アインシュタインの光量子説第2論文(1906年)を紹介します。以下の訳文は文献1.より引用した。ただし、誤植を訂正し、解りやすくする為に少し改変しています。元の表現はこちらでご確認下さい。
左欄に記入の数字は原論文のページ数です。
[補足説明1]
注1)の光量子論第1論文は別稿「Einsteinの光量子論(1905年)」で引用・紹介しています。
Einsteinはそこで述べた光量子の考え方はWienの輻射公式の有効な範囲(つまり振動数が高く、輻射エネルギー密度が低い領域)で有効だと考えていた。
そのため輻射公式が、全振動数領域、全エネルギー密度領域で正しい結論を与える【Planckの輻射理論】と、【注1)論文の理論メカニズム】は対立的と思っていたのですが、そうでは無いことが解ったと言うことです。
[補足説明2]
上記注2)の論文はこちらです。そのp561の(12)式(あるいは(13)式)の“Planckの輻射公式”を指している。
[補足説明1]
上に引用したEinstein論文の§1とはこちらです。(1)式中の L は光速度(普通cと書く)を、 T は絶対温度を意味します。これは、いわゆる“レーリー・ジーンズ公式”と同じです。
[補足説明2]
上記Planckの論文はこちらです。上の(3)式は、そのp99の(34)式を指しているのですが、別稿「プランクの熱輻射法則(1900年)」3.(1)3.を参照される方が解りやすいです。
[補足説明3]
上記の1903年の論文は
“Eine Theorie der Grundlagen der Thermodynamik”, Annalen der Physik, ver.4,
vol.11, p170〜187, 1903年
です。プリンストン大学のアーカイブスに原本と英訳版があります。その中から英訳版を別稿で引用していますので参照されて下さい。
上記原注2)の§6はこちらです。すなわち、Einstein独自の統計力学的考察から絶対温度Tにおけるこの問題の系のエントロピーSは
で記述できる事を導いた。
また、下記源注3)の§3と、§4はこちらです。
上記原注1)の論文については、江沢文献「統計力学へのアインシュタインの寄与」や、文献4.9-4.広重徹氏の説明などを参照されたし。
[補足説明4]
上記の事柄が、この論文で最も重要な所で、江沢文献「統計力学へのアインシュタインの寄与」のp124-125でも説明されています。
しかし、実際に上記のエネルギー量子の仮定をすれば、Wの表現がPlanckの“コンプレクシオンの数”になる事を具体的な計算で説明してもらわないと、私どもにはよく理解できません?
ただし、おそらくEinsteinが言っていることは別稿で引用しているファインマン物理学U.16.“ブラウン運動” 16-3.「エネルギーの均等分配と量子振動体」の内容と同じことだと思います。そこでファインマンが紹介している“Planckの黒体輻射分布則”の求め方はDebyeの1910年論文のやり方なのですが、これはおそらく本論文でEinsteinが展開している説明を焼き直したものです。だから、そのファインマン文献を読まれることを勧めます。
実際、本論文でEinsteinが言っている事がファインマン文献のDebyeの説明と同じである事は、本論文の考察を1907年の比熱の量子論の前半部で繰り返して“Planckの黒体輻射分布則”を導いているのですが、これはまさしく1910年にDebyeが展開する方法そのものです。
[補足説明5]
上記の近似計算については、β=h/kBである事を考慮されて、別稿「プランクの熱輻射法則(1900年)」8.(5)[補足説明2]を復習されて下さい。
ただし、Einsteinは単に上記引用先の極限操作を論じているのでは無くて、シュポルスキー文献5.§116の後半部の極限操作を論じているのかも知れません。
[補足説明6]
§1.で述べている事柄は、私どもには非常に解りにくい。それというのもアインシュタインが用いている論理についての理解が足りないからなのでしょう。
そのことについては、文献4.15-3.の広重徹氏の解説と、同じく9-4.の解説や、江沢文献9.「統計力学へのアインシュタインの寄与」に書かれているようなのですが、私自身Einsteinの文献2.が良く理解できていないので旨く説明できません。
そうは言いましても、おそらくこれが、1907年の比熱の量子論の論文や、 シュポルスキーが文献5.§116.の後半 で説明していることに発展するのでしょう。実際、シュポルスキーが§116の後半で説明している事柄にアインシュタインが到達するのは1909年の論文に於いてですが、それに通じるものをこの段階でつかんでいたのかも知れません。
[補足説明1]
Einsteinがこの論文にわざわざ§2.の事柄を書き加えたのは、光量子の第1論文§8で述べた
に関して、“当時の光電効果についての実験結果にはその事に付いての情報が影も形も見えないのは、光電子を発生させる試験金属の接触電位に関する知見が実験結果の解釈に反映されていないからだ!! ”と気付いたためでしょう。
実際、当時の実験家が遭遇していたのは、別稿「光電子と光子」4-1.3.[補足説明1]で説明した様に、まさにその事に関係した混乱だったのですから。
そのため、その後の実験家達は、本稿のEinsteinの示唆・助言にしたがって、その事を改善する実験装置を工夫して光電効果実験を進めます。
別稿「光電子と光子」4-1.3.[補足説明4]で説明した“球状光電子管”などもその工夫の一つなのだと思います。
またMillikanは、ノーベル賞講演のなかで
と述べていますので、接触電位が関係する事柄を正確に見極める為の工夫・改善が、Millikanの実験装置に於いても重要な位置を占めていたと思います。