一般相対性理論を検証する実例であるコンパクト星(白色矮星)の発見物語です。このことに関しては文献1.第4章のマーシャ・バトゥーシャクの説明が簡潔・明快・秀逸なので、これからの引用文を補足する形で話を進めます。
原注(1)〜(3)のBesselの1844年論文はこちらを参照されたし。
[補足説明1]
ブラッドリーが光行差を見つけたのが1727年です。そのときブラッドリーは年周視差は必ず存在するはずだが、その大きさは1”以下である事を報告している。それから100年近く経った1838年頃に実際に観測された年周視差はすべて1秒以下だったのですから、まさに重要な考察だったといえます。
当時の天文学者に取って年周視差は必ず存在して観測できると確信されるものだったので、多くの天文学者が太陽系近傍の星と考えられている星々の観測を続けていた。
[太陽系近傍の星々]
そんな中で、1838年にベッセルは白鳥座61番星の相対視差から、また発表が少し遅れた(1839年)がヘンダーソンはケンタウルス座のα星の子午線観測による赤緯の絶対視差(当時測定困難と考えられていた)から、それに僅かに遅れてW. ストルーペは琴座のα星(ヴェガ)の相対視差から、見つけています。
恒星視差観測の成功は、天文学が宇宙空間の広がりの中へ進出するための定量的な第一歩を与えたのですから、極めて意味深い成果です。
[年周視差発見物語と、Besselの視差発見報告。 文献7.第5章Wにも発見の説明あり。文献5.第6章1.に詳しい説明あり。]
当時、おおいぬ座のシリウス(全天で最も明るい 距離8.6光年)やこいぬ座のプロキオン(明るい1等星 距離11.46光年)は太陽系に近い星だろうと考えられていましたから、当然多く天文学者がその位置を詳しく観測していました。実際、ベッセルも白鳥座61番星の年周視差を見つける前から全天の中で特に明るいシリウスやプロキオンの固有運動による位置変化は特別興味深いものだったので詳しく観測していました。
なお、ベッセル(Friedrich Wilhelm Bessel)は、ダニエル・ベルヌーイが発見した関数(今日ベッセル関数と呼ばれる)の性質を詳しく調べ天文学や物理学への応用の道を開いた数学者としても有名です。
[これらの星の天球上の位置はこちらを参照]
上図の真ん中の軌道図と右側の軌道図の違いに注意。この二つの図の関係については別稿「二体問題」2.(2)の説明をご覧下さい。“実視連星”の観測では、相対視差により右側の図の軌道関係が観測される。真ん中の共通重心に対する視差を観測するのは難しい。
[以下文献4.より]
伴星(シリウスB)が発見される前の事ですが、1851年にペテルスが、ベッセルの報告した観測値と新しい観測値を付け加えて軌道計算を行い公転周期(50.093年)を計算した。
[C.A.F.Petersの1851年論文のURL]
さらに、1862年にはサッフォードが、伴星(未発見のシリウスB)のシリウス(後にシリウスAと言われる)に対する離角の予報式(上右図に相当)を作成した。
[T.H.Saffordの1862年論文はこちらを参照。 文献8.§25にサッフォードの伝記あり。]
上図から解るように、ベッセルが伴星の存在を示唆した1844年頃には、伴星(シリウスB)はシリウスAのかなり近くにいますので、発見は不可能だったでしょう。
しかし、クラークが発見した1862年頃には、シリウスBはシリウスAからかなり離れた位置にいます。そのためクラーク親子は発見できたのでしょう。
下図は実際の望遠鏡(ハッフブル宇宙望遠鏡)で観察したシリウスAとシリウスB(左下の小さな白点)です。
(http://www.spacetelescope.org/images/heic0516a/ から引用)。
原注(71)のBondの1862年論文はこちらを参照。原注(72)のHolberg,Wesemaelの2007年論文はこちらを参照。
クラーク親子の望遠鏡については文献7.7章“天文学の主流アメリカへ”と、文献4.のp2を参照。
[補足説明1]
(S. W. Burnham “A General Catalogue of Double Stars”part 2, 1906 より)
上図はシリウスAに対する相対的な軌道図である事に注意して下さい。形は同じになりますが、共通重心に対するBの軌道図ではありません。一般に“実視連星”の軌道要素として載っている半長軸aの値は連星の一方の星(明るい方、主星)を固定して描いた相対的な軌道についての値です。連星の一般的な解説は別稿「連星」をご覧下さい。
シリウス連星系の場合は、両方の星の運動状態が観測できる“実視連星”ですから、別ページ No.1、No.2、No.3 で説明する手順で、その軌道要素を正確に決定できます。
No.2プリントで説明する手順に従って、上記の“視楕円”から“補助楕円”を作図していけば、シリウス連星系の“真軌道楕円”の離心率e→軌道長半径a→軌道面傾斜角i→軌道短半径b、等々・・・を求める事ができます。その結果として、No.3のプリントの最後に掲載している値が得られるはずです(代表的な実視連星の一覧表)。
上図のデータを用いてそれが得られるか、試してみると下図のようになる。
図から軌道要素を計算して見ると、実際にほぼそれなりの値が得られる。
なお、No.3プリントで説明されているThiele-Innes(1883年)の方法については、別稿「連星の軌道決定法」2.(4)をご覧下さい。
また、No.4プリントの“分光連星”の軌道決定法については別稿2.(2)[補足説明8]、あるいは別稿「連星の軌道決定法」3.(2)をご覧下さい。
[補足説明2]
シリウスAは太陽系に近い星なので、年周視差からシリウスAまでの距離は解っていた。その為シリウスBが発見できたら、シリウスAとシリウスBの共通重心の周りの互いの公転半径が計算できる。また観測から公転周期が解る。連星系の公転半径と公転周期が解れば、連星のそれぞれの質量が計算できる。
簡単な円軌道の場合のやり方なら高校物理(or地学)で習う。以下授業ノートからの引用。
a1、a2、a、Tが解っている場合、上記の(A)式と(B)式をm1とm2の連立方程式と見なして解けば、m1とm2を求めることができる。
楕円軌道の場合も考え方は同じです。別稿「二体問題」2.(3)で説明する様に楕円の場合も上記と同じ(A)、(B)式が得られて同様な手順が使えます。
a1、a2、aはシリウス系のように視差から直接求まる場合はそれを用いればよい。分光学的に連星である事が解る分光連星の場合は、そのスペクトル線のドップラー偏移の観察の時間的変化から二つの星の視線方向の速度の変化の様子が解るので、周期Tと組み合わせることで、a1・sin i 、a2・sin i 、a・sin i を求める事ができる。その当たりについてはNo.4のプリント、あるいは別稿「連星の軌道決定法」3.をご覧下さい。
ちなみにシリウスの場合、年周視差は p=0.378” なので、シリウスまでの距離は2.646pcです。連星間の見かけ角度として a=7.62”
を用いると、実距離はa=20.13AUとなる。[距離の単位 AU や ly や pc に付いてはこちらを参照]
またシリウス系の公転周期は軌道の観察から50.1年であることが解っている。
これらの値を用いて計算したm1とm2はシリウスA=m1=2.14太陽質量、シリウスB=m2=1.06太陽質量となる。
いずれにしても、年周視差からその連星系までの距離が確定できる場合には、連星系を構成する星の質量はかなり正確に求める事ができます。
ちなみに今日解っているシリウスBのデータは、実視等級8.44、実視絶対等級11.3、表面温度25000K、質量は太陽の0.98倍、半径は太陽の0.0084倍で地球よりも少し小さい(0.92倍程度)。
[補足説明3]
ベッセルがその固有運動の特異性から伴星の存在を示唆していた子犬座のプロキオンについてですが、1896年にアメリカのリック天文台のシェバーリ(John Martin Schaeberle)によって大変暗い伴星が発見された。
発見の顛末については文献8.§31“プロキオンの伴星を追って”をご覧下さい。これを読むと、この伴星の発見がいかに難しかったかが、良く解ります。
Schaeberleが発見に用いたリック天文台の口径91cm屈折望遠鏡については文献7.第7章“天文学の主流アメリカへ”を参照されたし。
プロキオンの伴星(プロキオンB)も白色矮星(表面温度9700K)でとても暗い(実視等級10.96、実視絶対等級13.2)ため小望遠鏡では分離・識別できない。質量は太陽の0.60倍、半径は太陽の0.0123倍で、 地球よりも少しだけ大きい。公転周期は41年です。
プロキオン自身(プロキオンA)はシリウスよりもやや低温 (6,650K)で一回り大きい(プロキオンの直径は太陽の2.048倍、シリウスは1.68倍)。しかし、質量はシリウスよりも小さいく、主系列星の(膨張を始めている)晩年の星と見られている。
[プロキオンの天球上の位置はこちらを参照]
当時発見されていたもう一つの白色矮星であるエリダヌス座40番星Bについては、4.(3)[補足説明1]をご覧下さい。そこで説明するように、《エリダヌス座40番星B》、《シリウスB》、《プロキオンB》は1927年までに発見されていた3つの白色矮星です。
1927年までに発見された白色矮星としては、上記以外に1917年にオランダ生まれのアメリカの天文学者アドリアン・ヴァン・マーネンにより発見された白色矮星(ファン・マーネン星 距離14.4光年)がある。
しかし、《ヴァン・マーネン星》は連星系をなしていない単独の白色矮星で、連星をなしている白色矮星と違って、その質量を直接計算することができない。一般相対性理論に基づく重力赤方偏移などの効果からしかその質量を直接検証できない。その意味に於いて1927年の文献でエディントンが上げている3つの白色矮星とは前述の三つだと思います。
実際、ヴァン・マーネン星は比較的低温で、スペクトル型は太陽に近い。またスペクトル中に水素やヘリウムの吸収線が見られず、かなり古い星(100億歳かそれ以上)であると考えられている。質量は太陽の7割ほどと推定されるが直径は地球の1.4倍程度であり、1cm3あたりの密度は約470 kgに達する。
詳しくは西村昌能著「白色矮星の観測史」を御覧下さい。
4章で必要になる公式の説明です。文献6の付録4と付録5を参照した。
星の等級は、紀元前2世紀ころにヒッパルコス(BC190頃〜BC120年頃)が星の明るさを比較して、特に明るい星を1等星、肉眼で認められる最も暗い星を6等星として、星の明るさを6階級に定めたものを慣用として使ってきた。
その後19世紀のイギリスの天文学者ジョン・ハーシェル(1792〜1871年)は星の明るさを比較し、等級が0.41上がるごとにその明るさが二乗に反比例して暗くなること、1等星の明るさが、6等星の明るさのおよそ100倍である事を発見した。
そして、イギリスの天文学者ノーマン・ポグソン(Norman Robert Pogson 1829〜1891年)は1856年に5等級の差が正確に100倍に相当し1等級の差は1001/5=2.512倍に相当すると定義した。これが今日でも用いられている等級の定義です。。
Pogson, N. (1856). “Magnitudes of Thirty-six of the Minor Planets for the First Day of each Month of the Year 1857”. Monthly Notices of the Royal Astronomical Society 17 (1): 12-15.
すわち、明るさがB倍(以下で示す)になるごとに等級は1.00等明るくなるとし、1等星は6等星のちょうど100倍の明るさであるとする。
(4)式、(5)式をポグソンの公式と言う。
(4)式は等級の差から光の強さの比を求める公式。
(5)式は光りの強さの比から等級の差を求める公式。
昔の等級は1〜6までしか無かったが、上記の定義に従えば、負数や小数を用いることで、どんなに明るい星、またどんなに暗い星でも等級を対応させることができる。
[補足説明1]
《初期の実視等級測定法》
以下は、文献10.のp27〜28より
上記のツェルナー(J.C.F.Zo¨llner)の測光器の測光方法は次の引用文で説明されている“2個のNicolプリズムを使う方法”で、1861年に始められた。
ピカリングは測光の基準を石油ランプの明るさではなくて、北天ではいつも観測可能な北極星を基準として用いられるようにレンズと反射鏡による装置を工夫したと言うことです。
1884年にピッカリングは北極星の実視等級を2.0とした(Pickering E.C.,Ann. Astron. Garvard College 14, 1, 1884年)のですが、その後はこぐま座λ星を6.5等と定義し直し、多数の北極星野の暗い星の観測が行われた。そして、1922年の第1回国際天文学連合総会において、北極星野の96個の星が“国際式等級”の原点と定められた。この原点の確定には以下の引用文にあるようにリーヴィットが重要な貢献をしています。
ところで、北極星は変光星(変光は極僅かなので眼視観測では解らない)である事がやがて解りますから、標準星としては適当ではなくなります。
以下は、文献5.のp103〜104より
文献5.のp142〜143より
いずれにしても。今日言うところの恒星測光と呼べるものは、1850年にN.Pogsonが“等級”をハッキリと定義し、1861年にJ.C.F.Zo¨llnerが2個のNicolプリズムを使って恒星の明るさと人工光源星の明るさを正確に比較できる“眼視測光計”を制作したのに始まる。
[補足説明2]
《眼視測光から写真測光へ》 文献11.あるいはWikipediaから引用
19世紀後半から20世紀前半にかけては、星の等級を客観的に測定するには、その当時の技術としては“写真術”を利用するのが一番適当であった。写真測光は1904〜1908年にK.Schwarzshildtがゲッチンゲンで行った光量測定をもって始められた(Schwarzshildtの業績についてアインシュタインの追悼文を引用)。まず普通の青色域乾板を用いた写真測光が導入され、間もなく増感された(黄色域にも感じる)乾板に黄色フィルターを使い、スペクトル的に人間の眼に近い感度分布を作り出す方法が考案された。
写真乳剤は、生のハロゲン化銀では、感度のある波長は青から紫といった波長の短い範囲に限られていて、そのまま写真で星の等級を測定(写真等級IPg)しても、肉眼で見た等級(実視等級)とは系統的に違いが生じるため、《色素を添加した波長の長い方に感度を持つ乳剤》と《黄色フィルター》を用いて実視等級を測定した(写真実視等級IPv)が用いられたのです。記号IPは等級尺度として、極の近くにある非常に正確に測定されていて明るさの一定性が保証されている一連の星々(International
Poar Sequence,略してIPS,国際極域星系)に由来する。
写真乳剤にも様々な感度特性を持つものがあったため、[国際写真等級IPg]は、Seed 27乾板で撮影、[国際写真実視等級IPv]はCramer Instantaneous Iso乾板に黄色フィルターを使って撮影するものと定められた。
そのため“国際式等級”は、国際写真実視等級IPvと国際写真等級IPgとがある測光システムでした。
北極標準星野自体は、それまでにも天文台が多かった北半球で天文台間の測定値のばらつきを避けるために共通の星野として利用されていた実績があったので、1922年の第1回IAU総会で、北極標準星野の96個の星の等級(国際写真実視等級IPvと国際写真等級IPg)を定めたのです。
このとき、赤い星は、写真等級IPgの方が写真実視等級IPvよりも暗く(数字は大きく)、青い星は写真等級IPgの方が写真実視等級IPvよりも明るく(数字は小さく)なる。したがって、写真等級と写真実視等級の違いを利用して、星の色(つまり温度)を表すことができる。こうして、色指数 = 写真等級 − 写真実視等級 が用いられるようになった。
このことは、Karl Schwarzschild が当初から気付いていた事ですが、これらはMax Planck が“熱輻射法則”を発見した1900年以後(1904〜1908年)の事です。
しかし、やがて写真実視等級IPvには次の2つの問題があることがジョンソンにより指摘された。
1.【北極標準星野は星間赤化を受けている】・・・・・太陽系から見た北極方向には星間物質があり、それよりも遠くにあるすべての星の光は赤化を受けていて、色指数で0.1等ほど大きくなっている。そのために、北極標準星野を利用した測光システムでは、星間赤化の影響を受けないスペクトル型と色指数の間の関係がくずれる。
2.【写真等級IPgの感度範囲に水素バルマー線がたてこむ波長域の両側を含んでいて、しかも北極標準星野はO型B型の高温度星をほとんど含んでいない】・・・・・写真乳剤の感度は、ちょうど水素バルマー線が密集する領域(バルマーリミット)の両側の波長域を含んでいる(こちらの図参照)。水素バルマー線が立て込んでいない波長域(青色光付近)とバルマー線の終端に近い波長域(紫色光の外側)を分離して測定しなければ、特に高温度星の等級測定において不都合が生じる。高温度星では、バルマーリミットの短波長側(紫外側)でその星の大気により大きく吸収を受けているが、低温度星ではそのようなことはない(こちらの図の右側の図の4000A以下の短波長領域参照)。このため、高温度星をほとんど含んでいない北極標準星野で定義された測光システムでは、各天文台で測定がばらつくことがわかった。北極星野内では0.04等ほどの範囲で一致してもその他の星野でO型星を測ると0.4等もの違いが生じ得る。
そこでジョンソンは、写真等級IPgを測る測光帯域を、バルマーリミットの短波長側(紫外側)のUバンドと長波長側(青色光側)のBバンドとして二つに分け、今まで写真実視等級として測定されていた測光帯域をVバンドとした。そして、Vバンドがそのまま写真実視等級を引き継げる様にした。これが今日のジョンソンUBVシステムです。
[補足説明3]
《測光技術の変遷とUBVシステム》 Wikipediaから引用
1953年に、ジョンソン(Harold Lester Johnson、1921〜1980年)とモーガン(William Wilson Morgan, 1906〜1994年)によって提案され、IAUにより採用された。(Johnson, H. L.;
Morgan, W. W. (1953). “Fundamental stellar photometry for standards of
spectral type on the revised system of the Yerkes spectral atlas”. The Astrophysical Journal 117: p313〜352. )
ジョンソンは、色素増感していない写真乾板に感度がある波長域を、水素バルマー線が立て込んでいない波長域と立て込んだバルマー端に近い波長域の2つに分け、主に青い光を通す前者をBバンド、紫外光を通す後者をUバンドとした。Bバンドを用いて測定した際の等級をB等級、Uバンドを用いて測った等級をU等級、と呼称している。人間の眼の暗所感度分布に近く、主に緑色の光を通し平均波長が540 nmとなるVフィルターを用いて測定した際の等級をV等級と言う。
UBVシステムにおいては、V等級の原点は、【北極標準星野にある国際式標準星の中の6個の星】の写真実視等級IPvをV等級と同一とみなすことで定義した(この6個の星は様々な等級を持っている)。そのため、V等級は国際写真実視等級に近似的に等しい。
一方、U等級とB等級の原点は、A0Vのスペクトルを持つ、【こと座α星(ベガ)】、【おおぐま座γ星】、【おとめ座109番星】、【かんむり座α星】、【へびつかい座γ星】、【HR 3314】 の6つの星の平均の U−B と、 B−V を 0 として(すなわち U=B=V として)定められた。その後この他にも、赤い光でのR等級、赤外線でのI等級なども定められている。
しかし現在では、写真ではなく“光電子倍増管”さらに“CCD(電子結合素子)”による測光へと変化しており、初期の写真感光剤の調整ではなく、紫外域(U:ultraviolet)、青色域(B:blue)、実視域(V:visual)の《3色のフィルター》と《電子検出器》を用いて天体の明るさを測定した標準星で定義した測光システムになっている。
フィルターは、電子検出器と組み合わせたとき、ジョンソンのオリジナルのUBVの分光特性にできるだけ合うように選ばれる。それぞれ平均波長がUでは 364 nm、Bは 442 nm、Vは 540 nmであるが、単に平均波長が合っていれば良いというものではない。
たとえ同一種類のフィルターを用いても、組み合わせる測光検出器や望遠鏡の分光特性や地球の大気による吸収の影響などにより、個々の観測所ごとに異なる固有の測光誤差(0.01等級程度)が生じる事は避けられない。
そこで全天に配置した測光標準星を個々のシステムで測光して、個々の観測値を標準システム値とすりあわせる事で標準UBVシステムでの等級に変換する必要があります。
いずれにしても、今日の光度等級システムは非常に複雑なシステムです。詳細は市川隆著「標準測光システム」天文月報第90巻 第1号 を参照されたし。
http://www.asj.or.jp/geppou/archive_open/1997/pdf/19970103c.pdf
[補足説明4]
《今日の光度等級と星の色》 文献12.のp7より引用
星の色(温度)に関係するスペクトル型については別稿「星のスペクトル型とHR図」1.を参照されたし。
[補足説明5]
《実視等級と輻射等級》 文献12.と文献14.より引用
今までの等級は特定の波長領域の光度に関係した等級の定義でした。しかし、星が放射する電磁波のエネルギーを全波長にわたって足し合わせた光度から求められる等級が有ります。それを輻射等級 (bolometric magnitude) あるいは放射等級と言います。
この等級の考え方は太陽光度を基準にすると以下の様に表せます。
上記(1.2)式に付いては4.(1)[補足説明1]あるいは4.(2)[補足説明4]を参照。
このとき、更に実視等級と放射等級(輻射等級)の間を取り持つものとして放射補正(輻射補正)というものがあります。
上記の説明では何のことが解らないと思いますので、4.(2)[補足説明4]と[補足説明5]で詳しく説明します。
今ある星の見かけの明るさ“実視等級”がm等で、その星までの距離がr(光年、年周視差p”,pc)だったとする。(距離の単位 AU や ly や pc に付いてはこちらを参照)
この星を年周視差0.1”の距離、すなわち 10pc=32.6光年 の距離に持ってきたとき、天体がM等級に見えたとする。このMを星の“絶対等級”という。
[補足説明1]
星を統計的に扱うために必要な絶対等級の概念ですが、ヘルツシュプラング(Ejnar Hertzsprung, 1873〜1967年)は、絶対等級として星を視差1”の距離(1pc、3.26光年)に置いたときの光度等級とした。
しかし、現在用いられているのはカプタイン(Jacobus Cornelius Kapteyn, 1851〜1922年)によって定義された視差0.1”の距離(10pc、32.6光年)に置いた時の光度等級とするです。HR図の考案者であるラッセルはこちら定義を用いている。[文献4.、文献5.等参照]
絶対等級とは、距離の大小による違いを補正して星の絶対的な明るさを比較する為の指標ですが、以下で説明する様に“実視等級”と“絶対等級”の差は“星までの距離”に関係します。
距離指数m−M と 距離r は以下の対応関係にある。
絶対等級を求めるのに、なぜこの様なやり方をするのかは、4.(1)[補足説明1]を御覧になると解ります。
3.(1)[補足説明1]〜[補足説明5]で様々な測光系(様々な波長域)に対応した等級があることを説明したが、それぞれに対応した絶対等級を上式に従って計算することができます。同じ式が使えるのは明らかでしょう。
そのとき、その様にして対応付けられる“見かけの等級”と“絶対等級”は m と M に添字を付けることで区別する。
例えば実視等級mvと実視絶対等級Mvとか、写真等級mgと写真絶対等級Mgとか、輻射等級mbolと輻射絶対等級Mbolとか、Uバンド等級mUとUバンド絶対等級MUの様に。
しかし、もし添字が付いていなかったら常に mv と Mv を指すと考えて下さい。
更に補足します。いわゆる“実視等級”という言葉は非常に混乱を招く言い方です。
当初は人間の眼で地球表面から見た時の“見かけの等級”の意味で使われていたのですが、地球から見た等級でも3.(1)[補足説明1]〜[補足説明5]で説明したように、測光する波長域の違いにより、様々な種類の“見かけの等級”があります。
そのため現在では、人間の眼が感じる波長域(可視光域)の光を測光して定めた“光度等級”でしかも地球表面から見たときの見かけの等級を実視等級と言っている場合が多いです。
しかし、可視光域以外の波長域に関係する“光度等級”でも地球表面から見たときの見かけの等級に対して実視等級と呼んでいる場合もあります。
当初は人間の眼でみた光度等級しか無かったので、その様な問題は無かったのですが、後から様々な測光波長域ごとに様々な光度等級が定義されるようになって生じた混乱です。
本稿では歴史的な説明をしていますので、両方の言い方を用いています。文節ごとにどちらの意味か判別してください。それを判別する能力は天文学の文献を読むとき必要ですね。
[補足説明2]
年周視差が測定できていない遠い星までの距離を求めるために上記の(4)(6)(8)式を使うのですが、そのためには、その星の“絶対等級”Mを何らかの方法で知らねば成りません。
絶対等級Mを求める方法は星のスベクトル型と絶対等級との関係を示したHR図(Hertzsprung-Russell diagram)を用います。
スペクトル型を見れば主系列星かどうかが解ります。主系列星の場合はその表面温度に対応する絶対等級が下図から読み取れますから、その絶対等級と実視等級の差から星までの距離が解ります(文献17.「星までの距離の測り方」を参照)。
その星が同じ温度でも、主系列星から外れた巨星や矮星の場合も在りますが、その場合の違いもスペクトルの違いから判別できて、やはりその星の温度に対応する絶対等級を知ることができます(このことは別稿「星のスペクトル型とHR図」2.“光度階級”を参照)。だからこの場合も同様にして星までの距離が解ります。
重要なのは、シリウスBの大きさを求める事です。その為には、シリウスBのスペクトル型とシリウスBの絶対等級(正確には輻射絶対等級)の測定が必要です。
星が発する輻射のスペクトル型(詳しくはこちらを参照)が解れば、星の表面温度が解ります。星の表面温度が解ればシュテファン・ポルツマンの法則により、星の表面の単位面積から放射される輻射のエネルキー量が解ります。
また、観測される星の絶対的な明るさが解れば、その星の全表面積から単位時間に放射される全エネルギー量が解る。
ならばその全放射エネルギー量をシュテファン・ボルツマンの法則から解る単位面積当たりのエネルギー放射量で割ることで、星の表面積が解る。表面積が解れば星の大きさが解る。以下文献6.付録6を参照した。
シリウスBのスペクトル型を観測すれば恒星表面の絶対温度Tが解る。その絶対温度Tを用いれば、シュテファン・ボルツマンの法則により、シリウスBの表面の単位面積(1cm2)から毎秒放射されるエネルギー量E[erg/s・cm2]
が解る。
一方、シリウス系までの距離は年周視差の観測から解っているので、地球の望遠鏡の対物レンズ面積に届くシリウスBからの光のエネルギーを計測できれば、シリウスBが毎秒放射している全エネルギーF[erg/s]は原理的に求めることができる。
EとFが解れば、シリウスBの表面積S[cm2]、あるいは直径D[cm]は
の関係式により計算できる。
ただし、星から望遠鏡に届く光のエネルギーの絶対値の測定は、太陽以外の恒星に付いては極めて難しい。そのため、Fを直接求めることは難しい。そこで次の様に考える。
今太陽の絶対等級をMs、太陽が毎秒放出している全エネルギー量をFsとすると、FとFsは輻射の強度であるから、3.(1)で説明したポグソンの公式によって、F/Fsを絶対等級の差で表す事ができる。すなわち、シリウスBの絶対等級をM、太陽の絶対等級をMsとすると
である。
このとき、シリウスBの絶対等級Mは、3.(2)で説明した公式
によって、シリウスBの実視等級mとシリウスBまでの距離r(光年、p”、pc)から求めます。
ところで、太陽は近くに存在することからその直接観測により、太陽絶対等級Ms、太陽毎秒放出全エネルギー量Fs、太陽直径Ds、太陽表面温度Ts、放射エネルネギー密度Esなどの正確な値
が解っていおり、(2)式を太陽に適用した式
も、その正確な値の関係が解っている。
そこで(2)式を(4)式で割って変形すると
が得られる。
すなわち、シリウスBの絶対温度Tと絶対等級Mが解れば、シリウスBの直径Dを求めることができる。
[補足説明1]
《太陽の“見かけの等級”と“絶対等級”》 文献11.のp135より引用
太陽の見かけの等級を決めるとき、太陽の明るさに比較して等級の基準星は10の10乗分の1以下の明るさしか無いので、基準星と直接比較して決めることはできません。
そのため、まず見かけの等級は実際の太陽光度を測定してその見かけの等級を決める波長領域についてのエネルギー流量測定値から計算で求めます。もちろんその際、等級標準星からの各波長領域についての見かけのエネルギー流量も測定しておき、ポグソン公式(5)式で太陽の見かけ等級を計算します。そうすると大体以下の様になる。
このとき B−V≒0.65 を採用している研究者もいる。
つぎに、太陽と地球の距離は距離の単位表を参照すると
1天文単位=1AUほ1.58×10-5光年=4.85×10-6pc
ですから、この値を用いて3.(2)の(4)式や(6)式から 距離指数m−M が求まる。
前述の見かけの等級m から 距離指数m−M=−31.57 を引けば、それぞれの光度等級に於ける 絶対等級M が求まる。つまり、3.(2)の最後の式を用いるのですが、距離指数−31.57 はどの種類の光度等級に対してもこの値を用いることができることに注意。
これが、光度等級という概念が天文学で重宝される理由なのでしょう。
また、これが、[絶対等級]=[見かけの等級]−[距離指数]で絶対等級を求める理由です。
これらの数値の誤差は少数第2位に関係する程度ですが、文献により時代により微妙に異なります。それは元々の光度等級定義の曖昧さとその変遷を鑑みるといかんともしがたいところです。
星の絶対輻射等級Mbolは1秒当たりの輻射による総エネルギー放射の目安です。この1秒当たりに星から放射される総エネルギーをその星の 光度L と呼び、普通 太陽の光度L◎ を単位とする。従って以下の関係式が成り立つ。
これは、前出の(3)式の左辺を総エネルギー放射とし、右辺を絶対輻射等級とした場合に相当。これを4.(2)[補足説明4]で利用する。
星から放射されるエネルギーは原子核反応により作られるので、光度 L は恒星の内部構造を調べる上で出発点となる基本的データです。
[補足説明2]
上記(5)式は重要な式ですから導出過程をもう一度繰り返しておきます。
星の光度L、表面温度T、半径Rの間には、“シュテファン・ボルツマンの法則”により
の関係がある。太陽についても同様に
が成り立つ。
この両式の片々を割り算して変形する。
ここで用いる“ポグソンの公式”は“輻射絶対等級”に対するものであることに注意。このことは4.(2)[補足説明4]でもう一度確認します。
ここで、シリウスBの大きさの決定にシリウスBの表面温度Tが関係して来るのは、放射エネルギーが同じでも温度Tの違いでその放射表面積が変化するからです。
しかし、シリウスBのスペクトルからその表面温度Tを決定することは、次の文節に記されている様に、そんなに簡単な事ではありませんでした。
原注(11)のAdamsの1914年論文と、原注(13)のAdamsの1915年論文。
[補足説明1]
上記の顛末は、エディントンの通俗的な著書『星と原子』(1927年刊)の“シリウスの伴星物語“の章に記されおり、その主な所が文献6.第\章のA.p312〜で紹介されていますのでご覧ください。その中でAdamsの業績にも触れられています。
[補足説明2]
下図は実際の望遠鏡(ハッフブル宇宙望遠鏡)で観察したシリウスAとシリウスBの様子です。中央がシリウスAで、その左下の小さな白点がシリウスBです。
(http://www.spacetelescope.org/images/heic0516a/ から引用)。
1998年版の『理科年表』によると、シリウスAの実視等級mA=-1.46 シリウスBの実視等級mB=8.3です。また年周視差の観測値は p”=0.377” です。
年周視差の観測値から、地球とシリウス系の距離は
となります。
シリウスA、Bの実視等級mA、mBと距離データr(光年、p”,pc)を3.(2)の(4)、(6)、(8)式に適用すると、シリウスA、Bの絶対等級MA、MBが
の様に求まる。
このとき、地球からシリウスAとシリウスBまでの距離はほぼ同じですから、実視等級の差は絶対等級の差に等しくなります。
いずれにしても、シリウスAとシリウスBの光度等級差が 9.76=約10 程度ですから、シリウスBの光度はシリウスAの光度の10000分の1です。先ほどの写真からも、確かにこの程度の光度比であることは納得できます。
これは、シリウスAとシリウスBの表面温度が同じなら、シリウスBの表面積はシリウスAの表面積の10000分の1(体積なら1000000分の1)である事を意味します。
つまり、シリウスBの半径はシリウスAの100分の1程度です。これはちょうど太陽と地球の半径比に近い。
ところで、2.[補足説明2]で説明したようにシリウスAとBはオーダー的にほぼ同じ質量(太陽程度)ですから、《シリウスBは太陽程度の質量が地球程度の大きさに圧縮されている星》と言うことになります。これは大発見です。
[補足説明3]
シリウスBは当初考えられていたF0型ではなくて、それよりもはるかに高温の星である事がやがて解ります。
ところで、シュテファン・ボルツマンの法則は絶対温度Tの4乗に比例しますので、温度の見積値の変更に伴って、シリウスBの大きさの見積値はかなり変化します。
どの程度変化するか計算してみましょう。シリウスBの表面温度をT=10000K、15000K、20000K、25000Kと仮定した場合の(D/Ds)の値を調べて見る。
そのとき、星のスベクトル型と表面温度の関係はおよそ下記の様になります。
4.(1)で求めた公式を使うと
となります。
地球の直径は太陽の直径の約110分の1ですから、シリウスBの直径は地球直径の2倍〜1/3倍程度の間で変化することになる。いずれにしてもシリウスBの表面温度Tの見積値に依存して、シリウスBの大きさの見積値はかなり変化します。
[補足説明4]
前記[補足説明3]で計算したシリウスBの直径見積値は、次節の説明文中の大きさとかなり違います。それは、光度等級を決める星からの輻射エネルギーが全波長領域の黒体輻射エネルギーの一部分しか用いていない“実視絶対等級”を用いたためです。正しくは“輻射絶対等級”を用いないといけません。
つまり、4.(1)で求めた式
の中の 0.2(4.79−M) の部分の元になった式
は、実は正しくありません。
実際の“実視等級”は3.(1)[補足説明1]〜[補足説明4]で説明した様に地球大気を通した星の光の可視光エネルギー(実視の明るさ)を比較して、その大きさの比で決められている。ところが地球大気を通して観測できる星の光のエネルギーは可視光線の部分が主体で、紫外線や赤外線領域の光線はほとんど大気により吸収されて地球表面まで届かない。
プランクの輻射法則に従った全放射量に対して地球に届く放射量の割合がどの温度の星からの光に対しても同じ比率で減じるのなら良いのですが、実際は高温のO型やB型の星からの光は大部分が紫外線領域の光のため可視光領域の光の割合が多いG型の星からの光に比べてより大きな割合で減じられている。同様に赤外線で大部分のエネルギーを放射しているM型星もG型星に比べてより大きな割合で減じられている。
そのため上式の右辺の等級は、その効果を補正したものを用いないといけません。それを“放射補正(B.C.)”といいます。つまり、次で説明するように、FやFsにその減じられる割合10-αと10-αsを乗じた式を用いないといけません。3.(1)[補足説明5]を参照。
“輻射絶対等級”に対する正しいポグソン公式は以下の様になる。
この式は4.(1)[補足説明1]の最後ですでに説明した式です。ここは解り難いところなので文献14§1.1.1.“見かけの明るさと真の明るさ”の説明もご覧下さい。
“輻射補正(B.C.)”の具体的な値は
となる。“輻射補正(B.C.)”の求め方は[補足説明5]で説明します。
“有効温度”と“輻射補正(B.C.)”の関係をグラフにしてみると
となります。
ここで、“輻射補正(B.C.)”は星の表面絶対温度に関係して変化するが、星の大きさ(つまり主系列星か巨星か白色矮星かの違い)には依存しないことに注意されたし。
実際に輻射補正を施して、シリウスBの実視絶対等級 11.18 とし、スペクトル型から解る表面温度が 25000K であると仮定した場合を計算してみる。ここでは、太陽の輻射絶対等級は4.(1)[補足説明1]の値ではなく、上記表中に与えられているG5(有効温度5770K)の実視等級+5.1、輻射補正は-0.21を用いて計算する(この辺の値は時代と共に定義も測定値も微妙に変化していますので)。
となり、次節文中の大きさとほぼ一致する値が得られる。
実際のところ、太陽の温度の星では“輻射補正(B.C.)”はほとんどゼロと見なせるのですが、色々な文献に与えられている太陽の絶対等級が、輻射絶対等級なのか実視絶対等級なのかは注意が必要です(4.(1)[補足説明1]を参照)。
ここは、文献12.のp23“放射等級と放射補正”や、文献13.の§30“恒星の質量光度関係”、§32“連星の質量を求める“などを参照した。
[補足説明5]
“輻射補正(B.C.)”に付いて補足します。
これは前記[補足説明4]の
に出てきた
に関係します。
例えば有効温度 15400K の場合 B.C.=-1.46 だから
となるが、ここの 3.84 と 1 の比は、およそのところ、下図中の 15400K の放射グラフ中の[全波長領域の面積]に対する[可視光領域の面積]の比を表しているといえる。
同様に有効温度 44500K の場合 B.C.=-4.40 だから
となるが、ここの 57.5 と 1 の比は図中の 44500K の放射グラフ中の[全波長領域の面積]に対する[可視光領域の面積]の比を表している。
このように“輻射補正(B.C.)”は、実際に地表で観測される星の明るさと大気圏外で観測される星の明るさの比に関係する量なのですが、実際の大気圏外での観測値は地表での観測値からプランクの輻射法則で推察して、その比を求めるのだろう。
シリウスBの大きさの決定には紆余曲折がありました。そのことについて文献2.補遺T(p464〜468)の説明を引用。
上記の《□囲み記事》については、別稿「星のスペクトル型とHR図」を参照。
またそのときのシリウス表面からの光の一般相対性理論による赤方遷移のエディントンとアダムズによる見積値の顛末については別稿のシアマ文献p90以降をご覧下さい。
[補足説明1]
4.(2)の最初の引用文中のエリダヌス座40番星について補足します。
エリダヌス座40番星(40 Eridani A HD26965)は、ケイドA(Keid A)やオミクロン2エリダ二A(Omicron2 Eridani A)とも呼ばれる、 K1V型の橙色の恒星(実視等級は4.43)で、太陽から約16.45光年の距離に存在する。下図赤矢印先の点
エリダヌス座はオリオン座の隣です。詳しくはこちらの天球図を参照。
この星が二重星であることは、1783年にウィリアム・ハーシェル(Frederick William Herschel, 1738〜1822年)によって発見された。そして William. Herschel,
“Catalogue of Double Stars.”, Phil.Tran. R. S. L., 75, p40〜126, 1785年 のp73に記載されている。
今日のデータによると、シリウス系までは8.6光年、エリダヌス座40番星系までは16.45光年だから距離的には大差ないのですが、主星と伴星の距離が、シリウス系で約20AUですが、エリダヌス座40番星系で約400AUあります。
主星と伴星(白色矮星)の距離はエリダヌス系の方がかなり大きいので、シリウス系の伴星(白色矮星)の発見(1862年)よりもかなり早い時期(1783年)に伴星が発見できたのだろう。
だからエリダヌス座40番星の伴星Bは、史上初めて発見された白色矮星であると言えます。
しかし、当時は年周視差も発見できていなかったし、主星と伴星の公転軌道要素も測定できていなかったので、この星が超高密度星である事は予想だにできなかったでしょう。
その後、1851年にオットー・フォン・シュトルーベ(Otto Wilhelm von Struve 1819〜1905年)は片方の恒星(伴星)がさらに伴星B(実視等級9.5 A4型)と伴星C(実視等級11.17 M4.5eV型)からなる二重であることを発見した。そのためエリダヌス座40番星は3重連星系で、最初に視認されたのが主星Aということになる。(オットー・シュトルーベに付いてはこちらも参照されたし)
恒星進化論的には、太陽よりも少し重かった伴星B(A、B、Cの中で一番重い)が最も早く進化し、赤色巨星の過程を経て白色矮星になった。そして、主星Aは太陽よりも少し小さい橙色の主系列星として、伴星Cは太陽よりもかなり小さい赤色矮星の主系列星として誕生してそのまま現在に至ったのだろう。
ちなみに、B星とC星は軌道長半径35AUの楕円軌道を周期252年で回っており、さらにこのペアはA星と400AUの距離を隔てて周期7200年で回っている。
伴星Bと伴星Cの距離は35AU(公転周期252年)なので、一旦BとCが発見できれば、両者の固有運動を何十年か追跡観測すれば、2.[補足説明2]で説明した方法でエリダタス座40番星Bの質量も決定できる。そのため伴星Bが超高密度星である事を検証できる段階に達したといえる。
しかし、エリダタス座40番星Bの観測経過はシリウスBと事情が異なります。1.[補足説明1]で説明した様にシリウスAの固有運動の位置観測は1755年のブラッドリーの観測以来連綿と続けられていました。そのため、シリウスBが発見(1862年)されるや否やこの連星系の軌道要素(公転周期も含めて)は直ちに決定できる。そのためシリウスBの質量は直ちに計算できた。
だから白色矮星が超高密度星であることの検証はシリウスBによって初めてなされたのです。
エリダヌス座40番星Bについては、さらに1910年にヘンリー・ノリス・ラッセル、エドワード・ピッカリング及びウィリアミーナ・フレミングらによって伴星BのスペクトルがA型であることが確認され、この星が白色矮星(高温の星)であることが解った。
当時、伴星Bまでの距離が年周視差から観測できていたから、ラッセルもこの星の絶対等級を正しく導いて、ヘルツシュプラングとラッセルが発案したHR図の中でも正しい位置に配置している。
実際、ラッセルの初期のHR図(1914〜1927年)にはエリダヌス座40番星Bを始めとして三つの白色矮星がプロットされている。ただし、最初(1914年)のHR図にはエリダヌス座40番星Bだけです。以下、文献4.から西村昌能氏の説明を引用。
文中のフレミング女史については文献5.を参照されたし。彼女はスペクトルのハーバード分類記号の元になったA,B,F,G,K,M,N,・・・等々の設定と定義をした人です。それをピッカリングとキャノン女史が順番を並べ直して現在に至っている。ここは、別稿「星のスペクトル型とHR図」の中の特に3.(3)2.を参照されたし。
4.(2)の引用文で紹介されいるように、当時の“恒星は高温になるほど明るくなる”という常識に対して、ラッセルは疑問を持っていていました。しかし、白色で高温の星が暗いのは何故だろうと想いあぐねた様です。詰まるところ小さいが故に暗かったのですが、それを納得するのは当時の天文学者に取ってなかなかの障壁だったようです。
いずれにしても、4.(2)[補足説明1]で引用したエディントンの1927年の説明文(p319)にもあるように、1914〜1927年当時、白色矮星は、《シリウスB》、《エリダヌス座40番星B》と、2.(2)[補足説明3]で説明した《プロキオンB》あるいは《ファン・マーネン星》の三つ(四つ?)が知られていただけです。
これらはいずれも太陽系に近い白色矮星で、それぞれの今日知られている【実視絶対等級Mv、スペクトル型、表面温度】は、シリウスB【11.3、DA1.9、25200K】、エリダヌス座40番星B【11.0、DA2.9、16700K】、プロキオンB【13.2、DQZ、9700K】、ファン・マーネン星【14.23、DZ7(DFGZ)、?】です(Wikipediaより)。
しかし、4.(3)の説明や文献4.の説明にあるように、当時のシリウスBはF0型の星と考えられていた。それだけ、特別明るい主星(シリウスA)の近くにいるシリウスBのスペクトル型の観測・判定は難しかった。そのため、図15.2に示された白色矮星の3例は赤記した星が対応するのだろう。
さらに補足すると、2018年にエリダヌス座40番星Aの周囲を42日周期で公転している、地球の2倍程度の大きさのスーパーアースと推測される惑星が見つかった。そして、当時その事はとても話題になった。
この稿を作るに当たって、下記文献を参考にしました。感謝!
一般相対性理論の学習過程で、白色矮星の発見物語はとても興味深いものです。昔読んだ本をあれこれ読み直し、多くの著者の興味深い解説を利用させて頂きました。
白色矮星の発見で最も重要なのは白色矮星の大きさを決定する事ですが、最初その方法の詳細が良く理解できず四苦八苦しました。そのときこの稿を作る事で、星のスペクトル型・光度等級の定義とその変遷がやっと理解できました。星のスペクトル型と光度等級を正しく理解する事は現代天文学を解読する上で必須の条件ですね。そのことが良く解りました。