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ラザフォードとソディの放射性変換説(1903年)

 ラザフォード(Ernest Rutherford、英、1871〜1937)とソデイ(Frederick Soddy、英、1877〜1956)は、モントリオールのマギル大学における1901年10月〜1903年4月の共同研究で、トリウムから出てくるエマネーション(後述)の正体をつきとめ、トリウムとそれが壊変して生ずる娘核種トリウムXの放射能の原因を化学分析によって調べ、放射能の原因が元素の変換過程であることを発見した。ここで、彼らの探求の過程を説明する。

1.19世紀末の状況

 19世紀末のウラン、トリウムの放射能の発見、引き続く放射性新元素ポロニウム、ラジウムの発見によって、今世紀に入ると放射線の研究が活発化した。今世紀初め、放射線には、

  1. 透過能が小さく、磁場によってはほとんど曲がらないアルファ線
    (正に帯電した粒子が高速で放出されるものではないかと考えられていたが、その正体は不明)
  2. 磁場によって曲げられ、アルファ線よりも透過能の大きいベータ線
    (1900年ベクレルは、ラジウムからでるβ線の比電荷を測定して、β線が電子であることを示した)
  3. 磁場によって曲がらず、透過能の大きいガンマ線
    (1900年にP.V.ヴィラールが観測したが、その本性が解ったのは1914年になってからである。)

の3種類の異なるものがあることが実験から見出されていた。しかし、放射能の原因の説明は混沌としており混乱を極めていた。混乱を極めた理由を、今日の知識で説明すると、

  1. 原子が崩壊する(すなわち別な元素が生じる)という現象自体が認識されていなかった。
  2. 崩壊が何段階にもわたって起こることが知られていなかった。
  3. 崩壊の半減期自体がまだ理解されていなかったし、それらに様々あることも知られていなかった。
  4. 同位体の概念はまだ知られておらず、崩壊系列が何通りもあるため同一元素で半減期の異なるものが混在していることが知られていなかった。
  5. 崩壊の途中で生じるラドンが気体であるために示す不可思議な振る舞いが理解できなかった。そのラドンにも、ウランからでるものとトリウムからでるものでは異なった半減期を持ち何種類もの同位体が存在した。
  6. ラドンはすぐに崩壊して再び固体の核種に変遷して周囲の物質に付着したが、その現象の意味がわからなかった。

 以上の様に非常に込み入っており、この複雑さが現象の解釈を極めて困難なものにしていた。

 例えば1900年にクルックスが発見したことであるが、ウラン塩の溶液の中に水酸化鉄の沈殿を生じさせると、放射能はすべて沈殿の方にいってしまい、ウランは放射能を失ったまま残る。ところが数日経つと、沈殿は放射能を失ってウランの方がそれを回復した。彼はこれらの事実を写真看板の感光作用により発見したのであるが、このウランの中にあって不思議な現象を示す物質をウランXと呼んだ。さらに、その他の放射性物質についてもやはり同様な現象が起こって、それに要する経過時間は様々で数分になる場合もあれば数時間、数日の場合もあり、まるで幽霊の様であった。

 また、1899年から1900年にかけて、トリウム、ラジウムからは気体状の放射性物質が発生していて、周辺の物質がこの気体に触れるとその物質も放射能をもつことが発見された。当時、この気体状の放射性物質をエマネーションと呼んでいたが、これが示す奇妙な振る舞いが科学者を困惑させた。

 その現象が全く新しいものであり、その本質が解っていないときに、それが示す不思議な諸現象から、まさに暗闇の中を手探りで、その本質を明らかにしていかねばならない困難さは想像を絶する。そのためその解明の過程は、自然科学の学問としての醍醐味を遺憾なく示してくれる。

 当時、放射能について次のような仮説があった。
(1)放射性物質が周囲の空気分子の熱運動のエネルギーを取り込み、これを放射線として放出する。
(2)放射性物質が周囲の未知の輻射エネルギーを取り込み、これを放射線として放出する。
  いづれも、電子が物質に入射してX線が発生する過程に類似なものとして、放射線の放出過程を考えている。しかし答えはそのいずれでもなく原子そのものが壊変していくという当時の化学者の常識を覆すものだった。

 

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2.予備知識

予備知識として、今日解っている事柄を復習しておく。

)放射性崩壊の基礎

 時刻 t における放射性元素の数をN(t)とすると、時刻tにおける単位時間当たりの崩壊数n(t)は

となる。(別稿「放射性崩壊と半減期」で証明)

 核反応は非常にエネルギーが高い現象だから核外電子が関係する化学的な変化や熱運動に伴う擾乱の影響をほとんど受けない。そのため放射性元素が崩壊していく速度は、温度、圧力、化学結合などの物理的、化学的状況によらない。だから半減期T1/2あるいは崩壊定数λはつねに一定の不変定数とみなせる。
 時刻t=0のときの親核種の数をN(0)とすると、上記の微分方程式の解は

となる。この式が全ての出発点である。

 次に、放射性崩壊が崩壊系列をなす場合を論じる。それぞれの核種の崩壊定数λ1、λ2、・・・λn-1は各核種の半減期と

の関係で結びつけられる。ここでは話を簡単にするために系列の枝分かれは無視してそれぞ一列の連鎖崩壊として考える。崩壊系列の時刻tにおける親核種の存在量をX1、娘核種の存在量をX2、X3、・・・・・、Xnとする。i番目の核種の存在量Xiの時間的変化は自らの存在量Xiに比例して失われていく速度とXi-1が壊れてXiに付け加わってくる速度(Xi-1に比例)に関係するから、X1、X2、・・・・・、Xnは下記の連立常微分方程式を満足する。

この連立常微分方程式の数学的な解法については別稿「放射性崩壊系列の数学」参照。

 

)連鎖崩壊系列の性質

 現在の地球上には三種類の崩壊系列が残っている。各系列には随所に枝分かれした系列が存在するが、簡単のために枝分かれ経路でその割合が1%程度以下の分岐はすべて無視すると、いずれもほぼ一本の連鎖で繋がった元素をたどって崩壊していく。
  238(半減期45億年)から出発して、最終的に206Pbへ崩壊するウラニウム・ラジウム系列(4n+2)
  235(半減期7億年)から出発して207Pbに崩壊するアクチニウム系列(4n+3)
  232Th(半減期140億年)から出発してそして208Pbへ崩壊するトリウム系列(4n)
の三系列である(別項「放射性崩壊と半減期」参照)。
 自然界に残っている崩壊系列では壊変の出発点になる親核種X1の崩壊定数λ1が、それ以降の娘核種X2〜Xnの崩壊定数λ2〜λnに比べて極めて小さい(半減期は極めて長い)。そのため、崩壊平衡(放射平衡)が実現しているとき、下記の3つの重要な事柄が成り立つ。(数学的な説明は別稿「放射性崩壊系列の数学」3.(3)崩壊系列のモデルとしてのn=7の例)

  1.  系列の各核種の存在比は、各核種の半減期に比例(崩壊定数の大きさに逆比例)している
     ただし、化学的分析により各核種を精製分離すると崩壊平衡はリセットされて非平衡の状態をしばらくの間示す。
  2.  各核種は崩壊平衡時ほぼ定常状態にあると見なせるので、各核種に上位のものが崩壊して付け加わる速度と壊変して無くなっていく速度は釣りあっており、単位時間に崩壊する数はすべての段階の崩壊核種についてほぼ等しいと見なせる。
     ただし、長い期間にわたって観測を続ければ、単位時間当たりの崩壊数は出発親核種の存在量の減少と共に(親核種の半減期で)減少していく。
  3.  精製していないウラン鉱石、トリウム鉱石が示す放射能は、上記の同等と見なせる各段階の放射能の和になっている。そのため単位時間当たりに崩壊する原子の総数は、一つの核種の単位時間当たりの崩壊数のほぼ段数倍になる
     ただし、各崩壊過程におけるベータ線、アルファ線、ガンマ線のエネルギーは核種ごとに異なるので解放される崩壊エネルギーの総和が単純にどれかの段階の崩壊エネルギーの崩壊段数倍になるわけではない。
     後で述べる様に当時、放射能の強度は放射線が気体をイオン化する能力(電離気体を電離箱でとらえて、その電気量を象限電位計で測定)で測られる。そのときα線はβ線に比べてイオン化能力が高いので物質が示す放射能の強度は結局α崩壊のエネルギー和に関係する。実際3(3)で説明した文献5.にて、ラザフォードは放射エネルギーの99%以上をα線が担っていると見積もっている。

 

)自然界における三つの崩壊系列

ウラニウム系列

 化学的な性質が同じウラニウム同位体は、どのウラン鉱石も同じウラン同位体比で各ウラニウムを含んでいる。現在のウラン鉱石中の同位体の存在比率は 238U:234U:235U=99.275:0.005:0.720 (つまり 235U:238U=137.88:1)である。(別稿「放射性年代測定法」2.(3)参照)

 また、[単位時間に崩壊する原子数]=[崩壊定数]×[元素の存在量]2.(1)参照)だから、崩壊定数の比は λ238:λ235=1.55:9.84=(1/4.51×109):(1/7.13×108) を用いると親核種であるウランの単位時間当たりの崩壊数の比は d238U/dt:d235U/dt=99.275×1.55:0.72×9.84=22:1 となる。

 ところで崩壊平衡にある系では、単位時間に崩壊する数はすべての段階の崩壊核種についてほぼ等しい2.(2)の2.参照)のだから、崩壊平衡にあるときの二つのウラン系列の対応する段階の放射性同位体核種の放射線放出の比率も22:1になる。例えば下図の222Rnと219Rnの出す放射能の比率も22:1になるということである。

 また、崩壊平衡にある系では、各系列における各核種の存在比は、各核種の半減期に比例(崩壊定数に逆比例)している2.(2)の1.参照)のだから、各段階における放射性同位体の系列別の存在比率は、出発物質の 238Uと235Uの存在比 137.88:1 にそれぞれの系列の同位体の親核種のウランに対する半減期の比をかけた比率になる。例えば下図の222Rnと219Rnの原子数存在比は、それぞれの半減期が3.825日=3.30×105秒と3.92秒で在ることを考慮すると、99.275×(3.30×105/4.51×109):0.72×(3.92/7.13×108)となる。
 もちろん、この存在比に各同位体の崩壊定数の比(1/3.30×105):(1/3.92)を乗じると各同位体の出す放射能の比率22:1になる。

トリウム系列

 

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3.成功理由と研究経過

)成功した理由

 ウランの崩壊産物であるウランXや、ウランに含まれているラジウムの崩壊産物であるラジウムエマネーションの示す奇妙な現象はラザフォードとソディによるトリウム系列の研究以前に様々な科学者により発見され研究されている。しかし彼らは正解を見つけることができなかった。
 当時同位体の概念は確立していなかったので、ウランの崩壊系列に238Uと235Uの二系統があることなど想像だにできないことだった。今日の言葉で言うと、化学的分離のすべての過程に二系列の同位体元素が混在しており、ウランXには4種類のThが、ラジウムエマネーションには2種類のRnが混じっていることになる。それらの示す混じり合った半減期がウラン系列の解明を非常に困難にしていたであろう。
 ラザフォードとソディが、様々な困難を乗り越えて謎を解明する事ができた理由は、ひとえに単一の崩壊系列であるトリウム系列中のトリウムX(ラジウム228Ra、224Ra)とトリウムエマネーション不活性ガスラドン220Rn)に着目したところにある。彼らは、今日の言葉で言うトリウム壊変系列において、化学処理によりトリウムとラジウムを分離し、そのアルファ放射能とラドン220Rn発生率を測定し、その挙動から壊変系列が核種の変換過程であることをつきとめたのである。

 

(2)電離箱と象限電位計

 ラザフォードはソディとの共同研究の前に、無線検波器の研究(1895〜1896)、レントゲン線による気体の電離の研究(トムソンとの共同研究、Phil. Mag. (5)42, p392〜407, 1896年)、ウランが出すベクレル線による気体の電離の研究(1897)、電離を手段として放射能の性質の研究を開始(1898)。その過程でラザフォードは放射線に二種類あることを見つけて透過力の弱い方をα線、透過力の強い方をβ線と呼んだ(Philosophical Magazine, (5)47, p109〜163, January, 1899年)。またその実験で電位計を用いた電気的検出法に精通した。

 下図は彼らが用いた測定装置である。左図の電離室は約6cm隔てて平行に置かれた二枚の導電性の板からなっており、細かい粉末にした試料物質を面積36cm2の白金版上に一様に広げる。下の導体板は100〜300Vの正電圧にしてある。放射性試料は二枚の板の間に連続的にイオンを生成するが、この電圧条件では、生成したイオンのほとんど全てが板に捕集される。
 上方導体板は右図の象限電位計の4個の象限電極板の内の一対に接続されている。他の一対の象限電極板は常にアースされている。二対の象限電極板の間にもう一つ別の極板が吊り線でつり下げられており、吊り線のねじりにより互いに対面して重なる部分の面積が変化するようになっている。一種の回転する平行板コンデンサーを形成している。帯電がすすむと電気的引力により、吊り線をねじって回転していく。

下図により象限電位計の原理を説明する。

 これは極微量の電気がある電位差を保っているとき、その電位差を測定する装置である。四つの扇形の金属箱(これが四象限式と言われる理由)のうち相対するものAとA’、BとB’は導線で連絡されている。Aに電荷が貯まることにより設置されているBとの間に生じる電位差を測定するものである。四つの箱の中央に図のような導電性の板状の針Nが吊してある。これは一種のねじり秤を構成する。この針には高い電位が他から与えられている。静電気力のためにこの板状の針はAB間の電位差(Aに貯まった電気量)に応じて通常の位置から回される。この回った角によりAB間の電位差(Aに貯まった電気量)を測定する。回った角度は針をつる糸に鏡Cを付け、この鏡で物差しの目盛りを反射させて読み取る。(別稿「絶対電位計と象限電位計の測定原理」参照)

 測定は以下の手順で行われる。まず、電離箱の上方導体板をアースした状態で試料を下の導体板上に設置する。次に上方の導体板のアースを絶つと、放射線によりイオン化した気体の電荷が上方導体板を通じて象限電位計の一対の極板(AとA’)に貯まっていく。それはもう一対のアースされた象限電極(BとB’)に反対電荷を誘導し、その間に電位差を生じる。象限極板の中に吊された高電圧をかけられている極板(針N)はその電場の中で静電気力による力により吊り線をねじって回転していく。その回転の角速度を吊り線に付けた鏡に映る物差しの目盛りを顕微鏡で読み取るか、光の反射スポットで読み取る。代表的な測定では100目盛りを通過するのに数十秒程度であった。
 象限電位計の象限極板の回転角速度は電離箱の二枚の板の間を流れるイオン化電流の強さを表し、そのイオン化電流の強さは放射線源の放射線能の強さを表す。つまり象限極板の回転の角速度が試料の放射能の強さを表す尺度となる。一つの測定が終わると電離箱の上方導体板は次の測定に備えてアースされる。この電気的方法の成功は、帯電過程の初期段階に測定をすませることにかかっており、その段階では一様な角速度が帯電の速度(イオン電流)に対応していると見なせる。測定時間中に上方導体板(AとA’)の電位はアース電位(BとB’)よりもそれほど高くはならなかった。

 この電位計はケルビンの発明によるが、補助コンデンサーをを象限電極系に並列に繋いでその静電容量を調節できるようにしてある。そうすることで感度を広い範囲にわたって変えられるようになっていた。つまり強い放射能に対しては大きな容量の補助コンデンサーを、弱い放射能に対しては小さな容量の補助コンデンサーを並列に繋ぐのである。
 この象限電位計は1901年ドレツァレックにより、系内の静電容量を減らす改良が加えられて、従来の100倍以上の高感度が達成できるようになっていた。その為1mgの酸化トリウムが示す放射能でも測定可能であった。

 この方法は、それまでの化学天秤による計測に比べて絶大な威力を発揮した。この電気的な方法では、天秤で検出される量の1兆分の1程度でも検出可能であった。また、極めて迅速な測定が可能であったので、放射性物質が出す放射能の減衰速度の違いを容易に測定する事ができた。放射能の減衰速度の違いから、放射性物質の種類の判別も即座に可能にした。ソディはこの装置の利用法を熱心に学んで、放射性物質の分離・同定・変化の追跡に存分に利用した。この装置無くして放射性変換説の解明は不可能であったろう。

 

)共同研究の経過

Ernest Rutherford & Frederick Soddy 連名の有名な論文は二報に分けて二つの雑誌に投稿された。また最終的な論文を1903に発表した。

  1. 1901年12月Journal of the Chemical Societyに投稿、1902年1月16日の学会の会合で口頭発表、1902年4月印刷公表されたものが
    E.Rutherford & F.Soddy,TheRadioactivity of ThoriumCompounds,I:An Investigation of the Radioactive Emanation,J.Chem.Soc.,81(1902)321-350,
  2. 続いて1902年4月29日に投稿、5月15日の会合で発表、1902年7月印刷公表されたものが
    E.Rutherford & F.Soddy,The Radioactivity of ThoriumCompounds,U:The Cause and Nature of Radio-activity,J.Chem.Soc.,81(1902),837-860,
  3. 彼らは、4月の論文(2.)とほぼ同じ内容の物だが、物理学者たちの関心に従って加除修正を行って1902年5月にPhilosophical Magazineに投稿した。そして1902年9月印刷公表されたものが
    E.Rutherford & F.Soddy,The Cause and Nature of Radioactivity,PartT,Phil.Mag.,4(1902),370-396,
  4. 続いて、12月の論文(1.)を改訂して「さらに進んだ理論的考察」の一節を付け加えたものを1902年6月に投稿、1902年11月印刷公表されたものが
    E.Rutherford & F.Soddy,The Cause and Nature of Radioactivity,PartU,Phil.Mag.,4(1902),569-585,
  5. 共同研究の最後に書かれ、放射性変換説を集大成する論文が
    E.Rutherford & F.Soddy,Radio-active Change,Phil.Mag.,5(1903),576-591

である。このうち3.はHPサイト http://web.lemoyne.edu/~giunta/ruthsod.html で見ることができる。また4.と5.は参考文献5.古典論文叢書に翻訳が掲載されている。

 

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4.ラザフォードとソディの実験

(1)トリウムエマネーションの放射能測定

 当時、放射性物質の近くに置かれたものが「誘導放射能」を持つことが知られていた。オウエンスとラザフォードは放射性物質によって生じる空気のイオン化の度合いが空気の流れに影響される事から、放射線にはトリウムから直接出るものとエマネーションから出るものの二種類があることに気づいた。そこで下図の装置を用いてトリウムから出る通常の放射能と、エマネーションを分離して、エマネーションの出す放射能を調べる実験をした。

 左側のガスメータから空気が容器A内の硫酸を通して送り込まれる。空気は管C内に置かれたトリウムから発生するエマネーションと共に、電極E、F、Hが設けられた管を通して右へ流れて行き、管の右下から放出される。空気流を一定の速さで流し続けると、電極E、F、Hを流れる電流は一定となる。管C内の試料からの単位時間当たりのエマネーション発生量は、電極に流れる電離電流に比例する量として測定される。また、E、F、Hの電流値減少の程度と、空気流量から導かれるエマネーションの移動速度と付き合わせることにより、空気を電離する能力(放射能に比例する)が時間とともに減衰する事が測定できる。
 この実験から、エマネーションの発生率は管C内の試料物質の質量に比例し、トリウムは放射能とは別のエマネーションという気体状の物を出している。そのエマネーションはさらに放射能を持っている。その放射能は約1分で半減することを確かめた。

 ラザフォードはエマネーションがイオントラップを無変化で通り抜ける事を確かめて、エマネーションがもし物質なら電気的に中性なものであろうと予測した。そして、彼は励起放射能はエマネーションが拡散し、そして沈殿することによる結果であると早くから予測していた。
 また、ソディは白熱するまで温度をあげた亜鉛粉末、マグネシウム粉末、白金粉末、クロム酸鉛などにエマネーションを通しても吸収も変化も受けない事を確かめた。そのことからラザフォードとソディは、エマネーションが不活性ガスに属する新元素かもしれないと思うようになる。
 しかし、この段階ではエマネーション発生能の本性は依然として謎だった。エマネーションがトリウムから出るのか、あるいはトリウムの中の未知成分から生ずるのか、またエマネーション生成の不規則性(これがトリウム化合物の吸蔵による、と解るのは1902年)の原因は何なのか、まだ何も解っていなかった。

[今日の知識による説明]
 この少し前にラジウムがエマネーションを出すことはドルンにより報告されていた。しかしウランがエマネーションを出すかどうかは、この時点ではまだ知られていない。そういった状況の中で、彼らは様々な実験と考察を通して[エマネーションが不活性ガスのような物質である]ということ、エマネーションはトリウムに含まれたトリウム以外の成分によるものではなくて、[トリウム自身により生成される物である]ということを明らかにしたのである。
 今日の言葉で言うと、エマネーションは不活性ガスのラドン220Rnであり、ラドン220Rnは半減期52秒で固体元素であるポロニウム216Po(放射性)に壊変する。ポロニウムは様々な物質に付着して、それをあたかも放射性物質であるかのように見せかけたのである。

 

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(2)トリウムからトリウムXの分離

 少し前に、クルックスはウランからウラン以外の放射能成分を取り出すことに成功していた。しかし彼は同じ事をトリウムに試みたが成功しなかった。当時様々な科学者によりトリウムの中に放射能の原因物質が含まれているのではないかと考えられており、その分離の試みがなされていた。
 そんな状況の中で、ソディは次図の実験を行った。

 彼らはトリウム(不純物を含む)の硝酸塩を水に溶かした後、水酸化アンモニウムを加えて水に不溶の水酸化トリウムとして沈殿させた。そして沈殿物と濾液を分離して、両方の放射能を別々に測定した。その結果は驚くべきものだった。

 沈澱した水酸化トリウムの放射能を調べたところ、この沈澱にはアルファ線放出の放射能の4分の1が残っていただけで、残りの放射能はすべて濾液として下のルツボに移っていた。また、エマネーションの発生能力のすべては濾液に移っていた
  ラザフォードとソデイは、放射能とエマネーション発生能力を持った未知の物質が、濾液に溶解されて含まれていると考え、この未知の物質をトリウムXと名付けた。

 ソディは沈殿物(水酸化トリウム)の放射能成分をトリウムから取り除く為の化学的分離の努力を続けたがどうしてもトリウムの持つ放射能を取り除くことができなかった。最初持っていた放射能の25%がどうしても残ったのである。

[今日の知識による説明]
 アルファ線放出の放射能は空気の電離量によって測られるので、測定される放射能は放出されるアルファ線の合計エネルギーに比例する。分離前の試料が示す放射能(電離箱を用いた測定によるもの)は2.(3)のトリウム系列図中に含まれる全ての放射性元素の放射能の和(α線のエネルギー和)である。
 それに対してトリウムと鉛の水酸化物沈殿として取り出されたものが示す放射能は232Th、228Thだけ(詳しく言うと放射性215Pbなども含まれる)の放射能和(α線エネルギー和)になる。トリウム232Thと228Thから放出されるアルファ線のエネルギーの和は、壊変系列全体で放出されるアルファ線のエネルギー合計の約4分の1にあたる。これが化学分離の際に4分の1の放射能が水酸化トリウムの沈殿に残っていた理由である。(2.(2)で注意した3つの性質参照)

これらの実験は1901年のクリスマス休暇前に行われた。この後彼らは休暇のために研究をしばらく中断した。

 

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(3)トリウムX放射能の減衰と、トリウム放射能の回復

 ソディは前項の実験で得られたトリウム沈殿物とトリウムXを含む濾液をクリスマス休暇の間放置していたのだが、3週間して研究所に帰って来たとき、両者の放射能を測ってみて驚くべき事実を見つけた。
 トリウム沈殿物の放射能が増加していたのである。そしてさらに驚いたのは、強い放射能を放っていた濾液の放射能はほぼ完全に失われていたのである。つまり、トリウムとトリウムXが分離されると、エマネーション発生能力の全部はいったんXの方に移るが、日が経つにつれてトリウムXのエマネーションの発生率は低下していき、エマネーションの発生能力を失っていたトリウムの方は少しづつエマネーション発生率を回復していったのである。

[今日の知識による説明]
 
濾液に含まれる228Raと224Raは元々崩壊平衡にあったので、その存在量は半減期に比例しており、それぞれの核種の単位時間当たりの崩壊数は分離した直後は、ほぼ同じである。
 そのとき半減期の長い(6.7年)228Raの方はかなりの期間放射能を出し続けるが、β崩壊なので電離箱による測定ではその放射能の変化をほとんどとらえることができない。一方224Raが放出するα線は電離箱でとらえる事ができるが、その短い半減期(3.64日)の為に急速にその放射能は減少したのである。
 崩壊平衡時に224Raを供給していた228Thは水酸化物沈殿として分別されて濾液の中には存在しない。そのため、濾液の中に存在していた224Raが崩壊してしまったらそれで終わりである。224Raの供給源である228Thが貯まるには、その親元素の228Ra(濾液に含まれている)の半減期(6.7年)程度の時間がかかるのだから。

 ソディたちが見つけたトリウムについての結論と同様な結果を、ベクレルはウランについて少し前に発見している。ウランを沈殿物と濾液に分けて放射能を含まないウランの調製を試みる中で、分離されたウランが通常の放射能を取り戻し、放射能を沢山発していた残余部分の方の放射能が失われていったのである。それを聞いたクルックスもこれを確かめる実験をしている。しかしながら、ベクレルは、これらの現象を誘導説で説明した。ウランはウラン化合物の成分を徐々に放射性の状態にする分離不能な放射性原因を含んでいる。放射化された成分はウラン化合物から分離でき、その誘導放射能を時間と共に徐々に消失する。一方放射性原因はウラン化合物の成分を放射性化し続けるというのである。

 ソディは様々な化学分析の手法を用いてトリウムXの分離を試みるが、その存在はあまりにも微量で物質として取り出す事ができなかった。しかし、その努力の過程でソディとラザフォードはトリウムXの生成はトリウムそのものに依存していることを強く確信するようになる。

[今日の知識による説明]
 
トリウムが崩壊してできるトリウムXは今日のラジウム(228Raと224Ra)なのだが、その半減期はウラン・ラジウム系列で生じるラジウム226Raの半減期の1/240以下である。また親元素の半減期は232Thの方が238Uよりも長い。そのため2.(2)の1.の説明から明らかなように、トリウム鉱石中のトリウムXは化学物質として分離するにはあまりにも極微量であった。その分離は、ウラン鉱石からラジウム226Raを分離する事と比較して、極めて困難だった。だからこれがラジウムである事が解るのはずっと後の事である。

 ソディはベルリンのクネフラーから純粋な硝酸トリウムを入手して、[不溶性水酸化トリウムの沈殿]と[可溶性のトリウムXの濾液]を調製した。それをラザフォードが電離箱と電位計で放射能測定して得た結果が次図である。(1902年3月27日〜4月24日)

 このグラフこそ、彼らが一連の実験で得た成果の中で最も重要なものである。1902年5月の段階でラザフォードとソディは、このグラフからトリウムの放射能の回復が、トリウムXの一定速度の連続的な生成とトリウムXの放射能の時間に関して等比級数的な減少によるものだと考えた。そのため分離前にトリウムが示した強度一定の放射能は、二つの相反する過程の平衡過程のあらわれだと考えることができるようになった。そして、これらの考察から、彼らは放射性元素において、壊変ないし変成の過程が一定の速度で進行していることを確信するに至った。

 しかし、残念ながらT、Uの曲線の最初の部分に見られる逆転の解釈については彼らは誤っていた。当時のラザフォードとソディはトリウムXによって直接的に刺激された励起放射能と考えていた。

[今日の知識による説明]
 
このグラフの解釈は難しい。
《注意1》
 まず最初に次のことに注意してほしい。別稿「放射性崩壊系列の数学」で求めた崩壊系列の解は、出発物質のみが存在して、それから生じる娘核種は最初存在量はゼロとして解いたものである。そのとき、最初から途中の核種が存在する場合は、それぞれの核種が、その存在量で出発物質として存在する崩壊系列(出発核種以降)の連立微分方程式を解いて、その全ての解を足し合わせればよい。放射性物質の崩壊速度は、その物質の存在量のみに依存して、他の物質の存在には無関係だから、その様な取扱が可能なのである。
《注意2》 
 次に注意すべき事柄は、薬品会社から購入したばかりの試薬は、トリウムを精製した後しばらく放置しておかれたであろうから、その試薬は崩壊平衡を実現していて、その中に含まれる放射性核種の存在比はほぼその半減期に比例しているだろうということです。
 正確に言うと、崩壊系列の中に長い半減期の核種(228Ra=6.7年、228Th=1.9年)を含んでいるため崩壊平衡に達する途中の段階にある。平衡が達成されるまでの変化の様子は別項「放射性崩壊系列の数学」3の例をご覧下さい。
 
[曲線Tの説明]
 濾液に含まれる228Raと224Raは元々崩壊平衡にあったのだから、濾液を調製分離した直後のそれぞれの存在量は半減期に比例しており、それぞれの核種の単位時間当たりの崩壊数は、ほぼ同じである。その存在比条件で228Raを崩壊系列の出発物質とする連立微分方程式を解く。同様に、224Raを崩壊系列の出発物質とする連立微分方程式を解く。そうして得られた二つの解(各核種の存在量の時間的変化を示す関数)を足し合わせたものが、各核種の存在量の時間的変化となる。また、各時間にそれぞれの核種が示す単位時間当たりの崩壊数は各核種の存在量に崩壊定数(=0.692/半減期)を乗じたものになる。そうして求めた各核種が各時間に出す放射能の合計が示す電離能力の時間的変化が曲線Tである。
 濾液に含まれるトリウムXはラジウム228Raと224Raから成り、228Raの方はアルファ線を放出しないので、ラジウム224Raの放射能がトリウムXの放射能である(べータ線の電離能はアルファ線に比較して小さい)。この放射能に比例してラドン220Rn(トリウムエマネーション)が発生する。アルファ線放出の放射能も、ラドン220Rnの発生率も共に約3.7日の半減期で減衰する。
 
[曲線Uの説明]
 沈殿物に含まれる232Thと228Thについても崩壊平衡が実現していたので、硝酸塩溶液から沈殿分離した直後は、それぞれの半減期に比例して存在している。その存在比条件の下で232Thが出発物質の崩壊系列と、228Thが出発物質の崩壊系列の連立微分方程式を解く。そうして得られた二つの解を足し合わせば、各時間に置ける各々の核種の存在量計算できる。その存在量から放射能強度を求めて足し合わせて得られるものが曲線Uである。
 沈殿物(水酸化トリウム)中の228Thは壊変してラジウム224Raになるので、沈殿中にはラジウム224Raが除々に生成され、放射能とラドン220Rnの発生率が上昇していく。半減期の2〜3倍の時間(約10日間)を過ぎると沈殿中のラジウム224Raは生成と壊変が釣合い一定値に飽和する。そのため放射能とラジウム224Raの発生率も一定値に飽和する。
 このあたりは別項「放射性崩壊系列の数学」3(1)(a)を参照されたし。そこのX1228ThでX2224Raと考えればよい。そこの3(3)の最後で注意したように、[各核種の単位時間当たりの崩壊数]=[各核種の存在量]×[崩壊定数(=0.692/半減期)]だからX2の存在量の少なさに惑わされないこと。228Thの半減期は224Raの半減期に比べて非常に長いため228Thの放射能はほぼ一定だから、放射能はまさに224Raの半減期で増大していくことになる。
 
[曲線T、Uの初期に見られる逆転の説明]
 この部分は、崩壊系列の後期の生成物212Pb(放射性)に由来する変化である。より正確に言うと、212Pbはβ崩壊しかしないから、そのβ崩壊産物である212Bi(半減期60分)と212Po(半減期0.3μ秒)のα崩壊の放射能である。この両者は半減期が極めて短いので、それらの放射能強度は親の212Pbの半減期(10.6時間)で変化する。
 トリウムの放射能回復曲線の初期に見られる落ち込みは、崩壊平衡にあった最初の試料の中に存在していた放射性鉛212Pb(半減期10.6時間)が、沈殿物と溶液に分離したとき、水酸化鉛としてトリウム水酸化物と一緒に析出して沈殿物の方へ取り込まれたために生じた。崩壊平衡時の量だけ存在していたものが半減期約10時間で崩壊したのである。そのとき沈殿物には224Ra(トリウムX)は含まれていないので、新たな212Pbの供給にはかなりの時間がかかるので二日も経てばその放射能の影響はなくなってしまう。
 また濾液のトリウムXの放射能減衰曲線の初期に見られる上昇も、やはり放射性鉛212Pbの生成によるものである。濾液を調製した直後には、濾液に212Pbは含まれていない。しかし、二日も経てばラジウム224Ra(半減期3.6日)を出発親核種とする崩壊平衡が達成されて、212Pbの存在量はその平衡値まで回復してくる。その為、最初の2日間に放射能が急に増大したのである。この当たりは別項「放射性崩壊系列の数学」3(1)(a)を参照されたし。そこのX1224RaでX2212Pbと考えればよい。

 ラザフォードとソディはトリウムで成功した後、長期(1902年3月〜9月)にわたる測定を実施してウランとウランXについても同様な指数関数的な変化を確かめている。これは彼らがトリウムで成功していたからこそ成し遂げることができたのであって、最初からウランとウランXを用いての成功はおぼつかなかったろう。
 事実、ウランXに付いては当初うまくいかなかった。1.で述べたクルックスのウランXの性質の発見(1900年)は、電離作用を用いてではなくて写真看板を用いた放射能検知からであった。2.(2)3.で注意したようにラザフォードが発見した二種類の放射線の内、アルファ線は電離作用は強いが、透過力は極めて弱く紙一枚で阻止された。一方、ベータ線は電離作用は極めて弱いが透過力はほぼx線に近いものを持っている。そのためクルックスが写真看板を包んだ紙は、アルファ線を止めたがベータ線は通したのでウランXを発見できた。ところがソディが当初用いた電離箱による方法ではウランXは検出できなかったのである。
 しかし、やがてソディもウランXはベータ線のみを放ちアルファ線は放たないことを知る。そして同僚のA・G・グリアが開発したベータ線専用の特殊電離箱を使って上記の事を確認したのである。(文献6.参照)

[今日の知識による説明]
 ウランもウランXを生成しトリウムとトリウムXが示すのと同様な指数関数的な放射能変化を示すが、それを実験的に確かめるのは極めて困難であったろう。
 なぜならトリウムX中の224Thの半減期は3.6日で、その増加と減衰のグラフを得るには3週間以下で足りたが、ウランX中の同位体(234Th、230Th)の半減期は、短い方(234Th)でも24日だから、放射能減数カーブを確かめるには4ヶ月以上が必要であった。また234Thの崩壊はα崩壊ではなくてβ崩壊だから普通の電離箱による測定ではうまく測定できなかったであろう。
 だからウランとウランXを追跡していた多くの科学者は成功できなかった。その意味で最初からトリウムに集中したラザフォードとソディは幸運だった

 ラザフォードは1930年、貴族に列せられたとき、ラザフォード卿の紋章としてキーウィ鳥に放射能強度の変化を表す指数関数のカーブを組み合わせたものにしている。このことからもわかるように、ラザフォードにとってこの発見はよほど誇らしく重要なものであったようだ。

 

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(4)エマネーション発生能の減衰と回復

 引き続いて彼らは、トリウムとトリウムXが分離されると、エマネーション発生能力の全部はいったんXの方に移るが、日が経つにつれてXのエマネーションの発生率は低下していき、エマネーションの発生能力を失ったトリウムの方は、反対に少しづつエマネーション発生能を回復していくことを確かめている。(下図参照)。

 そして、このカーブは前項(5)で得たトリウムとトリウムXの放射能(今日の言葉で言うアルファ線の放出)が示す増大と減衰にそっくりな挙動を示し、その半減期も同等であることを見つけた。

[今日の知識による説明]
 トリウムXはラジウム228Raと224Raから成り、228Raの方はアルファ線を放出しないので、ラジウム224Raの放射能がトリウムXの放射能であるとみなせる(べータ線の電離能はアルファ線に比較して小さい)。トリウムX(ラジウム224Ra)がアルファ粒子を出してラドン220Rnに崩壊するのだから、トリウムXの放射能(α粒子放出)とトリウムエマネーション(ラドン220Rn)の放出が同時に起こる。そのため、両者は共に約3.7日の半減期で減衰することになる。
 またトリウムがエマネーション発生能を回復するのは、分離されたトリウム中の228Thが崩壊して224Raが蓄積する事による。それは放射能(α線の放出)が回復していくのと同じメカニズムによる。

 しかし、彼らはこの結論に困惑した。なぜなら当時の彼らはトリウムXの放射能はトリウム(トリウムXではない)の変換のあらわれであり、エマネーションはトリウムXの変換の表れだと考えていたから。つまり、トリウムはある励起状態(これがトリウムX)になり、エネルギーの放射を行うようになる。そのエネルギーの放射がトリウムが示す放射能である。またトリウムXはさらに変換してエマネーションを生じると考えていた。(下図参照)

 だから、トリウムとトリウムXのエマネーション発生能そのものが、トリウムとトリウムXが示す放射能の変化と同様な変化を示すことは、彼らにとって意外な事実だった。彼らにとってエマネーションがトリウムXが獲得したエネルギー消散と同じ速度で進むことは、全くの偶然だと思われた。
 しかし、これはトリウムXがアルファ線とエマネーションの二つに分解することを強く示唆する結果だったから、1ヶ月後には、彼らはこの新しい見解に達する。

 ここまでの結論は1902年5月までに得られたものである。この段階で三つの大きな謎が存在した。

  1. ラザフォードとソディを含めて、様々な科学者により、ウラン及びそれから分離されたウランXの中に、あるいはトリウム及びそれから分離されたトリウムXのなかに、化学的分析ではどうしても分離できない二種類の成分があるらしい事が解ってきた。その二種類の存在は放射能の種類(α線放射、β線放射)の違いやその減衰の仕方の違いから予想されるようになったのだが、どうしてもそれらの実体を捉えることができなかった。
  2. 上記のトリウムとトリウムXが示す放射能の挙動と、トリウムとトリウムXが示すエマネーション発生能の挙動の対応関係の意味が不明だった。
  3. 前項(3)のグラフの最初の2日間に見られる放射能の急激な増大と減少の意味が不明だった。

[今日の知識による説明]
1.
の二種類の分離不能の物質は、今日の言葉で言えばウラン、ウランX、トリウム、トリウムXそれぞれの中に存在する二種類の同位体元素である。これらが分離できるようになるのはまだ後のことである。同位体の概念の知られていなかった当時においては混乱を深める物だった。
3.の原因が放射性鉛212Pbによるものと解るのはまだ後のことである。

 上記の疑問の中の2.については、1902年6月までにラザフォードとソディは新しい見方に達する。それはウランやトリウムの分離不能の放射能は、ウランXやトリウムXが生成されるとき同時に放射されるエネルギーで、ウランやトリウム自体が発していると見なせることに気づくのである。
 つまりトリウムは放射能を放出してトリウムXに変化する、トリウムXはさらに放射能を放出してトリウムエマネーションに変化する、トリウムエマネーションも放射能を放出してトリウムAへ変化するのである。(下図)

 このように考えれば、トリウムとトリウムXの放射能の増減の関係も、放射能とエマネーション発生能の対応関係も全てうまく説明できることに気づいたのである。これは決定的な前進だった。これを述べたのが前記論文4.に付け加えた「さらに進んだ理論的考察」の一節である。

 上に述べたように様々な疑問が未解決で混沌とした状態であったが、彼らはそれまでの結果を踏まえて、次なる課題はα線とはなにかエマネーションとはなにかを明らかにすることが先決だと見極めて、夏季休暇明けからその解明に全力を注いだ。 

 

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(5)α線の本質

 当時α線は陽イオンではないかという予測は様々な科学者がしていた。しかしアルファ線はどうしても磁場や電場で曲げることができなかったのである。そこでラザフォードはα線は電子(β線)に比べてはるかに重くて、高速で運動する粒子であろうという予測の下にα線の偏向を調べる実験に取りかかった。1902年の9月のことである。

 彼は、互いに接近(間隔1mm)しておかれた25枚の平衡板を並べた一辺数cmの偏向室を作りラジウム試料の上に置いた。下に置いたラジウムから出るアルファ線が通過してくるのを上に備え付けた箔検電器で測定する。偏向室を強力な電磁石極の間に置くとアルファ線がもし荷電粒子ならば偏向力を受けて偏向してスリットの壁に当たりスリットを通過する量が減るだろう。そして、その偏向方向はスリットの出口に置いた覆いCでスリットの左右どちらかの半分を塞いでみて、その影響を調べることで確認できるだろうと考えた。偏向室に水素ガスを流したのはラジウムからでる放射性ガス(ラジウムエマネーションRn)を吹き払うため。
 従来の電離箱と象限電位計の代わりに箔検電器を用いたのは放射能検知の感度を上げるためである。この検電器は細長い金属板を絶縁物で支え、その上端近くから細長い金箔を吊り下げたものにすぎないが金属小箱のすぐ上に設置することができた。この金属板と金箔に同種の電荷を与えておくと互いに反発して金箔は金属板に対してある角度に開く。平行板の間隙を通り抜けてきたアルファ線の作るイオンの中で金箔・金属板と反対電荷のイオンが金箔・金属板に引きつけられて、それらの電荷を中和し金箔は次第にしぼむ。ラザフォードは、外箱のガラス窓をとおして望遠鏡でこの箔の降下を見守り、箔の縁が接眼鏡内の目盛尺を通り過ぎる時間を測定した。彼は金箔の降下速度によって放射線の強度を測定したのである。(参考文献6.)

 実験の結果は、アルファ線は確かに磁場により偏向しており、偏向の方向はアルファ線が正に帯電していることを示していた。
 また、ラザフォードは静電場中での偏向も調べた。アルファ粒子を偏向させる為には極板間電圧に高電圧を必要とするため極板間スパークに悩まされた。そのため正確な測定は困難であったが、なんとか求めることができた。電場による偏向量と磁場による偏向量を用いてα線のm/eの値を見積もってみると、β線よりも桁違いに大きくて、原子レベルの大きさを持つことが解った。この事実は彼らの理論に大きな進展を与えた。(ラザフォードは、これらの実験をさらに良い精度で繰り返して、1906年、α線粒子のm/eが水素イオンの2倍であることを見つけている。参考文献6.等参照)

 それまで彼らは他の多くの科学者と同じように、放射能というのは物質ではない(X線の様な)エネルギー波のようなものが連続的に放射される現象だと思っていた。β線の放出も、その実体が電子である事が当時解ってきていたが、それを原子の一部と考えるにはあまりにも小さなものだったから、やはり連続的に放射される何かの成分にしかすぎなかった。
 だから放射能の様々な半減期による変動も、それらの放射成分のエネルギーが何分間か、何時間か、何日間かにわたって徐々に連続的に流れ出す現象だと考えられていた。
 それが今や、原子レベルの大きさの固まりが、不連続的に、かつ一気に放出される現象であると解ってきたのである。

[今日の知識による説明]
 ソディは1903年7月にイギリス(ロンドン)のラムゼーの研究室でラムゼーと共に、ラジウムウエマネーションをガラスの毛細管に分離し、何日もかかって分光計で検査した。その結果ヘリウムのD3線が間違いなく存在する事を確かめており(W.Ramsay,F.Soddy,Gases Occluded by Radium Bromide,Nature,68(1903),246.)、ラジウムエマネーションからヘリウムが生成する事を確認している。しかし、この時点ではエマネーションがα粒子を放出する事は解っていなかったので、α粒子をこのようにして生じたヘリウムと結びつけることはできなかった。
 α粒子がヘリウムの原子核であることが解ったのは、1908年にラザフォードとロイズによってなされた実験(E.Rutherford and T.Royde、Phil.Mag.17(1909)、281)(参考文献5.に翻訳あり)によってである。彼らは放射性物質から出るα粒子をガラス管の中に集め、それを放電管に導いて発光させた。そしてスペクトルがヘリウムのそれと完全に一致することを確認した。この時点に至ってα粒子がヘリウムの原子核(ヘリウム4)であることが確定する。 

 

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(6)エマネーションの本質

[今日の知識による説明]
 4.(3)項で述べたように、トリウム崩壊物のラジウム228Raを分離するのは、その短い半減期故にその存在量は極微量だったから、極めて困難だった。それに対して、ウラン崩壊物のラジウム226Raはかなり長い半減期(1622年)を持つから崩壊平衡にあるウラン鉱石中にはかなりの量が含まれている。そのため、化学的に分離して元素として取り出すことが可能であった。(ラジウムは2族のアルカリ土類金属なので、バリウムと同じ化学的性質を持つ)
 当時、崩壊系列の半減期から解るようにウランXはトリウムXと違ってエマネーションを出すようには見えなかった。このことは依然として謎であったが、ウラン鉱石中から分離されたラジウムは多量のエマネーションを放出することが解っていた。
 ラジウムが示す強い放射能から、当時の科学者はラジウムがウランやトリウムと同じような根源的な放射性元素だと考えていた。そのため、ウランやトリウムと同じようにエマネーションを放出する物質であるラジウムXがラジウム中に含まれているのではないかと考えて、その分離に多くの努力を続けたが成功しなかった。その理由は今日の知識から明らかである。ラジウム(226Ra)そのものがエマネーションを放出する物質だったのだから。

 トリウムX(224Ra)から出るトリウムエマネーション(220Rn)の半減期(52秒)は非常に短いため定量測定が可能なほど蓄積しないが、ラジウム226Raから出るラジウムエマネーション(222Rn)の半減期(3.8日)は6000倍も長いので容易に多量が蓄積する。多量に蓄積されたエマネーションは、その奇妙な変動をはるかに誇張したかたちで示す。そのため、ラザフォードとソディはエマネーションの本質を調べるためにトリウムエマネーションの代わりにラジウムエマネーションを用いることにためらいはなかった。
 彼らはまずラジウムエマネーションの示す不安定性は固体塩化ラジウムが示す吸蔵に由来するものである事を、溶液状態での発生能と比較することにより明らかにした。
 次に彼らは、ラジウムのエマネーションが反応性の高い試薬の中を通しても変化を受けないことから、トリウムエマネーションと同じように化学反応をしないことを確かめた。
 また1902年10月以降空気の液化装置を利用できるようになり、トリウムやラジウムのエマネーションを液体空気で冷却した螺旋管を通すことにより、それがマイナス150度付近で凝縮する事を確かめた(今日わかっていラドンの沸点は-61.7℃、融点は-71℃)。
 さらに、エマネーションの出す放射能の減衰曲線は、エマネーションが凝縮しているかいないかには全く影響されないことを確かめている。
 彼らはこれらの一連の実験から、トリウムやラジウムのエマネーションが、その少し前にラムゼーにより発見されていた希ガス(ヘリウム、ネオン、アルゴン、クリプトン、キセノン)と同グループに属する、化学的に不活性なガス状態にある未発見の元素(つまり原子)であると確信するに至った。
E.Rutherford,F.Soddy,Condensation of the Radioactive Emanations,Phil.Mag.,5(1903),561-576

 

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5.放射性変換説

 アルファ線やエマネーションのなんたるかが解ってきので、ラザフォードとソディは今や放射能を伴う不可思議な現象の全体像を見通すことができるようになった。つまり個々の物質から出る放射線は全てその原子の崩壊に伴うもで、親原子はα粒子(ときにはβ線の電子の場合もある)を放射して別な原子に壊れる。そして放射能は原子の変化の表れではなくて、崩壊という作用そのものの一部だったのだ。そしてα粒子の放出こそが、放射能に伴うエネルギーと質量の損失を引き起こすのだとはっきりと理解した。(下図参照)

 ラザフォードとソデイは、以上述べた実験結果から、トリウムからトリウムXが生じ、トリウムXからは気体であるエマネーションが発生し、エマネーションは更に気体から固体の微粒子となって周囲の物質に付着し、これらに放射能を持たせる。これらの変化は化学変化ではなく、元素の壊変過程であり、放射線はこれらの変換過程に伴って放出されると考えた。これが放射性変換説である。

 彼らは放射性変換説を説明する最終的な論文を1903年4月中にまとめ、5月1日印刷公表した。これが有名な論文
E.Rutherford & F.Soddy,Radioactive Change,Phil.Mag.,5(1903),576-591
である。(参考文献5.古典論文叢書に翻訳あり)

 次図は彼らの最終論文に掲載されている崩壊系列の図です。
 ラジウムの系列に関しては、ラジウムの崩壊の速さがウランやトリウムの百万倍も早いのは、その崩壊の寿命(半減期)が短い(彼らは2,3千年より短いと予想)からで、そのため自然界における存在量が非常に少ないのだと述べている。そのためラジウムは鉱物中に存在する他の元素の一つが崩壊してできる崩壊系列の途中の産物であろうとはっきり予想している。今日の知識で言えばまさにウランの崩壊産物がラジウムなのだが、この段階ではまだ、そこまで言い切っていない。
 この段階では、最終的に生成されるのが鉛Pbの安定同位体であることは解っていない。また、この時点では崩壊に伴って放出されるα粒子(あるいはβ粒子)が一つなのか複数なのかは解っていないが、おそらく一つの親原子から一つの放射線(α粒子orβ粒子)を出し1個の原子に崩壊するのだろうと述べている。崩壊に際して一つの親原子が一種類以上の子原子を作る証拠はないので、崩壊系列は1列の連続的なものであろうと予想している。

 彼らは、これらの過程が単分子化学反応と類似していることを、すでに1902年6月に気づいていたが、この段階でははっきりと指数方程式をとりいれて、放射性変化の法則を説明することができるようになった。そして今日の言葉でいう崩壊定数λを導入し、放射能の現象の複雑さは、それぞれ異なる崩壊定数をもった、互いに同時に変化している幾つかの違った型の物質が共存することに起因するということをはっきり理解した。まさに、この方程式は壊変の原因が、原子そのものに基づく自然発生的なものであることを示していたのである。

 論文の最後で放射線のエネルギーについて興味ある解析をしている。
 放射性壊変の詳細は完全には解っていなかったが、ラジウムについてはアルファ粒子の放出を伴う五つの崩壊過程が知られていた。これによってラジウム原子の壊変に伴うエネルギーの最低値(アルファ粒子のエネルギーの五倍)が求められる。当時アボガドロ数はほぼ知られていたのでラジウム1g中の原子数は大体解っていた。したがって1gのラジウムの壊変に伴って放出される全エネルギーを計算してみると1憶cal/gの大きさになる。これは酸素と水素がら水1gができるときの反応熱4000cal/gに比較すると2万倍以上、ことによると100万倍であるかもしれない事を注意している。
 また、当時1個のイオンを作るのに必要なエネルギーはほぼ解っていたので、ラジウム・ウラニウム・トリウムが単位時間に放出するエネルギー値はその電離作用から計算できる。この値をアルファ粒子放出に伴うエネルギー値で割って、この三つの放射性元素の1gが単位時間に壊変する個数を計算できる。そしてラジウムの半減期は約1千年、ウラニウムやトリウムの半減期は約10億年を見積もっている。(この当たりは高校物理の知識で理解できるので源論文を読んでみられることを薦める。)
 そして最後に、原子の壊変から出てくるこの莫大なエネルギーが、放射性元素以外の元素にも封じ込まれているのではないか、また宇宙物理学における太陽エネルギーの源もそれかも知れないと予言している。

 

 ラザフォードはその後1907年までマギル大学に在職しα線の本性の探求と、それを用いた散乱実験を行う。1907年からマンチェスター大学に移る。1908年「元素の崩壊および放射性物質の性質に関する研究」によりノーベル化学賞を受賞。また、そこで行った実験から有名な有核原子モデルを提唱する。そして多くの有能な人材を育てた。1919年キャベンティッシュ研究所の所長に就任し、1937年に亡くなるまでケンブリッジ物理学の黄金時代を主宰した。
 一方ソディは1903年10月からグラスゴー大学に職を得て、そこで放射性物質の化学的ふるまいに関する理論を発展させ、変位則(元素がα線を放出すると原子番号が2ほど低い元素にかわり、β線を放出すると原子番号が一つ大きな元素になる)を提唱、同位体の概念(1913年、参考文献5.に翻訳あり)を発表した。その後1914年 スコットランドのアバディーン大学、1919年オックスフォード大学の教授となり、1921年「放射性物質の化学に関する研究」でノーベル化学賞を受賞した。

 

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6.参考文献

 原子探求の森に分け入っていくには、放射能とは何かの理解が不可欠でした。ラザフォードとソディによる放射性崩壊解明の過程を説明してくれているのが文献1.です。これは、この分野の基本的文献なのですが、この本は持って回った表現が多く非常に難解な文章で、そのまま読んでも、何が言いたいのかよく解らない(それだけ当時の科学者は混沌の中にいた)。それで、いつかこの内容を解説するHPを作りたいと思っていました。

 しかし、この本を理解するには実際の[崩壊系列の知識]と、その[崩壊系列が示す動的な振る舞いの数学的な理解]が不可欠です。それらをあらかじめ理解しておかないと、説明を読んでも混乱するばかりです。そのため長い間棚上げ状態でしたが、最近「放射性崩壊と半減期」4.と「放射性崩壊系列の数学」の準備ができたので作ることができました。

 作ってみて改めて感じるのは、この問題は多くの科学者が全精力を傾けて取り組んだ当時の最先端のテーマだったということ、その解明の過程が示す科学研究の醍醐味と興奮、そして解明に成功したラザフォードとソディの運の良さです。幸運の女神は、最大限の努力を為した者に頬笑むようですね。
 

1. T・J・トレン著、島原賢三 訳「自壊する原子」−ラザフォードとソディの共同研究史− 三共出版 1982年刊
2. 崩壊系列の数学については http://ksgeo.kj.yamagata-u.ac.jp/~kazsan/class/geomath/ex16.html
3. エミリオ・セグレ著、久保亮五、矢崎裕二訳「X線からクオークまで」みすず書房、1982年、61〜79頁
4. スティーブン・ワインバーグ著、本間三郎訳「電子と原子核の発見」日系サイエンス社、1986年、136〜150頁
5. 物理学古典論文叢書7「放射能」、東海大学出版会、1970年、103〜200頁

2009.12.11追記
 このページを読まれた高校生諸君に下記の本を読まれることを是非薦める。今日絶版になっていますが、図書館にはきっとあると思います。
6. アルフレッド・ロマー著 現代の科学29「原子の探求」 河出書房新社(1969年刊)
 このHPで取り上げた実験を含めて多くの具体的な手法が詳しく書いてある。ここの話以降についても詳しい。このページで説明した崩壊系列の実際とその数学的挙動を参照されて読まれると良く解ると思います。
7. エドワード・N・ダ・C・アンドレード著 現代の科学6「ラザフォード」 河出書房新社(1967年刊)
 歴史的な流れが良くわかる。そしてこれはラザフォードの評伝として秀逸です。アンドレードは、ラザフォードが育てた多くの弟子・共同研究者の内の一人です。

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