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Einsteinの光量子論(1905年)

 “光量子説”を最初に唱えたアインシュタインの論文(1905年、3/18 Received、6/6 Published)を紹介します。これは5月に友人のハビヒトへ出した手紙の中で、“真に革命的な仕事です”と自らも認識していた論文です。
 以下の訳文は文献1.より引用した。左端に記入の数字は原論文のページ数です。ただし、解りやすくする為にかなり改変しています。元の表現はこちらでご確認下さい。

導入


 

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§1. 「黒体輻射」の理論に関係するひとつの難点について









 下記文章の波下線部の意味については別稿「プランクの熱輻射法則」8.(4)[補足説明3]を、あるいは別稿「調和振動子」2.(3)などを復習されたし。


 上記の“Planckの「量子仮説」の提言”とは別稿「プランクの熱輻射法則(1900年)」8.(3)で説明されているものです。ただし、この【エネルギー量子説】の提言を論文の文章から読み取りとるのはなかなか難しいのも事実です。
 上記で Einsteinが翌年1906年に発表する論文は別稿「アインシュタインの光量子論(1906年)」で紹介していますのでご参照下さい。


補足説明1
 上記のPlanckの論文は
物理学史研究刊行会編「物理学古典論文叢書1 熱輻射と量子」東海大学出版会(1970年刊)
10.「非可逆的な輻射現象について」(§128〜132、§175〜187、§159)
M. Planck,“Ueber irreversible Strahlungsvorga¨nge”, Sitzunsber. Berl. Akad. Wiss. vom 18. 5. 1899年;
のことで、
Annalen der Physik, vol.306, (4).1, p69〜122, 1900年 に再録されたもの(邦訳版はこちら)を指しています。
 これはSitzungsber. Berl. Akad. Wiss. に発表した一連の同じ題目“Ueber irreversible Strahlungsvorga¨nge”の5編の論文1897年(2/4、7/8、12/16)、1898年(7/7)、1899年(5/18)の最後のもので、それらの総まとめの論文です。プランクの考え方をたどる上で最も重要な論文ですが、かなり難解です。
 上記でEinsteinが言及している関係式の導出部分は別稿「プランクの熱輻射法則(1900年)」3.(1)3.をご覧下さい。


[補足説明]
 別稿「プランクの熱輻射法則(1900年)」8.(5)を、あるいはレーリーの1900年6月の論文を復習されたら解るように、上記の式は“Rayleigh-Jeansの式”と言われるものです。
 ただし、本論文の訳者が上記で注意されている用に、この式をEinsteinは独自に導いたと考えるべきです。(実際Paisは、文献14.の§19bに於いて、もう少し詳しく説明しています。)
 
 すなわちEinsteinは、古典統計力学のエネルギー等分配則

のEと、Planckが電磁気学的な考察より得ていた

のEが等値できるものとして、以下の手順でもとめたと考えるべきです。

となり、いわゆる“Rayleigh-Jeansの式”が得られる。

 

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§2. Planckが行った素量子の決定について



補足説明1
 上記のPlanckの1901年論文は別稿で引用しています。ただしこれを読まれるより、上記の“Planckの公式”については別稿「プランクの熱輻射法則(1900年)」8.(5)を復習された方が解りやすいです。
 また定数α、βの意味については、そこを復習されると解るようにα=8πh/c3、β=h/kBです。今日の値h=6.626×10ー27erg・s とk=1.381×10ー16erg/K を用いると α=8×3.14×6.626×10ー27/(3.0×10103=6.16×10ー57g・s2/cm, β=h/k=6.626×10ー27erg・s /1.381×10ー16erg/K=4.80×10ー11s・K となります。
 また、下記のT/νの値が大きいときの極限移行についてもそこを参照されたし。


補足説明2
 Planckが黒体輻射の理論とその観測値から“アボガドロ数”をかなり正確に求めているのですが、それとは独立にEinsteinは§2でアボガドロ数の新しい求め方を提案していると見なすべきかも知れません。(実際、Paisは文献14.§19b で、その様に見なしています。)
 すなわち、EinsteinはPlanckの熱輻射公式のT/νが大きいときの極限式

と、§1で求めた(A)式(いわゆる“Rayleigh-Jeansの式”)が等値できるとして、つまり 【自分の求めた(A)式】【Planckが求めた公式のT/νが大なる部分の公式(B)】 が等しいと見なせとしてアボガドロ数を求めて見せたのです。

すなわち、Einsteinはアボガドロ数の新しい求め方を提案しているのだと言えないことはない。
 
 ただし、上記(B)式はプランク公式のαとβの実体を代入すれば、

となりますから、熱輻射法則からアボガドロ数を求めて見せたのはPlanckが最初であることは変わりませんし、Einsteinもその事を確認する意味で§2を記したのでしょう。Paisの見方は穿ちすぎの勇み足だと思います。
 ただし、Einsteinは本論文の次に発表するブラウン運動の論文で、【ブラウン運動の観察からアボガドロ数を求めるまったく新しい方法】を提案します。更に彼の【学位論文の中で新しいアボガドロ数を求める方法】を提案します。学位論文の提出・認証はブラウン運動論文発表より先なのですが、外部への発表は時期的に遅れますので、これが、アインシュタインが提案したアボガドロ数決定法の二番目と言えます。
 【Planckの熱輻射法則から求める方法】は、【Loschmitによる粘性係数を用いる方法】に続く第2番目のアボガドロ数の測定方法ですが、この黒体輻射のPlanck理論もアボガドロ数を決定する有力は方法である事を、Einsteinは、この段階で明確に認識していた。だからEinsteinはアボガドロ数測定法として第3番目と第4番目の方法を提案したと言えます。
 このことに付いては別稿「アボガドロ数の測定法」1.[補足説明2]を復習されたし。
 
 また、Einsteinは本論文の§8で“プランク定数”hを求める新しい方法をそれとなく暗示・示唆しています。この段階ではまだ明確な提示ではありませんが、この論文に続く1906年の光量子論第2論文で、その事は明確に提示されます。そして実験家がそれを実行してhを求める事を促しています。
 
 Einsteinの理論的考察は常に現実の物理現象の説明や、具体的な物理量の決定を目的におこなわれた事に注意して下さい。ただし、§2の議論はアボガドロ数を求める事ではなくて、次文で述べる事柄が主眼だったのでしょう。


 

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§3. 輻射のエントロピーについて







補足説明1
 ここは、何が言いたいのか解りにくいと思いますが、要するに最後の文節で述べている事が言いたいのです。
 つまり、§4で展開する【黒体輻射の法則であるWienの輻射分布則】から【輻射のエントロピー関数】を求めるやり方の理論的妥当性を保証するための説明です。

 

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§4.輻射密度が小さい場合の単色輻射のエントロピーに関する極限法則



 上記のWienの輻射の分布則を導いた1896年論文(物理学史研究刊行会編「物理学古典論文叢書1 熱輻射と量子」東海大学出版会(1970年刊)の第6論文)を別稿で引用していますのでご覧下さい。

補足説明1
 Einsteinは、上記の【Wienの分布法則】から出発するのですが、当時すでに真に正しい事が解っていた【Planckの熱輻射分布法則】を何故用いなかったのかは、科学史家にとっていつも議論になるところです。
 彼がPlanckの分布則でなくて、Wienの分布則を利用したのは、Wienが彼の分布則を導いたメカニズムの中に、光量子説を導く上での何か本質的なものがあると感じていたからでしょう。
 先に説明した§2の議論は、その最後の文節で述べている様に短い波長と小さい輻射密度の領域に対しては有効性を失うのですが、【Wienの分布法則】その領域で正確だったのです。
 別稿で引用しているWienの1896年論文をお読み頂くと解るように、Wienの用いた論理展開と、それから導かれた結論の式は当時の物理学者に取っては、まことに奇妙な主張でして承服しがたいものでした。しかし、Einsteinだけは、ウィーンが用いた気体分子運動論的な議論の中には、何か本質的なものがあると感じていたのでしょう。
 
 実際、【Wienの分布法則】のβはh/kですから、この式は

である事に注意して下さい。
 これは別稿「ファインマンU.15.“統計力学の原理”」で説明した
【ボルツマンの法則】

や、【気体分子の速度分布則】

などの表現式とそっくりです。
 Einsteinはこの点に着目したのかもしれません。
 
 たたし、Einsteinが本論文を執筆した1905年は、まだ “プランク定数”h や “ボルツマン定数”k の意味も良く理解されておらず、上記の二つの式についても確立した理解には至っていない混沌の時代だったことを忘れないで下さい。実際のところ、Einsteinは本論文中に於いては何処にも用いておらず、(R/N)β(これはに相当)やR/N(これはに相当)を使い続けています。


補足説明2
 ここの式変形は別稿「プランクの熱輻射法則(1900年)」4.(4)1.[補足説明2]で説明した式変形の逆をたどることと同じです。ただし、Planckは【振動子のエネルギー密度関数】で行ったのですが、Einsteinは【輻射場のエネルギー密度関数】から直接出発していることに注意。
 【その黒体輻射場のエントロピー密度関数】を求めるのに、真に正しい【Planckの輻射場のエネルギー密度分布関数】ではなくて、近似的にしか正しくないWienが1895年に求めた【Wienの分布法則】を利用しています。

上記【訳者注のO】もこの計算過程を示している。
 
 真に正しい【Planckの輻射場のエネルギー密度分布関数】を利用すると上記の計算はどうなるかを補足しておきます。
 別稿「プランクの熱輻射法則(1900年)」7.で説明した式変形あるいは、そこの7.[補足説明3]の式変形の逆をたどれば良い。もんろん、ここでは【輻射場のエネルギー密度分布関数】ρ(ν,T)から【輻射場のエントロピー分布密度関数】φ(ρ,ν)を導けば良いので、電磁場(輻射場)のエネルギーと振動子のエネルギーを繋ぐ関係式は必要ありません。プランクの用いた記号を、ここのアインシュタインが用いた記号に置き換える必要があります。このときプランクはcgs・gauss単位、アインシュタインはcgs・emu単位を用いていることに注意して下さい。
 いずれにしても、

となります。
 この式は前出の式とほとんど違いませんので、前出の式の代わりに用いて以下の議論を展開すると、同様な(1)式が得られるはずです。Einsteinはこちらの式を用いても良かったのではないでしょうか?
 ただし、1909年論文「輻射の問題の現情について」に至って、【プランクの分布則”】では無くて、【ウィーンの分布則】を用いたことの妥当性が明らかになる。



補足説明3
 上記文節で “(1)式は理想気体あるいは希薄溶液のエントロピーと同じ法則に従って体積の関数として変化すると言うことを、この方程式は示している。” と言っていますが、上記の(1)式を、§5で導く(2)式と混同しないで下さい。これは、Wienの輻射分布公式からEinsteinが彼独自の考察により導いたものです。
 このエントロピーの求め方は、プランクがエントロピーから熱輻射公式を導いたやり方の丁度逆の手順を利用するものです。Einsteinは、1900年以来プランクの熱輻射論を詳しく研究・検討していましたから、このやり方はすでに承知していたはずです。
 
 ただし問題なのは、§4.[補足説明2]で注意した様に、真に正しいプランクの熱輻射分布式を用いないで、高振動数・低エネルギー密度の領域でしか正しくないWienの輻射分布式を何故もちいたのかです。
 §4.の最初でEinsteinは「ただし我々の結果がある限界内でのみあてはまることを心にとどめておく。」とわざわざ断っていますのです、当初より輻射の粒子性が顕著に表れるのは【振動数が高いところ】であり、【輻射強度が小さい(温度が低い)所】であると思っていたようです。それならば、プランクの輻射分布式よりも、高振動数部分でのみ正確であるWienの輻射分布則を用いるべきだという思いがあったのかも知れません。
 実際、後の1909年論文の段階になると、そのことを明確に説明することができるのですから。

 

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§5. 気体および希薄溶液のエントロピーの体積依存性に関する分子論的研究





補足説明1
 本節前半の上記の説明は、何かまわりくどい説明なのですが、Einsteinがわざわざこのようなまわりくどい説明をしたことについては、Pais文献14.「4.エントロピーと確率」090以降をご覧下さい。彼自身の“確率の定義”を明らかにする思いがあったようです。








補足説明2
 上記原注1)の内容の補足です。ここで言っている“ボイル・ゲーリュサックの法則”(これは【理想気体の法則】です)が導けるとは、別稿「プランクの熱輻射法則(1900年)」9.(1)5.の後半部でプランクが説明している事柄と同じです。
 すなわち、熱力学におけるエントロピーの定義式(熱力学第二法則)

に於いて、エントロピーは完全微分だから

が成り立ちます。この二番目の式から

が得られる。

補足説明3
 もともとこの(2)式【可逆過程の熱力学第2法則】【理想気体の法則】から導けるものです。つまり、上記[補足説明2]で示されている様に、(2)式【熱力学第2法則】から【理想気体の法則】が導けたのですから逆に議論すれば、この二つの法則から(2)式は得られます。
 実際のところ、たとえば別稿「絶対温度とは何か(積分因子とは何か)」6.(4)3.における結論

に於いてT=T0であり、モル数:n=粒子数/N (N:アボガドロ数)である事を考慮すると

となり(2)式が得られる。ただし、最後の式では粒子数をnで置き換えていることに注意。
 これが、§4の終わりの方の文節で “(1)式は理想気体あるいは希薄溶液のエントロピーと同じ法則に従って体積の関数として変化すると言うことを、この方程式は示している。” と言っている事柄です。
 
 
 しかし、上記§5の最後の文節でEinsteinは、ここでは(2)式を得るのに【理想気体の法則】のような分子の運動を支配する法則など用いることなしに導いたと言っています。
 すなわち、Einsteinは上記の(2)式を、“Boltzmannの原理”を用いて、独自の方法で導いたのです。このことに付いては、Pais文献14.「4.エントロピーと確率」088-02以降を参照して下さい。

 

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§6. 単色輻射のエントロピーの体積依存性の表式を
     Boltzmannの原理にしたがって解釈すること



 ここは、解りやすいように展開の仕方を少し変更しています。元の表現はこちらでご確認下さい。



 上記21.編集者注の後半の意味については、吉田文献「光の場、分子の海」p43の最後の文節、あるいは吉田文献「思考の飛躍」p136_137を、あるいはシュポルスキー文献9.§116.“光の場のゆらぎ”をご覧下さい。
 上記の第4論文は別稿で引用していますので、そちらを直接ご覧頂くのも良いかも知れません。

補足説明1
 上記の文節の説明を補足します。
 まず、前半の“それと同温度にある分子の平均活力は(3/2)(R/N)Tであるが”の所ですが、これは別稿「音速の理論2」1.(2)や、別稿「気体の動力学的理論の説明」6.などを復習されて下さい。

補足説明2
 上記文節後半部の“Wienの公式を基礎とするとエネルギー量子の平均の大きさは

から得られる。”のところですが、この式は以下の様に考えれば良い。
 まず上式分母積分中の被積分関数

は、振動数がνの輻射場のエネルギー強度を表している。だから、それを振動数νの光量子1個の持つエネルギー値(R/N)βνで割った

は、振動数νで幅dνの輻射エネルギー強度を担う光量子の数を表している。それ故に、それをν=0〜∞まで積分した

は、「黒体輻射」全体の中に含まれる“光量子の総数”になります。
 そのとき、最初の計算式の分子積分値

は、「黒体輻射」の中に含まれる輻射の“総エネルギー”です。
 ところで、「黒体輻射」の中に含まれる輻射の1個当たりのエネルギー量子の平均的な大きさは、“総エネルギー量”を、その中に含まれる“光量子の総数”で割った値ですから、最初に述べた計算式で求められる事になります。
 
 次なる問題は、実際の積分計算ですが、それには

と見なして、不定積分公式

を用いれば良い。
 実際の計算は次の様になります。

それ故に最終的な答えは

となります。
 つまり、体積V中の黒体輻射場を構成する光量子の持つ一個当たりの平均のエネルギー値は、単分子気体が同じ温度で同体積内に存在するとき、単分子気体一個当たりの持つ平均の(運動)エネルギー値の2倍程度であることが解る。

補足説明3
 Einsteinの論法はなかなか解りにくいのですが、要するに、
 【輻射密度に対するウィーンの公式から求めた単色輻射のエントロピーの体積依存性の表式(1) 〔これは§4で求めた〕】

 と、
 【Boltzmannの原理にしたがって求めたエネルギー全体が体積vの部分に集中している確率を表すエントロピーの表式(2) 〔これは§5で求めた〕】

を比較することで、アインシュタインが求める確率が

に等しい事を見出した。
 このことは、言葉を変えれば、

である事を意味し、これは十分短い波長を持つ輻射はあたかも
 “ n=E/hν 個の独立な微粒子からできている”
かの様に振る舞う事が解るということです。
 これは確かに、アクロバットの様な論法です。アインシュタインの考え方の奔放さに驚かされます。
 
 同じ説明をトレースしているシュポルスキー文献9.§116の【光量子の発見】の解説や、広重文献§15-3をご覧下さい。
 シュポルスキー文献9.§116の【気体密度の揺らぎ】、【統計物理から解る光子の性質】ではアインシュシタインの光量子説(1909年論文)についても説明されています。
 
 
 広重文献§15-3の中では、本論文に続く1906年、1907年論文についての解説もされています。また広重文献中で述べられている 1906年の光量子説第2論文に関係するEinsteinの1903年論文 については広重文献§9-4や、江沢文献「統計力学へのアインシュタインの寄与」や、Pais文献「4.エントロピーと確率」をご覧下さい。

補足説明4
 §6の最後

の様に述べていますが、このことは極めて重要です。それは、この論文の題目を“光の発生変脱とに関する一つの発見法的観点について”としている事からも解ります。
 今までの光と物質との相互作用のメカニズムとしては、H.Hertzの偉大な研究「Maxwell理論による電気的振動の力」(1889年)に基づいたものしか考えられなかったのです。Planckもこの形の相互作用理論に基づいて、黒体輻射の理論を展開したのです。
 今までのそういった光と物質との相互作用(Einsteinは光の発生と変脱といっていますが)に対して、本論文で展開した光の量子説(粒子説と言ってもよい)がもし正しいのならば光と物質との相互作用が以下の様なものになると言っています。
 すなわち、光は塊として存在し、光量子が持つエネルギーをそのまま物質に与えて消滅する。そして、光量子からエネルギーを与えられた物質中の電子が飛び出てくる場合、その電子にそっくり一つの光量子のエネルギーが与えられ、一つの光量子のエネルギーを受け取った電子はその一部を物質(原子)の束場を断ち切るためのエネルギーとして消費し、そして残りのエネルギー分を運動エネルギーとして保持して飛び出てくる。
 また、逆に電子などが物質(原子)に衝突した場合、その一つの電子が最初持っていたエネルギー分がそのまま、光量子のエネルギーとなり光は物質から変脱され外部に放射される。

 これは、革命的な考え方です。§7〜9に於いて、ざまざまな物理現象を取り上げて、その考え方を検証しており、更にその考え方から導かれる“アインシュタインの関係式”(§7で提出)

と述べる事になる。そして、この関係式から

として、実験家にこのことを確かめて欲しいと要請しています。
 実際のところ、Stachelも文献15.のp314でも述べている様に、本論文の最大の功績は、上記の関係式を導いた事かも知れません。

 

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§7. Stokesの規則について

補足説明1
 以下§7〜9.で、§6.で導いた光量子説によって、それまで解決不能と考えられていた三つの現象の疑問点がすべて解消されることを説明している。
 まさに、以下の説明は現実の物理現象の疑問点の解決を示す事で自らの理論的考察の正当性を明示するEinstein論文の真骨頂の部分です。









 

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§8.固体照射による陰極線の発生について



 上記Lenardの1902年論文はこちらで引用していますので、Einsteinの言うことをご確認下さい。









 上記Lenardの1902年論文はこちらで引用していますので、Einsteinの言うことをご確認下さい。

補足説明1
 上記の数値計算に用いた測定値について補足しておきます。
 まず、太陽スペクトルの紫外側の限界が ν=1.03×1015Hz である事についてですが、例えば「温室効果と地球温暖化」1.で示した

を参照されると良いでしょう。短波長側の限界波長を 光速度÷波長 で 振動数 に直すとν=c/ν=3×108m/s÷0.3×10ー6m≒1×1015Hz となることが解ります。
 
 次の β=h/k の測定値 4.866×10ー11 ですが、これは当時の測定値です。例えば「プランクの熱輻射法則(1900年)」5.(2)などをご覧下さい。そこにKurlbaumの1898年の測定値 4.818×10ー11s・K が紹介されています。
 
 更にEは、電子1個の電荷×アボガドロ数 ですから、E=1.602×10ー19C×6.022×1023個/mol≒9.6×104C/mol となります。当時(粘性係数or黒体輻射などから)測定されていたアボガドロ数とファラデー定数から電子1個の持つ電気量は知られていました。ちなみに、e/mの値は、Thomsonの陰極線の研究やゼーマン効果の分析などから1896〜1897年頃には求められています。
 ここで、1C=10ー1cgs・emuであることを考慮すると E=9.6×103cgs・emu/mol となります。電気単位の換算表はこちらを復習されたし。
 
 気体定数R=8.314J/K・mol=8.314×107erg/K・mol である事を考慮して、これらの値を用いると

となりますが、108cgs・emu=1ボルトですから、文中の 4.3ポルト が得られます。
 
 そうして、Einsteinは Π の値が、当時知られていた物体の電気の喪失を阻止するだけの能力を意味する事の正当性を確認しています。要するに、この値は、光電効果の阻害電圧にほぼ一致していると言うことです。この値は、当時知られていた様々な物質の電気分解電圧にもほぼ一致します。

補足説明2
 上記のEinsteinの予言は極めて重要です。彼はこのことを実験家に確かめて欲しいと投げかけているのです。
 実際、1905年までの実験的研究では、このことはまだ影も形も見えない状況だったことに注意して下さい。
 
 おそらくEinsteinは、その先の、これから“プランク定数”を求めて見ることも投げかけているのでしょう。先ほどの式 Πε=(R/N)βν−P からその事を見通すのは容易なのですから。Einsteinは当然その事も見通していたでしょう。
 
 実際、その後の多くの実験家の実験的研究はその事を目指して行われます。
 この当たりの事情については別稿「光電効果と光子」4-2.2.[補足説明1]、本稿§8[補足説明3]も参照されて下さい。
 
 上記の予言・提案は、丁度ブラウン運動論文の最後で、自分がブラウン運動理論から導き出した粒子の統計的動きの観察からアボガドロ数を求めて見て欲しいと投げかけたのと同じです。







上記Lenardの1903年論文はこちらで引用しています。

補足説明3
 Einsteinの本論文を読んでみると、光量子説の正当性を裏付ける実験的事実である光電効果の現象の取り上げ方が、歯切れが悪く解りにくいと思われた方も多いのではないでしょうか?
 
 実際、今日の教科書ではアィンシュタインの光量子説の正当性の根拠を、次の実験的発見と関連付けて説明しています。

 この実験事実を用いての光量子説の正当性の説明は、別稿「光電子と光子」4-2.2.でも紹介していますように極めて明快です。
 
 しかし、上図の第35図の状況が判明するのはEinsteinが本論文を発表した1905年から更に7年後のことです。しかも、これらの実験はEinsteinが1905年論文で予言していた事柄を確かめる事を目的として行われた実験です。
 だから、別稿「光電子と光子」4-1.3.[補足説明1]〜[補足説明3]で説明したように、1905年当時のEinsteinが利用できたのは、紫外線によってたたき出されるのが電子であると言うことを確認したレーナルトの1899年、1900年の論文や、放出される光電子の数が照射した光の強さに比例することや、放出された光電子の持つているエネルギーには上限があって、その最大エネルギーは光の強さに無関係であるを明らかにしたレーナルトの1902年の論文までの知識です。このことはレーナルトのノーベル賞講演(1906年5月)からも読み取れます。この当たりはPais文献14.の19e.光電効果や、Stachel文献15.のp314でも説明されていますので参照されて下さい。
 
 
 以上の事を考慮されて本論文を読んで見られれば、上記の様な混沌とした不十分な状況から、アインシュタインが光電効果の本質を明瞭に理解しており、今日の説明に通ずる解答を予測していたことに驚かされます。
 Einsteinは、ブラウン運動の時もそうでしたが、光電効果についても混沌・混乱の中にあった実験・観察結果の中からその中に隠れている本質を見抜いたのです。Einsteinの先を見る目の斬新性、革新性に驚嘆します。
 実際のところ、ハビヒト宛ての手紙の中で、“この仕事は革新的なものです”と言っていますから、彼自身もその革新性がよく解っていたのでしょう。
 
 実際、彼はp146の最後“励起光の振動数の関数としてΠをデカルト座標上に示せば直線になるはずであり、その方向きは対象とした物質の性質とは無関係である。”とハッキリ言っているのでが、これは極めて重大な予言です!! 当時の実験家にとって、このことは思いもよらない事だったのですから。
 さらに、本論文で提起した関係式は、直ちに

と変形できる事を予想させるものです。だからアインシュタインは、光電効果の実験観察によってプランク定数を求めて見て欲しいと投げかけているのです。
 実際、上記の事柄は光量子論の第2論文(1906年)の中で、更に詳しく明確に展開されます。そして上記の投げかけをハッキリと行います。そして、その後の光電効果に関する実験は、Einsteinの理論が予言する現象の現れ方を確かめる為の実験になり、“Planck定数”hを求める事を目的としたものになって行きます。
 
 すなわち、広重氏が「物理学史U」の中で指摘されているように、“Einsteinは原理的な考察からMaxwell理論の普遍的な妥当性を疑い、熱輻射において具体的に光の粒子性をとりだしてみせたのです。光電効果・その他は、この結論を更に裏付けるための応用問題にすぎなかった”のです。
 実際、Einsteinは【Planckの量子仮説ε=hν】(もちろんこの時点までのPlanckは、このエネルギー量子は黒体を構成する振動子についてのもので、電磁場が量子化されているという認識はなかった)や、【Wienの輻射分布法則の中に見られる電磁場の気体分子運動との類似性】などから直接電磁波(つまり光)についての光量子仮説を導き出したようです。そうして純粋に理論的考察から “アインシュタインの関係式” E=hν−W → E=h(ν−ν を導き出した。
 このことは、シュポルスキーの「原子物理学T」§116.§117でも説明されていますので参照されて下さい。
 
 
 だから、1910年代に入ってなされたヒューズ、リチャードソン、コンプトン、ミリカンなどの多くの人々によって計画され実施された実験は、すべてEinsteinが示唆し、予言していた光電効果の現象の現れ方の全貌を確認し、更に上記のアインシュタイン関係式に従って、正確なプランク定数hの値を求めるために行われたのです。
 実際、Riehardson and_Comptonの1912年論文や、Millikanのノーベル賞講演(1924年)の後半をご覧になれば、その様な意図で実験が行われたことは明白です。
 そして多くの実験家によって、光電効果の現象はEinsteinの予言の通りに現れ、光量子仮説が指し示す通りだった事が確認されることによって、光電効果は俄然注目される現象になったのです。それ故に、光電効果と言えばMillikanの業績が取り上げられるのだと思います。
 ちなみに、そのことを報告したMillikanの1916年論文は別稿で引用しています。また、その論文の要点がミリカンのノーベル賞講演(1924年)の後半で紹介されていますのでご覧下さい。

  

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§9. 紫外光による気体の電離について





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5.参考文献

  1. 物理学史研究会編「物理学古典論文叢書2 光量子論」東海大学出版会(1969年刊)
     本稿は、この中の1. A.Einstein著「光の発生と変脱とに関する一つの発見法的観察について」の引用です。
    原論文は、下記URLにて閲覧可。これはプリンストン大学のアーカイブスの原本と英訳版のURLです
    https://einsteinpapers.press.princeton.edu/vol2-doc/186
    https://einsteinpapers.press.princeton.edu/vol2-trans/100#,
  2. 物理学史研究刊行会編「物理学古典論文叢書1 熱輻射と量子」東海大学出版会(1970年刊)
     この中の6.W.Wien著「黒体の放出スペクトルにおけるエネルギー分布について」を引用しています。
  3. P.Lenard,「光電作用について」 U¨ber die Lichtelektrische Wirkung (1902年)
  4. P.Lenard,「リン光によるおそい陰極線の観察と陰極線の観測と陰極線の二次発生とについて」
    U¨ber die Beobachtung langsamer Kathodenstrahlen mit Hilfe der Phoshoreszenz und u¨ber Sekunda¨rentstehung von Kathodenstrahlen (1903年)
  5. P.Lenard,ノーベル賞講演(1906年5月)
     この講演の後ろの方で陰極線の形成と発生の方法を説明していますが、その中でそれまでの光電効果の研究状況を概観しています。
  6. R.A.Millikan,「A direct photoelectric determination of Planck's “h”」, Phys. Rev. 7 , 18, p355〜388,1916年
  7. R.A.Millikan 著「The Electron」(1924年刊)
     光電効果についても]章で詳しく説明されています。
  8. R.A.Millikan,ノーベル賞講演(1924年)
     この講演の後半で、上記1916年論文の内容が紹介されています。
  9. シュポルスキー 著、玉木英彦他 訳 『原子物理学T』(増訂新版)東京図書、1996年
     この中の§116.“光の場のゆらぎ”と、§118.“アインシュタインの方程式の実験的検証”を別稿で引用。
  10. 広重徹 著 『物理学史U』〈新物理学シリーズ 6〉培風館、1968年3月 (原著1967年)
     この中から 9-4.“アンサンブルの理論” と、 15-3.“光量子と比熱”の前半部 を引用。
  11. 荒木源太郎 著「原子物理学」倍風館(1963年刊)
     この中から第2章3.“光電子”、第4章1.“光電効果”2.“光子” を引用。
  12. 吉田伸夫 著「光の場、電子の海(量子場理論への道)」新潮社(2008年刊)
     第1章“粒子としての光”−アインシュタイン を別稿で引用。
  13. 吉田伸夫 著「思考の飛躍(アインシュタインの頭脳)」新潮社(2010年刊)
     第4章“光の統計力学を求めて”−量子論 を別稿で引用。
  14. A.Pais 著「神は老獪にして・・・」産業図書(1986年刊)Y.量子力学 19.“光量子”
  15. Stchel 著「アインシュタイン論文選「奇跡の年」の5論文」ちくま学芸文庫(2011年刊)第W章 編者解説(p305〜317)

 

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