後もその物体は−vの速度での運動を続けます。なぜならK系で見たその物体は輻射を放射後も静止し続けているのですから、K’系で見たときの物体は輻射を放射する前と同じ速度で動いているはずです
 このとき注意して欲しいことは、そのとき物体が持つ運動エネルギーが輻射を放射する前と同じとは限りません。それは後で解ることですが、その物体の動き方は同じかもしれないがその質量が変化しているかもしれないからです。だからアインシュタインはそのときの運動エネルギーを0とは違った1と書いているのです。
 つまり、K’系における物体の輻射を放出する前後での物体の運動エネルギーK0とK1は異なっています。そのとき、物体から放射されるエネルギーもK系とK’系で異なっていた事を忘れないで下さい。
 
 更に補足すしますと、後の3章で証明するように、光線塊も[エネルギー]、[運動量]、[質量]を持っている。そのとき反対方向に放射された光線塊の運動量を加え合わせると、その光線塊質量の重心は輻射(光)を放射した元の物体が持っていたのと同じ速度−vで同じ方向に移動し続けることが解ります[証明は以下に記載]。K’系において反対方向に放射された二つの輻射(光)の塊のエネルギーが異なるのに、K’系における最初の物体の速度が輻射の放出後も変化しないのはその為です。この事は放射された輻射と質量変化をした物体の運動量の和が、輻射が起こる前の物体の運動量と同じに保存される事を表しています。
 Einsteinは、9月論文の証明を進めるとき下記の確認計算を当然したでしょう。






 光線塊がE/cの運動量を持つことはそれまでに知られていましたから、運動量をその移動速度cで割ればそれが質量だと言うことは当然予測されます。おそらく彼は、光線塊がE/2の質量を持つとして確認計算をしたでしょうが、このような整合性が成り立つ事にアインシュタインは真に驚いたに違いない。
 そのとき、この確認計算を逆にたどってそのことが証明できるかと言うと、そうはいきません。例えば質量がE/3やE/4であっても重心位置の移動は導けるからです。つまり、この段階ではそのことはまだ証明されていないのです。第1章におけるE=mc2の証明に、輻射の質量がE/2になることを用いていないことに注意して下さい。
 すなわち、この段階では輻射はエネルギーを持ち去るが、その輻射自身が質量を持つかどうかはまだ解りません。この9月論文の証明を発表した後、それを直接証明する方法はないか色々考える内に1906年5月論文の証明法を思いついて翌年5月に発表したのでしょう。
 だから、K’系における物体の速度が輻射放射後も同じであることは、静止系Kで物体が輻射放射後も静止続けていることから、言えることです。
 上記の“輻射の質量”に付いて更に補足します。Einsteinはこの論文を書いているとき、友人のハビヒト宛に手紙を書いています。その中で、“光は質量を持つ”とハッキリ書いていますので、Einsteinはこの段階で、光が質量を持つ事を確信していたようです。このことに付いては別稿Pais7章のp189の[補足説明1]をご覧下さい。 
 
 
 K系における物体は輻射の放射によってエネルギーは変化するかもしれないが、“運動エネルギー”は変化していないのです。なぜなら、物体の輻射を放射する前も、後も静止しているのですから。ただし、そのとき物体の質量は変化しているかもしれません。
 一方、K’系における物体は輻射の放射によってその“
運動エネルギー”を変化させているはずです。そのとき“速度”は輻射の放射の前後で変化していないのだから、変わっているのは“質量”で、それが変化することによって運動エネルギーを変化させているのです。

 その変化した状態で持つ運動エネルギーが1です。上記の(C)式(D)式はその事情を表している。
 
 これら、(A)〜(D)式を考慮すると

が成り立つ。これが次の文節で示している式です。

補足説明3
 Einsteinが、1905年6月論文第U部§10ですでに証明しているように、可秤質量(普通の物体のこと)の運動エネルギーK(そこではで表されている)は

で表せた。ここで注意して欲しいことは運動エネルギーは[質量][速度の二乗]の積に関係したのです。だから速度が同じでも質量が異なれば運動エネルギーも異なります。そのことを考慮するとK’系での運動エネルギー変化は、速度に変化は無いのですから

となる。
 この式と前記の式を比較すれば直ちに

が得られる。L は物体(可秤質量)が放出した光束塊の(K系において測定した)エネルギー値です。
 K’系において速度vで運動していた物質が、輻射を放射した後に同じ速度vで運動しているのですが質量が変化している。ここのΔμは、その“質量”の変化量を意味しています。つまり、次の文節で述べているようにK’系の物体の質量は、光束塊を放射する前と後でΔμ=L/2だけ減少している。
 ここで、L/2μではなくてΔμであることに注意して下さい。

補足説明4
 前後の文章の繋がりから明らかなように、上記青波線アンダーラインの部分は、K’系での可秤質量について輻射放出後の質量減少量を言っており、K系での質量変化ではありません。ところが、実際のK’系での輻射エネルギーの放出量はではないのですから、K’系における輻射放出後の厳密な質量減少量はL/2 ではなくて

となります。だからだから青波線アンダーラインの部分の記述は(v/c)の2次以上(前に1/c2がかかっている事を考慮すると4次以上というべきもしれません)の項を省略した近似的な話です。実際そうして求めた関係式だったのですから。本文中の“4次およぴそれより高次の量を無視して”はそのことを意味します。
 
 もちろん、K系における輻射放出前後の質量減少量は厳密にL/2となります。
 
 更に補足すると、K’系における質量の減少量とK系における質量の減少量の差は、まさに最初に述べたK’系において放射される輻射エネルギーとK系において放射される輻射エネルギーの差を2で割った値に一致しています。
 そのことは簡単に確かめられます。すなわち


となります。
 つまり、おおざっぱに言えばK’系に於いては、K系でのエネルギーの違いΔμ・c2に加えて、更にΔμ・v2/2の違いがあると言うことです。このときΔμ・v2/2は運動エネルギーの変化量であって、運動エネルギーμ・v2/2そのものではないことに注意されたし。
 
 このように原子や原子核が光を放射してその[内部結合エネルギー状態]が変わると、その質量が変化することは、その後の原子物理学の多くの実験で確かめられた。
 特に、本文中で述べている“とくに輻射のエネルギーに移行するということは,明らかに本質的なことではないから”という注意書きは、[内部結合エネルギー状態]のエネルギーがどの様な形態で抜き取られるかには関係無くて、とにかく物体(可秤質量)の持っているエネルギー状態が変化すれば、その質量の変化に現れる事を強調している。ここは[補足説明7]でもう一度説明します。

補足説明5
 ここの論理は非常に解りにくいが、アインシュタインが赤波線二重アンダーラインの部分で注意しているように、相対性理論が正しく、エネルギー保存則が相対性理論に於いても成り立つなら、E=mc2でなければならない。
 物質世界について相対性理論が予言する多くの事柄の中で、この予言ほど驚かされるものは在りません。ここではまだ証明されていませんが、後で説明するようにこれは物質(可秤質量)以外の電磁場の様な場のエネルギーについても成り立ちます。
 
 くどい様ですが、どこが相対性理論に依存しているのかもう一度確認しておきます。
 [補足説明1〜4]で説明したように、K’系で見た運動エネルギーの変化量が、放射される輻射のエネルギーをK系で見た場合とK’系で見た場合の違いに一致することから、エネルギーと質量の関係を導いたのでした。
 そのとき相対性理論からK’系の物体の速度は輻射放出の前後で変わっていないのだから運動エネルギーが変化するのは質量が変化するからとしてエネルギーと質量の関係を求めた。
 所で、輻射エネルギーがK系で見た場合と、K’系で見た場合で異なるのは、あらゆる慣性系において、光速度は一定であると言う“光速不変の原理”を要請した為に生じたことでした。
常識ではとうてい納得できないこの原理に相対性理論の本質の全てが有るのですから、この公式E=mc2が相対性理論によって初めて導けるものであることはお解りでしょう。 

補足説明6
 その様に考えれば、1905年6月論文第U部§10で証明された関係式は

を表している。つまり可秤質量に力を加えて運動エネルギーを与えると、物体の“質量”はその“エネルギー分を2で割った量”だけ増大する。ここは、Sommerfeld「力学」§4の説明も参照されたし。

補足説明7
 アインシュタインが文中で強調しているように、物体のエネルギー状態が変われば質量が変わるのは、あらゆるエネルギー形態の変化に対して言えます。
 例えば、物体が熱せられて[熱エネルギー]を持つ(つまり原子的な振動エネルギーを持つ)場合、あるいは化学反応にともなう化学結合力や核子間の核力に伴う[結合エネルギー]が変化する場合も質量が変化します。もちろん、止まった状態から動いている状態になって[運動エネルギー]を持つとそのエネルギー分だけ質量が増大します。そして、もちろんその質量変化は“慣性(つまり力を加えたときの動きにくさ)”に影響するし、“重力”にも関係する。
 おそらく、アインシュタインは、この事が示す重大性に驚いたに違いない。だからすぐに追加の論文を9月に書いた。
 
 ここでもう一つ補足しておきます。
 前記の文章は、K系で放射される輻射は、エネルギーLから計算されるL/2の質量を伴って飛び去ったことを予測させますが、その事の証明はまだこの段階では成されていません。アインシュタインの説明文を注意深く読んで下さい。アインシュタインはそのことに関しては、まだ何も言っていないことが解ります。
 輻射が質量を持つことの証明は1906年5月になって初めて達成されます。そのことは第3章で説明しますが、そこで解るように輻射エネルギーも慣性質量を持ちます。すなわち、物体(可秤量質量)も輻射(光)も全て含めて初めて質量保存則(エネルギー保存則といっても良い)が成り立ちます。

補足説明8
 最後の式 L/9×1020 は、MKS単位系で表した光速度=3×108m/sはCGS単位で=3×1010cm/sであることを考慮すれば明らかです。すなわち

補足説明9
 最後の文節について補足する。
 アインシュタインは、新しい事実を報告するとき、必ずそれを確かめるための実験・観察の方法を提案している。ここに書かれている、放射性物質が極めて強大なエネルギーを秘めている事が解ったのはまさにこの時代です。
 実際、ラザフォードとソディが、放射性物質(ラジウム塩もその一種)から放出されるベータ線やアルファ線が極めて強大な運動エネルギーを持っている電子やヘリウム原子核である事を確かめて放射性崩壊過程を解明した、決定的な論文を発表(別稿「ラザフォードとソディの放射性変換説」参照)したのは1903年です。この論文の最後で彼らは“原子の壊変から出てくるこの莫大なエネルギーが、放射性元素以外の元素にも封じ込まれているのではないか、また宇宙物理学における太陽エネルギーの源もそれかも知れない”と予言している。
 特許局の仕事をしながら、当時(26歳)のアインシュタインは原子物理学の最先端の状況を極めて正確・詳細に把握していたようです。
 
 アインシュタインの公式 E=mc2 は、それ以後の原子物理学を導く指導原理となる。その当たりの例としては、別稿「中性子の発見(1932年)」4.[補足説明1]や、本稿第5.章などをご覧下さい。
 
 また、最後の文中の“慣性”とはまさしく“慣性質量”の事です。これは後に明らかになるように“重力質量”と等価ですから、これは当然重力の源となる質量を意味します。
 
 さらに、もう一つ補足する。アインシュタインは最後に“輻射は放出物体と吸収物体の間で慣性を受け渡しする。”と言っていますが、決して“輻射そのものが慣性質量を持つ”とは言っていないことに注意して下さい。この事が証明されるのは補足説明2補足説明7で注意したように1906年5月論文に於いてです。
 この言い方を深読みすると、おそらくアインシュタインは、この時点ですでに輻射が慣性質量を持つことが証明できる見通しを持っていたに違いない(1905年の夏のコンラート・ハビヒト宛の手紙)。

補足説明10
 同じ事なのですが、バークレー物理学「力学(下巻)」の解説も引用しておきます。これを最初に読んでも本質を理解するのは難しいのですが、Einsteinが用いた論理展開をより解りやすく説明していることに注意して下さい。この説明は以下の2点で教育的に工夫されています。
 
1.放射される光のエネルギーかK系で見た場合とK’系で見た場合で異なる事を、光量子説に相対論的ドップラー効果”を絡ませて導く方法で説明している。
 
2.光束(光子)の放出方向をK系に対するK’系の移動方向に沿った正負方向として簡単化して説明している。
 
 
 このとき注意して欲しいことは、この証明は可秤量物体と光子の分裂に対して“エネルギー保存則”を適用している事です。このとき【可秤量物体と光子の分裂に於いて、光子の移動速度はどの様な慣性系で見ても同じであるという“光速不変の原理”(特殊相対性理論の本質と言ってよい)が中心的な働きをしている】事に注意されたし。エネルギー保存則を適用するに当たって、(光量子説によれば)光子の持つエネルギーのνはドップラー効果と密接に関係するものであり、“相対論的ドップラー効果公式”は光速不変の原理(相対性原理の根幹をなす)に強く結びついています。
 
 第3章の証明は、可秤量物体と光子の分裂に対して“運動量保存則”を適用するものですが、そこでも【可秤量物体と光子の分裂に於いて、光子の移動速度はどの様な慣性系で見ても同じであるという“光速不変の原理”(特殊相対性理論の本質と言ってよい)が中心的な働きをしている】事に気付かれるでしょう。

 

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2.証明2(1905年6月) 初等的な証明

 一般的な証明とは言えないのですが、1章補足説明6で説明した事柄から公式 E=mc2 が導けます。これが初等的な教科書で説明されているものです。
 
 以下はBornの文献3.(文献4.ではない)からの引用です。
 Bornが最初に述べている“質量に対する(87)の公式”とは

の事です。
 これは、別稿「アインシュタインの特殊相対性理論(1905年」3.(5)ですでに出てきています。しかしそこの[補足説明4]で注意したように、この時点のアインシュタインには、これが物体の“慣性質量”に相当するものだという認識は在りません。“縦質量”とか“横質量”という訳の解らない認識にとどまっています。
 これが物体の慣性質量であると言う認識が確立・証明されるのは、そこで説明したようにプランクの論文「相対性原理と力学の基本方程式」(1906年3月)N.LewisとC.Tolmanの論文「相対性原理と非Newton力学」(1909年5月)の段階に至っての事です。
 このことは、いずれ相対論的力学の稿で説明しますが、今はとりあえず、上記(87)式が相対論的質量であると認識されているとして以下のBornの説明をお読み下さい。実際、Bornは以下に引用する節に先だって、PlanckやLewis−Tolmanによって確立された相対論的力学方程式の話をすましています。この点においてBornの説明は完璧です。
 
 世の中の初等的解説書が解りにくいのは、相対論的力学方程式の導出をきちんとして(87)式が“慣性質量”であるということを確立してから以下の話に入っていないからです。そのときには“縦質量”とか“横質量”とかはまったく関係ありません。このことはSommerfeldの文献5.「力学」§4などで明言されています。



 上記のゾンマーフェルト「力学」§4(12)式はこちらを参照されたし。





Bornが最後に言っている“アインシュタインが与えた(94)式の簡単な証明”とは、次章で説明する証明3(1906年5月)の事です。

補足説明1
 上記引用文中でBornが“2次以上の項を捨てない場合にも、この運動エネルギーの定義が厳密に成り立つことが示せるのである。”が、別稿「アインシュタインの特殊相対性理論(1905年」3.(5)[補足説明6]でアインシュタインが証明している

の部分です。もちろんこれは、ゾンマーフェルト「力学」§4(11)式の証明と同じ事です。
 だからこの事は、1905年論文でアインシュタインによって完璧に証明されています。それを用いれば上記の青囲み枠で囲った部分のBornの説明は不要です。ゆえに、本章最初の文中(87)式が“慣性質量”であるという認識が確立していさえすれば、アインシュタインが1905年6月論文で導いた上式から、[運動エネルギー]の増大分に対応して[物体の質量]が増大していることは直ちに言えます。

補足説明2
 この第2章で説明したことは実質的にEinsteinの1905年6月論文で与えられているのですが、私どもは、その論文の該当部分で、アインシュタインは1905年6月の段階でこの事に気付いていないと説明しました。それはプランクによる(運動量の時間的変化が力に比例するという形の)相対論的力学方程式にまだ気付いておららず(87)式“慣性質量”であるという認識に至っていないからです。
 ただし、私どもの憶測ですがアインシュタインは本当は気付いていたのかもしれません。実際すぐに(第1章で説明した)9月論文を発表するのですから。
 しかしたとえ気付いていたとしても、これは、[運動エネルギー]という特殊なエネルギー形態についてエネルギーと質量の等価性を与えているだけで、もっと一般的なエネルギー形態、例えば[電磁場(光)などの場のエネルギー][結合力に伴う結合エネルギー]などに付いても成り立つのかどうかは解りません。そのため、1905年6月論文には書かなかったのでしょう。
 その後、もっと一般のエネルギー形態について言えないかと思考を続ける内に、第1章で説明した方法を用いれば[結合エネルギーに伴うエネルギー変化]も質量変化を伴うことが証明できることに気付いたのではないでしょうか。それを1905年9月に発表したと言うのが実情でしょう。
 
 しかし、改めて第1章の証明を眺めてみますと、まさに天才アインシュタインだからこそできた証明法ですね。
 この証明は“エネルギー保存則”を相対論的に解釈することで得られたのですが、“運動量保存則(重心定理)”を相対論的に解釈すれば別証明が得られることも見つけています。それが次章で説明するものです。“運動量保存則を相対論的に解釈する”とはどういう事かは次章の[補足説明3]をご覧下さい。

 

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3.証明3(1906年5月)

 1905年9月論文で得られた結論は重要なので、アインシュタインは1906年5月論文でそれを更に発展させます。その論文で、前年の9月論文の結果を利用して[運動量やエネルギーを持つことが解っている輻射(光)][慣性質量]を持つ事を直接証明しています。
 これは1906年5月に「質量運動の重心の保全原理とエネルギーの慣性」(“Das Prinzip von der Erhaltung der Schwerpunktsbewegung und die Tra¨gheit der Energie”, Annalen der Physik, ser.4, vol.20, p627〜633, 1906年 これは http://wikilivres.ca/wiki/Albert_Einstein よりダウンロード可。 また、文献13.に日本語訳あり。)として発表された。
(別稿の “U¨ber die vom Relativita¨tsprinzip geforderte Tra¨gheit der Energie”, Annalen der Physik, ser.4, vol.23, p371〜384, 1907年 もご覧頂くと良いかもしれません。)
 
 以下の説明文はBorn文献4.第Y章§8.“エネルギーの慣性”の中程(p277〜281)から引用したのですが、これはEinsteinの上記1905年5月論文の§1の部分の解説です。
 
 ここで最も解りにくいところは、“電磁場の持つ運動量が E/ (Eはエネルギー)で表される”の所ですが、これは古典的な電磁気学理論ですでに証明されている事柄です。
 これが相対性理論で求められたと勘違いされているかもしれませんが、相対性理論以前に求められています。もちろんMaxwellの方程式がローレンツ変換不変である事を考慮すると、もともと相対性理論を満たしていると言ってもよいかもしれません。
 実際、相対性理論が新たに予言する事に、“電磁場のエネルギーや運動量は観測する座標系によって変化する”(別稿3.(2)4.3.(3)から解るように、これは光速不変の原理から出て来る)があるのですが、ここではそのことは用いません。一方、第1章ではそのことを用いたことを思いだされたし。
 
 光の運動量がE/で表されることについては、後に[補足説明1]で補足説明します。まずは、この事をそのまま認めて以下のBorn文献4第Y章§8(p277〜281)の説明をお読み下さい。その後で[補足説明1]をお読み下さい。
 また、この議論が相対性理論に基づくものであることは[補足説明3]で説明しています。いずれにしても、これは数多くの教科書で引用紹介されているEinsteinの超有名な証明です。
 
 以下の証明がなぜ数多くの教科書で取り上げられているかと言いますと、第1章[補足説明10]で説明した様に、第1章の証明が“エネルギー保存則”を利用するものであるのに対して今度は“運動量保存則”を利用するものだからです。そして両者に共通して【可秤量物体と光子の分裂に於いて、光子の移動速度はどの様な慣性系で見ても同じであるという“光速不変の原理”(特殊相対性理論の本質と言ってよい)が中心的な働きをしている】からです。




 Bornは上記で、“光の運動量=E/c は次節で証明する”と言っていますが、その次節§9.“エネルギーと運動量”は別稿「相対論的力学」3.(4)(5)で引用しています。いずれにしても、光束塊E/c の運動量を持つ事は解っているとして以下の議論を展開します。














 この証明で最も解りにくいところは、最初に仮定されている電磁場が E/ (Eはエネルギー)で表される運動量を持つという所だと思います。
 上記の論理展開を逆にして説明しているのが次の[補足説明1]で引用紹介するFeynmanの説明です。

補足説明1
 下記引用文中で、上記のBorn引用文中のアインシュタインの証明3(1906年5月論文)について触れられていますのでご覧下さい。ファインマンはアインシュタインの議論を逆にして展開しているのですが、この点に注意されれば上記の議論の本質が良く見通せます。なお、ファインマン物理第 W巻 第6章の前半 “場のエネルギー”p80〜90は別稿で引用していますので、合わせて参照されて下さい。




 上記で“中々の仕事である”と言っている事の内容を別ページで説明しています。また、このことは別稿「電磁場の応力(マクスウェルの応)」3.(3)5.でも解りやすく説明しておりますのでご覧下さい。
 Pauli「相対性理論」によると、“別ページで説明した関係式”を最初に導いたのはLorentzの様です。
(Lorentz著, Enzykl. math. Wiss., V14, §7, 1904年 など参照。これはnetから無料download可)
 
 ところで、アインシュタインが1906年5月論文で引用している、ポアンカレの論文は、エネルギーE と 運動量p を持つ光の波束を考え、ポインティングの定理によって p=E/c となることを思い起こし、非相対論的なニュートンの関係式 p=mv を光束に適用して、エネルギーEの光束は質量 m=E/c2 を持つと述べている様です。アインシュタインは論文の最初でこの事を指摘して、彼自身の論理を展開しているようです。
 特許局の仕事で忙しく関係論文を調査することが難しかったアインシュタインがこのポアンカレの論文を知っていたのは、これがローレンツの祝賀記念集(1900年)に発表されていたからではないかとPais(文献15.のp212)は注記している。アインシュタインはローレンツを深く尊敬していたので、この論文集を読む機会があり、気付いたのだろうと推測しています。
 
 また、“別ページで説明した関係式”赤実線囲み枠内運動量・エネルギーテンソル式を最初に4次元化したのはMinkowski相対論第2論文(Nachr. Ges. Wiss. Gottingen, p53〜111, 1908年)に於いての様です。



 



 


 



 ここで補足説明しておきますと、Feynmanは、上記の様にエネルギーUは U/c2 に相当する質量と等価である事が解っているとして、このことに“重心定理”を適用して、光束塊の持つ運動量が p=U/c となることをここで導いています。
 ところで、Einsteinは1906年5月論文(前記のBornの説明しているもの)ではこの逆をしたのです。つまり、古典Maxwell電磁気学により光束塊の運動量が p=U/c となることが、解っていますから、この事実に“重心定理”を適用して、エネルギーUを持つ光束塊は質量 U/c2 を持つ事を証明したのです。
 それが前記でBornが説明しているものであり、[補足説明2]で江沢先生が説明されているものです。












 

 

   上記の図6-6はこちらを参照。また、第V巻17-4 p217〜218別ページで引用

補足説明2
 同じ事ですが、上記のアインシュタインの考察についての解説を江沢文献9.p107〜108より引用。

 何度も注意した様に、光が [エネルギー]/c の“運動量”を持つことは、古典的Maxwellの電磁気学により確立している事です。だから、以下の議論に於いて、このことをためらいなく利用します。








補足説明3] 
 Bornの説明も江沢先生の説明も輻射(光)はエネルギーを持ち運動量を持つ事を前提にして議論しています。だから、輻射(光)が質量を持つのは当たり前ではないか。どこが相対論的議論なのだと言われるかもしれません。確かに、Bornが最初にことわっているように、相対性理論の数式を使っているわけではありません。
 
 しかし、そのとき良く考えて下さい。光の速度は(放射物体の運動速度によらず)であるとしていますが、これはローレンツ変換不変のMaxwell方程式から出て来る事です。つまりMaxwell方程式から導かれる波動方程式もローレンツ変換に対して不変だからです。
 このことは決して当たり前のことではなくて、相対性理論以前には多くの議論が成された所です。実際、物体から放射された光の速度がであることは相対性理論以前の(物体が二つに割れて互いにはじき飛んでいくときの)運動量保存則から当たり前に出て来ることではありません!  相対性理論の“光速不変の原理”から出て来ることです!!
 
 また、光の圧力にしても別稿3.(3)2.の様に相対性理論ではじめて完璧に説明できることです。
 さらに、光が塊として動くなどは、相対論的な考察をして初めて認識できることです。
 最後に、もう一つ注意すると、最初に記したように、この証明は、可秤質量から輻射が放射されると、可秤質量はその輻射のエネルギー分だけ軽くなるという第1章で証明した結論を用いてますから、その点において相対性理論をすでに用いています。
 
 すなわち、[輻射(光)の慣性質量]エネルギー光速cの2乗で割った値になることは、相対性理論に基づいて上記の様な考察をして初めて導ける事です。 

 以下は[補足説明3]のさらなる補足です。
 別項「マイケルソン・モーリーの実験(1887年)」5.[補足説明5]でゾンマーフェルトの下記の言葉を紹介しました。

 上記赤波線部の説明の様に、光は、必ず有る物体から発射され、別の物体に吸収(あるいは反射)されて初めて認識することができる。塊としての光束塊が物質から放出されたり物質に吸収されるとき、光がエネルギーを運び、さらに第1章の証明過程で推測されたように、光束塊が質量を持つかもしれない。そうであれば、当然運動量保存則が脳裏に浮かびます。
 

 運動量保存則は、別稿「力積と運動量」2.で説明したように二つの物体(エネルギーの塊としての光も含む)の間に作用反作用に伴う反発力が働いて二つの物体が互いにはじきとばされたときの運動を規定する。はじき飛んだときに、互いが持つ速度は両物体の慣性質量に反比例します。この章の思考実験において物体(台車)と光が互いにはじき飛ぶ瞬間には互いの間に作用反作用に伴う力が存在するでしょう。
 その作用反作用力により互いに反対向きの速度を持つわけですが、そのとき特殊相対性理論は光の運動に関して特別な事情を予言する。すなわち、どのような状況で放出されようと光は必ず等しい速度cでもってはじき出されるのです。そのとき反対側にはじかれる物体(台車)の速度は当然運動量保存則を満たす速度になります。そして、放出された光のエネルギー(慣性質量)が異なれば物体(台車)の反跳速度は当然異なった値になります。
 非常に不思議な事でが、その光の速度は物体(台車)とともに動いている観測者から見ても、静止系に立つ観測者から見ても同じcなのです。さらに、はじき飛ばされる物体(台車)の速度が変わっても同じcです。
 これこそが特殊相対性理論が予言することです。別稿「アインシュタインの特殊相対性理論(1905年)」2.(3)で紹介した、アインシュタインが説明する“光速度不変の原理”の定義文

を思い出して下さい。特にこの中の赤波線の部分“あるいは運動している物体のいずれから放射されたかには関係なく”に着目。これは、光を放出後に持つであろう物体(台車)の速度がどのような値になっても同じcなのだと言っている。これは常識では理解できない不思議な言い方です。運動量保存則から行くと、静止している物体から放出されたのか、運動している物体から放出されたのかで、放出物体(光束塊)の速度は異なるはずですが、そうではないと言っている。
 さらに、この定義の中で光の速さの定義についてわざわざ注意書きしていることにも着目。この注意書きは、その光の速度を光を放出した物体から見て測っても、静止系にいる観測者から見て測っても同じ値になる事を暗示しています。つまり放出物体から見て測るときには、物体とともに動く時計と物体とともに動く物差しで測るということを示しています。
 

 別稿「アインシュタインの特殊相対性理論(1905年)」2.(7)で特殊相対性理論に従った速度合成法則を説明しました。特に、そこの[補足説明4]で説明した別稿「フィゾーが運動媒質中の光速度(随伴係数)を測定した方法(1851年)」4.(2)5.[補足説明]の式を今の場合に当てはめて書き換えると

となります。ここで“静止した観測者”とは、台車の外に立ってこの現象全体を観測している観測者の事です。また“光を放射した物体(台車)から見た光の速度”とは物体(台車)に付属している時計と物差しで測った光の速さですが、この中に正負の符号も含めています。
 つまり、物体(台車)が反跳される速度は放出した光束塊のエネルギー(慣性質量)に依存して変わりますが、どのような速度で反跳されようとも、反跳された物体(台車)から放出された光束塊はいつも同じ速度cで物体(台車)から飛び去っていく。それは反跳された物体(台車)から見ようと、静止した観測者から見ようと同じです。速度合成則がそうなることを保証しています。その様になるメカニズムは別稿「ローレンツ変換とは何か[Einsteinのローレンツ変換導出法(1905年)への補足]」2.(2)2.2.(3)2.を復習して下さい。
 

 別稿「アインシュタインの特殊相対性理論(1905年)」2.(9)[補足説明3]で紹介しましたが、ゾンマーフェルトは
  『特殊相対性理論に於ける光はNewtonの光粒子説の粒子とは根本的に異なる。この光粒子は、光を放射する物体(ここでの台車)の運動速度によらず、つねに光速度cで進む。つまり、相対論的な速度合成則 c+v=c(c;光速度、v;光源の速度)が成り立つ粒子です。Newtonの光粒子説が今日光量子説として復活できたのは、まさにこの相対論的速度合成則による。
と説明している。この章の証明法はNewton力学における運動量保存則では理解できません。特殊相対性理論に基づいて初めて理解できることです。
 

 1905年論文の“光速度不変の原理”の定義文に、アインシュタインはなぜ“光の速度は光源の運動に無関係”というただし書きと“光速の測り方”の注意書きを付け加えたのか?それはこの付記の中に特殊相対性理論の本質が在るからです。
 “光の速度は光源の運動に無関係”というただし書きはあたかも音速がそれを伝える空気に対して一定であって音源の速度には無関係ということを想起させます。つまり当時の大多数の物理学者・天文学者が考えていたエーテル理論(絶対静止空間)を支持するような定義文です。しかし、別稿「フレネルが提唱した“エーテルの随伴説”」1.(1)1.[補足説明1]で説明したように、実験的に光の速度が光源の速度に無関係であることが確認されるのはずっと後になってからです。それなのに、このただし書きを加えたのは、彼にはこのことが相対性理論の本質だということが見通せていたからです。おそらく、1905年論文を書き上げた時アインシュタインは、別稿「フレネルが提唱した“エーテルの随伴説”」1.(1)1.[補足説明2]で説明した様に相対論的速度合成則が正しいのなら、“光速度不変の原理”の定義式にこのただし書きを付け加えておくべきだと思ったのでしょう。
 さらに、“光速の測り方”の注意書きを付け加えたのは、光速度が光を放出した物体とともに動いている観測者から見ても同じ速度であることをアインシュタインはこの定義文を通して明確にしたかった。なぜなら、別稿「アインシュタインの特殊相対性理論」3.(2)2.“ドップラー効果”[補足説明4]で説明したように、光はそれを放出した動いている物体から見ても同じ速度で伝わらなければならないからです。だからこの注意書きを書き加えた。
 アインシュタインの定義文が深遠かつ綿密な考察に裏打ちされていることに今更ながら驚かされます。
 

 おそらく、1905年6月論文を書いたときの“光速度不変の原理”定義式に加えた二つの付記(“光の速度は光源の運動に無関係”“光速の測り方”)は、上に記した様に[エーテルの随伴説における相対論的速度合成則][ドップラー効果における光速度不変性]に基づいて付け加えたのだろう。
 そして、1906年の5月頃、光の放射についての運動量保存則を考えているとき、放射される光のエネルギーが異なれば、光を放射する物体の反跳速度が異なるはずだがと思った。そのとき突然、[その反跳速度の違い]と、“光速度不変の原理”定義式中の付記“光の速度は光源の運動に無関係”と言うときの光源の運動速度の違い]同じ事を指していると気づいたに違いない。ならばこの事を用いれば、光のエネルギーが慣性質量に関係することが導けるはずだと閃いた。そしてこの章で説明した1906年5月論文の証明法を思いついたのだろう。
 この章で説明した[光がE/c2の慣性質量を持つことの証明]は、多くの教科書で紹介されていますが、これは1.章の証明と同じく天才的な洞察力に基づく証明ですね。その当たりを明確にすると以下のようになります。

 この証明は、1章で証明ずみの「可秤量物体から輻射が放出されると、可秤量質量はその輻射のエネルギー分だけの質量が減少する。」から始まる。つまり「質量保存則」があらゆる場合にも成り立つに違いないという前提から始まる。このとき可秤量物質の質量の減少分は当然輻射の持ち去った質量であろう。しかし、その“輻射の運動量”は輻射の持つエネルギーwをcで割った値であることは解っているが、その“輻射の質量”mがいかなる値になるのかはまだ解らない
 次に「運動量保存則」が出てくる。最初可秤量物質は止まっていた(運動量は0)。だからそれが二つに分裂したときに、分裂前と分裂後に対して運動量保存則が成り立つ為には、分裂後の運動量の和は0になるはずだ。つまり

が成り立つ。ここで m は飛び去っていく輻射の質量を意味するのですが、それがどのような値なのかはまだ解りません。運動量が w/c であることが解っているだけです。v は可秤量物体の反跳速度です。(M−m) は反跳された可秤量物体の質量ですが、もちろんこれは動いている可秤量物体が持つ運動エネルギー分も含めた相対論的な質量ですから (M−m)(−v) は相対論的な運動量表現です。
 そして、最後に「重心定理」を用いる。輻射を放出したときの分裂は可秤量物体と輻射の内部的な作用反作用力に基づく現象だから、その質量中心の位置(重心)は輻射の放射前と放射後で変わらないはずだ。だから以下の関係式が成り立つ。

 この式には、「輻射の速度は輻射を放出した可秤量物体の運動速度にかかわらずいつも一定の速度で伝播する(“光速度不変の原理”)」が用いられていることに注意して下さい。
 重心定理はもともと運動量保存則そのものですから両者は同じ法則です。同じ法則を二度用いて最後の式が導けるのは、[補足説明1]で注意したように「光の運動量にはw/cという“別表現”がある」からです。この当たりは別稿「相対論的力学」3.(4)における光子の説明も参照して下さい。
 結果的には普通の可秤量物体と同じように、についても[運動量]=[慣性質量]×[移動速度]だったわけですが、その移動速度が必ず一定となる特殊な速度“c”だということを忘れないで下さい。
 
 
 この当たりについては、1908年に発表されたLewis論文の前半“エネルギーに対する質量の関係”も興味深いのでご覧下さい。LewisもEinsteinとは独立に、同じような考察に基づいてエネルギーEを持つ輻射はE/c2の質量を持つはずだと推測していたようです。
 Lewisは1908年論文の後半で、この[E=mc2]と、[仕事の定義]、[運動量の時間的変化=力]の三つの関係から相対論的質量の表現形を求めています。この事については4.[補足説明2−2]をご覧下さい。

補足説明4
 アインシュタインは上記の様にして、輻射(光)が慣性質量を持つことを証明しました。
 ところで、“慣性質量”“重力質量”と等価である事(“等価原理”と呼ばれる)を確認する実験は昔から(この実験の起源はニュートンに遡る)繰り返されており、1908年にエトヴェシュによる決定的な実験で確立されたと言って良い。(今日、この検証実験の最高精度は太陽の周りを回る地球と月の運動の観測から達成されている。)
 ならば、光線は重力の影響を受けて、その進行方向を曲げることが予想されます。実際、アインシュタインは、6.(2)で紹介する、1907年の総説論文第X章§20でそのことを指摘し、1911年にさらに詳しい考察を発表[Ann. der Phys. [4], 35, p898〜908, 1911年(参考文献2の第2巻に翻訳有り)]します。[別稿の講演p84を参照]
 もちろんそれらの考察は予備的なものであり正確なものではありませんでしたが、やがてこれらの考察を発展させた一般相対性理論を作り上げます。そして、この現象を完璧に説明することに成功します。
 
 実際に、重力に因って光線が曲がる事は、エディントン達によって(“皆既日食”を利用して)太陽近傍を通過する星からの光が、太陽の重力により曲がることを確認(1919年)して実証された。その曲がる角度(偏角)は、素朴な重力理論が予測する偏角値の約2倍となるのですが、そうなることは素朴な重力理論を一般化した一般相対性理論がすでに予言していたことで、一般相対性理論の実証例として、当時非常に有名になった。
 また、地上の実験で、光が地球の重力により加速されて(運動)エネルギーを増加させる事がPoundとRebkaによる有名な実験(1960年)によって確かめられた。彼らは光子のエネルギーの増加をその振動数の増加としてとらえたのです。その振動数変化Δνは極めて小さいが、“メスバウアー効果”を利用することで測定が可能になった。
 この当たりの詳細については[補足説明6、7]で引用する文献を参照されたし。

補足説明5
 別稿「プランクの熱輻射法則」10.まとめの最後で述べたように、量子論を特徴付ける公式を一つあげるとすればE=hνであろう。この式で、まったく異なる物理量であるエネルギーと振動数を次元的に結びつける換算定数がプランク定数hです。
 このとき、エネルギーεも振動数νもローレンツ変換に対して不変ではないのに、この換算定数“はローレンツ変換に対して不変の定数となることを、別稿「アインシュタインの特殊相対性理論」3.(3)1.[補足説明4]で注意しました。
 
 一方、相対性理論を特徴付ける公式を一つあげるとすればE=c2mであろう。このとき、エネルギーEも質量mもローレンツ変換に対して不変ではないのですが、この次元のまったく異なる二つの物理量を結びつける換算定数“2は、やはりローレンツ変換に対して不変な定数です。
 実際、本稿の1.[補足説明5]で説明したように、この公式は“相対性原理”と並び立つ“光速不変の原理”から出てきたものでしたから、この換算定数c2がローレンツ変換不変であることは宜なるかなです。
 
 上記の二つの魔術的な公式が両方ともエネルギーに関係し、しかもそれらの換算定数がローレンツ変換に対して不変であり、その定数によってエネルギーと結びつけられる物理量が ν と m という思いもかけないものであることに、何か不思議な自然の摂理を感じます。
 
 実際、プランクは別稿「プランクの熱輻射法則」5.(2)2.に於いて、これらの不変定数を用いた“自然単位の概念”を提唱しますが、これらの定数にはこの世界を説明するための根源的な理由が在るのかもしれません。
 
 また、ド・ブロイは、物質が波動であるという“物質波の仮説”を作り上げるとき、このエネルギーEを表現する二つの関係式の対応関係を拠り所とした。
 このことに付いては別稿「ド・ブロイの学位論文(1924年)」1.(1)[補足説明1]をご覧下さい。

補足説明6
 ここで、説明したことに関係し、一般相対性理論の検証実験にも利用される“メスバウアー効果”(1958年)について補足する。以下は文献11.の訳者附録Wより引用した。






これは、別稿「熱機関の効率(ガス動力サイクル)」2.(7)[補足説明2]で説明した事と同じです。






 
同じ事柄の説明ですが、以下は文献10.(下巻)のp448〜449より引用した。








 
メスバウアー効果のもう少し詳しい説明はシュポルスキー文献12.§129“メスバウアー効果”を参照されたし。

補足説明7
 “等価原理”“光子の重力質量”について補足する。
 この事についてKittel文献10.第14章“等価原理”が解りやすいので引用。さらに、Sciama文献11.第5章“赤方偏移”第7章“重力偏差”も引用。[補足説明6]で引用した“メスバウアー効果”と互に参照しながらお読み下さい。
 文献11.、12.は現在絶版(文献10.は再販されている)ですが、解りやすく教育的なので図書館で借りられて読まれることを高校生諸君に勧めます。 
 さらに注意すると [補足説明6]で説明したメスバウアー効果は、まさに特殊相対性理論が予言する“光は質量を持つ”という事実そのものに深く関係した現象です。

補足説明8
 前記[補足説明4]で説明した光線が重力によって曲がることは、光が慣性質量を持つことが証明(1906年5月論文)されれば当然予想されます。それは、ニュートン以来当時まで繰り返されていた慣性質量と重力質量の等価性の実験的証明により、慣性質量は当然重力の影響を受けることが解っていたからです。
 そのとき太陽のそばを通る光線が太陽重力によってどの程度曲げられるかは、古典的な重力理論で計算できます。それは太陽の周りの惑星の運動に影響するのは太陽の質量(太陽が作る重力場)のみで惑星の質量が幾らであるかには関係しない事を思い出されれば明らかです。これはどんな物体でもその質量に関係なく(慣性質量と重力質量の等価性から)太陽に対して同じ様に落下していくからです。光線も同じ様に落下します。
 つまり、古典的な重力理論で光線の曲がりを計算するには、光の具体的な質量がいくらであるかを知る必要は無く、光が移動する速度(光速度)さえ解れば良いのです。
 実際、バークレー物理「力学(下巻)」p488で説明されているように高校数学の微分積分の知識があれば導けます。Born文献第Z章p352で説明されているように、特殊相対性理論が提出される1905年よりも遙か前の1801年にドイツの数学者・測量技師のゾルドナーはすでにその湾曲の大きさを計算しています。
 この当たりの歴史的説明をクリフォード・M・ウィル著『アインシュタインは正しかったか?』(訳本1989年、原書1986年刊)から別ページで引用。文中のミッチェルとラプラスの計算については、キップ・S・ソーン著『ブラックホールと時空の歪み』(訳本1997年、原書1994年刊)の第3章p110と、p118〜120)をご覧下さい。なお、ミッチェルはキャベンディッシュが用いた捻り秤の発明者です。
 
 特殊相対性理論光量子論から、光が質量を持つ粒子であることが解れば当然のごとく光線が太陽重力によってその進路を曲げられることが予想されるのですが、そのとき注意して欲しいのは、光線の湾曲は特殊相対性理論の“光速不変の原理”に矛盾することです。実際、“フェルマーの原理”から明らかなように、波としての光線が湾曲することは光速度が一定ではなく重力場に依存して場所ごとに変化することを示しています。
 これは大問題です。アインシュタンイはその矛盾に気付き深く悩みます。そして特殊相対性理論は真に正しい理論ではなくて、(特に重力が存在するときには)近似的なものだという事をハッキリ認識(1907年)します。(例えば1916年文献22章、あるいは京都公演p84、あるいはPais文献第9章、あるいはインフェルトの説明を参照)
 おそらくこのことが、アインシュタイン自伝ノート(1947年)第五段落
 『・・・・・特殊相対性理論はその起源をマクスウェルの電磁場の方程式に負っている。逆に後者は特殊相対性理論によって始めて、形式的に満足がいくように理解できる。マクスウェルの方程式は、ベクトル場から得られる反対称テソソルについて成り立つ、最も簡単な、ローレソツ不変な場の方程式である。このことは、われわれが量子現象から、マクスウェルの理論が輻射のエネルギーの性質について正しくないことを知らなければ、それ自身満足のいくものであったであろう。しかし、いかにマクスウェルの理論が自然なやり方で修正されなければならないか、これに対しては特殊相対性理論も十分な手掛りを与えてはくれない。・・・・・』
が示している内容だと思います。
 
 そして彼はそれから8年の歳月かけて、その矛盾を解決する一般相対性理論(1915年)を作り上げます。その正しい一般相対性理論が予言する太陽近傍を通過する光線の湾曲量は、ゾルドナーの素朴な重力理論(素朴な光の粒子説と言っても良い)による計算値の丁度2倍だったのです。
 一般相対性理論に基づく厳密な計算はEinsteinの1916年3月の総説論文E.§22.2.をご覧下さい。そこで説明されているように、光速度は重力場中でも不変です。重力場中では空間が縮み時間が延びる為に見かけ上光速度が変化する様に見えるだけでして、その事を考慮して“フェルマーの原理(ホイヘンスの原理)”を適用すれば湾曲量は正確に導き出せます。

補足説明9
 前記[補足説明8]の中で述べた重力場の中で光速度は変化する(遅くなる)について、誤解の無いようにもう少し補足します。
 アインシュタインが発見した一般相対性理論によると、光速度は重力場の中でも不変です。なぜなら、重力場の中では時計の進みは遅くなり、物指し棒の長さは短くなります。そのため重力場の中にいる観測者が、その遅く進む時計と縮んだ物指し棒で測った重力場中の光速度は重力場の存在しない空間で測った光速度と同じです。
 電磁場の法則も一般相対性理論を満足するように書き換えられますが、光速度の不変性はその方程式から導かれる必然の帰結です。

 

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4.証明4(1946年)

 この証明は、物質や輻射(光)が持つ“運動量”はK系から見た場合とK’系から見た場合では異なる(つまりローレンツ変換に対して不変ではない)という相対論的な効果を用いています。
 そのとき、“運動量保存則”はK系でも、K’系でも等しく成り立たなければならい事から[光のエネルギーを吸収する]とその吸収したエネルギー分の質量が増大するという事を導くものです。これもアインシュタインならではの独創的な証明です。
 
 以下の訳文は文献2から引用した。この日本語訳は文献8にも在ります。
 ここでも“光の運動量”の式が用いられていますが、この事については前章の補足説明1をご覧下さい。












 上記の証明について少し補足します。
 アインシュタインは最初に、この証明で用いる三つの法則を上げています。そのV番目の“光行差の式”は(別項で証明した様に)相対論的な速度合成法則が成り立ってはじめて言えることです。
 そして、K0系での速度に対してローレンツ変換に従う“相対論的な速度合成則” (またはこちらを参照、あるいはこちらを参照)を適用してはじめて、K系での合体する前と合体後のz方向の速度成分が同じvであることが言えます。このことは自明な事ではありません。つまり、相対性理論が成り立たないと E=mc2 を導くことはできません。

補足説明1
 上記のアインシュタインの方法をそのまま利用した話なのですが、ファインマン文献7.§16-4で面白い説明をしています。(Bornの文献3.や文献4.第Y章§7§8で説明されているものと同じです)
 これは、物体の質量が運動と共に(16.10)式で変化することを用いていますが、E=mc2を証明するものではありません。ここで証明しているのは、非弾性衝突によって両物体の速度がゼロになっても、運動エネルギーを持っていた時の質量をそのまま保持するということです。つまり運動エネルギーが熱に変わったのですが、その[熱エネルギー]が質量の増加(つまり静止質量が増加したように見える)である事を証明しています
 もちろん熱エネルギーの実態は原子の運動エネルギーなのですからE=mc2からいくと当たり前の話なのですが、この意味に於いて、相対性理論の公式 E=mc2 は完璧な整合性を持っています。





 補足すると、慣性系(a)の状況では、合体前も合体後も運動量の合計はゼロだから、運動量保存則から質量の関係(16.11)式を導くことはできません。慣性系(b)から見た状況変化に“運動量保存則”を適用して始めて導けるのです。
 さらにそのとき、運動量保存則が成り立つと言っても、合体前と合体後の縦方向の速度成分が同じuであるかどうか解りません。例えば合体後の質量が静止質量m0の二倍で合体後の縦方向速度が2m0u’=2muを満足するu’(>u)であるかもしれません。つまり合体後の速度成分が同じuであるとは限らないのです。
 合体後と合体前の縦方向速度成分が同じuになることは、慣性系(a)から慣性系(b)へのローレン変換を実施(“相対論的な速度合成則”を用いる)して始めて言えることです。
 だから、ファインマンが最初に仮定しているように、“運動量の保存”“相対性原理”の両方が必要です。

細説明2
 
もう一つ引用します。第2章と同じ事ですが、ファインマンは以下の様に説明している。

   ここで、(15.1)式“相対論的力学”の議論によりすでに解っているとしている。




 すでに説明したように、Einstein1905年9月E=mc2をローレンツ変換によって導き、Planck1906年3月(15.1)式を同じくローレンツ変換から導きました。両式はそれぞれ独立に導かれたのであって、(15.1)式からE=mc2が導かれたわけではありません。
 上記の様な考え方ができることは、Einsteinが後になって指摘していることです。例えば1907年の総説論文第W章§11などをご覧ください。特にこの中に導かれている(17)式 M=μ+E0/c2 が重要です。
 
補足説明2−1
 上記の文節に続くファインマンの説明も引用しておきます。これはEinsteinの1907年の総説論文の説明を焼き直したものにすぎないのですが、ちょうど別稿「相対論的力学」3.(2)4.[補足説明7]の議論の逆に相当します。









ここは、Sommerfeldの文献5.「力学」§4の議論なども復習されて下さい。



ただし、この説明は、次の[補足説明2-2]の意味で読めば、教訓的です。
 
補足説明2−2
 Pauliは「相対性理論」の注[220]で、「G.N.Lewisは、Phil.Mag. 20,p705〜717,1908年において、E=mc2を前提として認め、[運動量の時間的変化]=[力](運動方程式) と dE/dt=[力]×[速度](仕事の定義式) を使って逆に質量と速度の関係(15.19)式を導いた。」と注記しています。
 以前Lewisの論文を読んだとき論理展開の本質がなかなか見通せなかったのですが、確かにLewisの論文はその様に(また、ファインマンが上で説明している様に)読めば良いのですね。Pauliやファインマンの明快な解説に脱帽です。
 Lewisの上記論文は邦訳があります。別稿古典論文叢書「相対論」8で引用していますのでご覧下さい。とても興味深い内容です。

補足説明3
 一般の解説書では0(この稿ではμと記した)を“静止質量”と呼んで特別視しています。
 しかし、今までの議論から明らかなように、物質はたとえ静止していても内部的な結合状態が変われば質量は変わります。また、暖めたり冷やしただけでも質量が変わります。つまり“静止質量”も状況により変化します。また、静止している物体でも動いている座標系から見ると動いて見えます。相対性理論では二つの慣性座標系の内、どちが止まってどちらが動いているのかを議論するのは意味のない事でした。
 だから 0(or μ)“静止質量”と言って特別視するのは適当ではないかもしれません。静止質量も状況により変化するのですから。
 
 ただし、相対性理論をミンコフスキーに従って四次元化するとき、この0“固有質量”という量として別な意味で復活します。その当たりは別稿「四元速度、四元加速度と四元力」3.(1)をご覧下さい。

 

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5.E=mc2の実例

 この理論は数多くの重要な結果を生み出している。Born文献4.第Y章§8“エネルギーの慣性”の後半(p281〜284)から四例を引用する。これはBorn文献3.の改訂版として1964年に書かれたもので、その当時までに得られた成果から幾つか選んで紹介されています。

)電子の質量


文中の“(69)式(207頁)”については別稿で引用していますので参照されたし。

 

)π中間子



文中の“5章13節”についてはこちらを参照。

 

)重水素と核融合




 

)ウラニウムと核分裂



もう少し詳しい説明を江沢文献9.の p109〜113 より引用。















 少し補足すると、3-7図で示す状態に変形した時の原子核は+に帯電している二つのPd原子核がクーロン反発力に逆らって無理矢理引っ付き合っている状態です。そのため結合エネルギーが高い状態にあり、その分だけ質量も重くなっています。
 それが次の瞬間には電気的な反発力により互いに反対方向に加速されて、高速で移動する二つのPd原子核となります。そのときは最初持っていた結合エネルギー(反発エネルギーと言うべきかも)分が運動エネルギーに変わったのであって、やはり運動エネルギー分だけ質量は重くなっています。だからこの段階までは二つのPd原子核の質量の和は最初のウラン原子核と同じです。
 これが他の様々な原子と衝突を繰り返していく内にその運動エネルギーを失って最終的に静止した二つのPd原子核となる。その時に最終的に静止した二つのPd原子核の質量と最初のU原子核の質量を比較したら、Pd原子核の結合エネルギーから計算される質量(二つに分裂して二つあるので2倍した)997×2MeVと最初の静止しているU原子核の結合エネルギー分に相当する質量1786MeVを比較して得られる質量欠損があるのですが、それは実際クーロン反発力に伴う位置エネルギーから計算される値にほぼ等しいことが解ると言うことです。
 
 実際、上記の接触しているときの位置エネルギーUとは+46eの正電気を持つ二つのPd原子核を、その電気的な反発力に逆らって無限の彼方から距離2aの位置まで近づける為に必要な仕事量を表す。この当たりは引力と反発力の違いはあるが別稿の図を参照されたし。

[補足説明1]
 上記の説明はなかなか解りにくいのですが、“核分裂”によって主に解放されるエネルギーは陽子(正電気)間に働く電気的なクーロン反発力に伴う位置エネルギーです。核子間(陽子−陽子、陽子−中性子、中性子−中性子)に働く核力の位置エネルギーではありません。
 一方、軽原子核の“核融合”で解放されるエネルギーは、核分裂とは反対に、主に核子間に働く核力(引力)に伴う位置エネルギーが解放される。
 その当たりの概説をファインマン物理V §1-1 から引用しておきます。




詳細は、適当な原子核物理学の参考書をご覧下さい。

 

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6.E=mc2に言及しているアインシュタインの論文・講演

 質量とエネルギーの等価性について、アインシュタインの関わりを説明した ジョン・スタチェル篇(青木薫訳)「アインシュタイン論文選 「奇跡の年」の5論文」筑摩書房(2011年刊)のp244〜249の解説を引用していますのでご覧下さい。。
 Einsteinの一連の論文は、URL( https://biblio.wiki/wiki/Albert_Einstein )よりダウンロードできます。

(1)「相対性原理が要求するエネルギーの慣性について」(1907年5月)

“U¨ber die vom Relativita¨tsprinzip geforderte Tra¨gheit der Energie”, Annalen der Physik, ser.4, vol.23, p371〜384, 1907年 これは、文献13.に日本語訳が掲載されています。
 
 原論文は、下記URLよりpdfファイルとしてダウンロードできます。
http://myweb.rz.uni-augsburg.de/~eckern/adp/history/einstein-papers/1907_23_371-384.pdf
 また、下記URLにて全文を閲覧できます。
http://wikilivres.ca/wiki/%C3%9Cber_die_vom_Relativit%C3%A4tsprinzip_geforderte_Tr%C3%A4gheit_der_Energie
こちらを用いれば自動翻訳サイトが利用できます。

 

(2)「相対性原理とそれから導かれる結論」(1907年12月)

“U¨ber das Relativita¨tsprinzip und die aus demselben gezogenen Folgerungen”, Juhrbuch der Radioaktivita¨t und Elektronik, vol.4, p411〜462, およひ vol.5, p98〜99, 1907年 これは、文献13.に日本語訳が掲載されています。
 これは、シュタルクの依頼を受けて、彼の主催する『放射学および電子学年報』に載せるために、アインシュタインが初めて書いた相対論についての総合報告です。ここで、彼は多くの詳しい参考文献を挙げる労をとっています。
 下記URLよりpdfファイルとしてダウンロード可。
http://www.soso.ch/wissen/hist/SRT/E-1907.pdf
 また、下記URLにて全文を閲覧可。
http://wikilivres.ca/wiki/%C3%9Cber_das_Relativit%C3%A4tsprinzip_und_die_aus_demselben_gezogenen_Folgerungen
こちらを用いれば自動翻訳サイトの利用可。

 

(3)「質量とエネルギーの同等性の初等的導出」(1934年)

“Elementary derivation of the equivalence of mass and energy”, American mthematical society, Bulletin, vol.41, p226〜230, 1935年
 これは1934年にピッバーグで行ったギブス記念講演を出版したものです。そのときの講演の様子を伝える写真と解説が下記URLにあり。
http://www.relativitycalculator.com/pdfs/einstein_1934_two-blackboard_derivation_of_energy-mass_equivalence.pdf

 これは、点粒子系に対するエネルギーと運動量の保存が全ての慣性系で成り立つことからE=mc2を導いている。その詳細は、下記URLよりpdfファイルをダウンロードされてご覧下さい。
http://www.ams.org/journals/bull/2000-37-01/S0273-0979-99-00805-8/S0273-0979-99-00805-8.pdf
http://projecteuclid.org/download/pdf_1/euclid.bams/1183498131

 

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7.参考文献

 この稿を作るに当たって、下記文献を参照した。

  1. 物理学史研究会編「物理学古典論文叢書4 相対論」東海大学出版会(1969年刊)収録の第2論文より引用
    原論文はA.Einstein, “Ist die Tra¨gheit eines Ko¨rpers von seinem Energieinhals abha¨ngig?”, Annalen der Phsik, 4 Folge, Bd.18, 639〜641 (1905) です。
     この中の第1論文第3論文第6論文第7論文第8論文第9論文は別稿で引用紹介しています。
  2. 湯川秀樹監修、中村・谷川・井上訳編「アインシュタイン選集1《特殊相対性理論・量子論・ブラウン運動》」共立出版(1971年刊)
  3. M.Born著(林一訳)「アインシュタインの相対性理論」東京図書(1968年刊)Gauss単位系
     原本のドイツ語初版は1920年刊。
  4. M.Born、W.Biem著(瀬谷正男訳)「アインシュタインの相対性原理」講談社(1971年刊)第Y章§8より
     原本は1964年に発刊。文献3の改訂版です。この本の第V章第W章§7〜11第X章第Y章§1〜6、10〜11and§7〜9は別稿で引用。
  5. A.Sommerfeld著(高橋安太郎訳)「理論物理学講座T 力学」講談社(1969年刊)§4
     原本の初版は1942年刊です。第T章§4.“質量の変化する場合”を引用。
  6. ファインマン、レイトン、サンズ著「ファインマン物理学W 電磁波と物性」岩波書店(1971年刊)第6章
  7. ファインマン、レイトン、サンズ著「ファインマン物理学T 力学」岩波書店(1967年刊)第16章
  8. A.Einstein著(中村誠太郎,南部陽一郎、市井三郎訳)「晩年に想う」講談社(1971年刊)
    1934年〜1950年にいたる講演・諸寄稿を含む
  9. 江沢洋著「基礎物理学選書27 相対性理論」裳華房(2008年刊)
  10. Kittel、Knight、Ruderman著「バークレー物理学コース1 力学(上巻)(下巻)」丸善(1975年刊)
     この中から第13章“相対論的力学の問題”と、第14章“等価原理”を引用。
  11. D.W.Sciama著(高橋安太郎訳)「一般相対性理論(その物理的意味)」河出書房新社(1970年刊)
    第5章“アインシュタインの赤方偏移”と第7章“重力場中の光の運動”を引用
  12. E.シュポルスキー著(玉木英彦、他訳)「原子物理学T」東京書籍(1966年)
    §129“メスバウアー効果”と§130“メスバウアー効果の応用例”を引用。
  13. A.Einstein著(石原純、他3名訳)「アインスタイン全集 第1〜4巻」改造社(1923年刊)
     この第1巻に、特殊相対性理論関係論文の日本語訳が在ります。館内閲覧限定かもしれませんが各県の県立図書館は所蔵していると思います。私は大学除籍本を古書店から購入できたとき嬉しくて舞い上がりました。
  14. キップ・S・ソーン著『ブラックホールと時空の歪み』(訳本1997年、原書1994年刊)
     この本の第3章p110と、p118〜120)を別ページで引用。
  15. Abraham Pais著(西島和彦、他共訳)「神は老獪にして・・・(アインシュタインの人と学問)」産業図書(1987年刊)
     原書は1982年刊。この解説は秀逸です。第6章第7章を引用。一般相対性理論に関係する章も別稿で引用しています。
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