レオン・フーコーが行った光速度測定実験の詳細を説明します。1850年に水中と空気中の伝播速度の相対値を求めた。さらに、1962年の実験できわめて正確な光速度の測定値298000000m/sを得た。文献3.と文献2.を参照されながらお読み下さい。
別稿「フィゾーが光速度を測定した方法(1849年)」の最後で注意したように、フィゾーの歯車の方法では反射光の明るさの変化で光速度を測るのですが、その変化の極値を見極めるのが難しかった。そのため、フーコーは光の速度を測定するのに回転する鏡を用いることにしました。回転鏡による方法では反射光の像ができる位置が観測用望遠鏡の視野の中でずれるので、より精密な光速度の測定が可能に成ります。
回転鏡を用いる方法は、最初1834年にC.Wheatstone(1802〜1875年)が電気の伝導速度を見いだすのに用いたことに始まる。ホイートストンの考えは以下の様なものでした。
電線GGに電流を流したときに生じるTとUのギャップに生じる火花放電に時間的なズレがあると、その火花を回転する鏡を通して観察すると上下に並んで見えるTとUの像の位置が少しずれるだろう。鏡の回転速度と像のズレから電気がギャップTとUの間を流れるのに要する時間を測定できて電気の伝導速度がわかるだろうと言うものでした。ギャップTとUの間を長く取れるようにその間の電線はコイル状に巻かれていました。この装置により、初めて導線中を電気信号が伝わる速さが測定された。
アラゴはホイートストンの実験からヒントを得て、空気中と水中の光の伝播速度の違いを測定する方法を思いついた。それは上図のTとUの間を短くして同時に火花放電をさせる。それぞれからの光1と2を回転鏡で反射させたものを側方から観察する。
二つの火花は上下に並んで見えるはずである。このとき一方の光を水を透過させてから鏡に当てると、波動論が正しければ空気中を通った光よりも遅れて鏡に到着するから、両方の光の像は鏡の回転方向に少し横にずれて見えるはずである。アラゴは高速度で回転する鏡を制作したが、視力の衰えのために自分自身では測定を行えなくなっていた。
このアラゴの考えを引き継いでその測定に成功したのがフーコー(1850年)です。
アラゴの示唆に基づいてフーコーは下記の様な装置を作った。以下文献2.と3.を参考にして、装置の詳細を紹介する。
フーコーは光源として太陽光線を用いた。反射板を用いて太陽光をプラチナの細い糸を格子状に並べたスリットに導く。そのスリットの格子間隔は1/11mmで、格子の大きさは2mm四方です。
レンズLと格子Gの距離はレンズの焦点距離の2倍よりも少し短めに、またレンズLと鏡Mの距離はレンズの焦点距離の2倍より長くして、ちょうどGに於けるスリットの像が鏡Mの位置に結ばれる様に調整する。そのため鏡にできるスリットの像は少し大きめの像となる。
下図のaとbは格子上の二カ所のスリットを意味する。αとβはスリットaとbが反射鏡の所に作る像が鏡によって反射されて帰ってきて接眼レンズのマイクロメーターのフラットガラスの位置に作る像を示している。
このとき反射鏡M’は点cを曲率半径の中心とする“球面鏡”であることに注意!! 球面鏡ならば、レンズを磨くのと同じ方法により、正確な曲率半径のものが当時の技術で充分制作できたと思われる。そのため、c点にある平面鏡mの方向を変えれば反射鏡に結像するスリット像の位置がa''b''〜a'''b'''の様に変化するが、接眼レンズを通して見た像のみかけの位置は図中のa’b’となり変化しない。つまり鏡がゆっくり回転している時には、鏡の回転角に依存して反射される位置はa''b''〜a'''b''と変化するが、接眼レンズを通してみたスリットの像はあたかもa'b'に静止しているように見えます。
もちろん球面鏡M’の大きさは限られているので平面鏡mの回転と共にa'b'の像はチカチカと見えたり消えたりするが、平面鏡mの回転数が毎秒30回転を越えると目の“残像効果”(映画と同じ)により、そのちらつきは解らなくなりスリットの像が静止画像として視野の中に見えるようになる。
スリット格子の像は接眼レンズのマイクロメーターのフラットカラスの上に引いた格子間隔1/10mmの格子線の上に重なって像を結んだ。平面鏡mの回転数を上げていくと光がc → a''(〜a''')→ cと往復するのに時間がかかるために、視野の中のスリット像は右側に移動して行きます。そのとき、スリット像の格子線(間隔1/11mm)とマイクロメーター上の格子線(間隔1/10mm)が互いに“ノギスのバーニア”の様な関係となり、スリット像の移動距離が1/100mmの精度で測定できた。
回転鏡は下図の様な小型の蒸気タービンで回転させた。小型ボイラーから供給される蒸気を、露結を防ぐためにアルコールランプでもう一度加熱して小型タービンに誘導した。タービンはサイレンに用いられるのと同じ構造ですが、その音は小さい。タービンを駆動する蒸気の圧力は1/2気圧程度だった。
観測者は離れたところから回転鏡の側にある蒸気量調整用のコックレバーを操作して回転数を調整した。レバー操作により鏡に毎秒30〜800回転の回転速度を与えることができた。
この蒸気タービンの回転数は、蒸気タービンの発生する音と基準となる音叉の出す音の共鳴から見積もられた。回転数を上げていくと音叉の振動数と一致したとき生じる“うなり”を聞くことで、その時の回転数を見積もった。
ただしこの方法では正確な回転速度の測定は難しかったので、1850年の実験では光速度の絶対値の測定はできなかった!!
前々項で説明したように鏡の位置にできるスリットの像は下図のa'に固定されていると考えることができる。このとき鏡の回転数が速くなると光が下図のc→a'→cを往復するのに時間がかかるため最初μの位置の回転鏡mで反射されてa'に向かった光が反射鏡Mで反射されて回転鏡のcの位置に戻ったときには、回転鏡はμ'の位置まで回転している。そのため接眼レンズOのマイクロメーターの位置にやってくる光はあたかもa'''の位置にあるように見える像を結像することになる。
つまり接眼マイクロメーターのマイクロメーターの位置に結像するスリットaの像はαからα'の位置に距離dだけずれることになる。
図のように距離l、l’、r、dを取る。このとき、l>>l’と考えて良い場合は、図中の角度δはほぼ角度2ωに等しいと見なして良い。ωは光が距離l を往復する時間に回転鏡が回転する角度[ラジアン rad]です。
回転鏡の毎秒あたりの回転数をn、光速度をcとすると、回転鏡は1秒に2πn[ラジアンrad/秒]回転し、光は距離l を 2l/c[秒] で往復する。その往復時間の間に鏡が回転する角度ωは
となる。左側の公式が高校物理の教科書に載っているものですが、正確には右側の公式が正しい。実際の所、次節で説明する実験では r=3.0m、l=4.0m、l’=1.18m で鏡の回転数は n=約500回転/s だったようです。
いずれにしても、マイクロメーターの位置に於けるスリットの像の移動距離dは光速度cに反比例して変化する。
このとき、反射鏡Mが点cを中心とした球面鏡であるためスリットaの位置は回転鏡の角度には依存しないことに注意。そしてスリットaの像の移動量dは回転鏡の回転速度nのみに依存するのです。
フーコーは前節の装置を下図の様に配置して、空気中と水中を伝わる光の速度の相対値を求めた。
鏡M1と鏡M2からの反射光が接眼レンズの方向にやってくる時の鏡mの傾きは全く異なっているが、1.(2)1.で述べたように、その傾きの違いにかかわらずスリットaの像はいずれも接眼マイクロメーターのαの位置に結像する。
フーコーは空気中と水中の相対速度を求めるために、前述の格子状の白金細線ではなくて、唯一本の白金線の像を用いた。光学系は同一の視野の中で空気中を伝播して反射鏡M1で反射された像と、水中を伝播して反射鏡M2で反射された像が同時に見えるように工夫された。下図は視野の中のマイクロメーターの位置に結像するスリット設置位置の2mm×2mmの開口部の像です。真ん中の黒い線はスリット開口部の中心部に張られた白金線の像です。
[上図拡大版]
この中で図1は水中を透過した光による開口部と白金線aの像です。図中の四角の明るい部分がスリット位置の2mm四方の開口部の像です。図2は空気中を透過した光による開口部と白金線aの像です。図2の開口部の像の上下幅が狭くなっているのは、反射鏡M1が下図のようにその中心部の細い部分を除いて残りの部分がマスクしてあるからです。スリット開口部の像はこの鏡M1の位置に結像するのですがその上下の部分を切り取るわけです。
その両者が同時に見えるようにしたときの白金線aの像が図の3です。鏡の回転数が低い間は両方のスリット像はマイクロメーター上の同じ位置αの所に重なって像を結ぶ。“水中を透過した光”は水の吸収の為に開口部の像は少し暗くそして緑色がかって見える。そのためその上に“空気中を透過した光”の明るい開口部の像(上下がカットされている)を重ねると図3の様に見える。これが1850年の実験で最も重要な工夫です。
このとき、回転鏡mの回転数を上げてゆくと白金線aの像は図4の様にしだいに右の方にずれていく。中心に見える線は接眼レンズのマイクロメーターのフラットガラス上に描かれた測定用の基準線なので移動しません。回転数が増加するとスリット開口部の像と共にその中心に張られた白金線の像の位置も移動していきます。
図4の様に、水中を通った光による像の方が、空気中を通った光による像よりも、より多く右側に移動します。そのとき両者の移動量の比率と光の横切った空気と水の長さを考慮すると、水中での光速度が空気中での光速度の何倍になるかが計算できます。
前図に示す様に回転鏡cと球面反射鏡M2との距離は4m、水柱の長さは3mだから水が設置してある方の行路cM2を光が往復するのに要する時間 t は以下のようにして求まる。
ここで行路中の水柱の長さ3mをPと置く。また、空気柱の長さは4-3=1mとなるが、これをQと置く。さらに、水中の光速度をV’、空気中の光速度をVと置くと、光が行路cM2を往復する時間 t は
となる。
そのため行路cM2を往復する光の平均速度Uは
となる。
このUと空気中での光速度Vの比率が、前記の視野の中に生じるスリット像の移動量αα’とαα”の比率と互いに逆比例の関係にある。つまり
となる。
そのため水中の光速度V’と空気中の光速度Vの比V’/Vは
によって計算できる。この値はまさにV’/V=3/4となり、屈折率から求まるそれぞれの媒質の光速度の比とほぼ一致した。
フーコーは実験によって、光の速度は空気中よりも水中の方が小さくなることを確認し、その速度比が“波動説”のホイヘンスの原理によって水の屈折率から計算される空気と水の速度比にほぼ等しいことを示すことができた。
ニュートンによる光の“粒子説”では光の速度は空気中よりも水中の方が速くなるとしていたので、これは光が粒子ではなくて波動であるという“波動説”の決定的な証拠とされた。
もっとも、このフーコーの得た証拠は波動説の勝利が確かなものとなってからだいぶ後のことです。実際、波動説が確実になるのは、ヤングによる光の干渉実験(1805年)の成功やフレネルによる光の回折現象の説明、複屈折光研究による光の横波説の確立(1816〜1821年)のころです。
[補足説明]
“疎な媒質”から“密な媒質”へ光が入射するとき境界面で密な媒質の方向へ屈折する現象について、“粒子説”では光の粒子が境界面で密な物質により強く引き込まれることにより境界面に垂直な速度成分が増大する事によって生じると説明していた。そのため、粒子説では、“光速は“密な媒質(水)”の方が“疎な媒質(空気)”よりも速い”と考えていた。
粒子説と波動説の詳細は、こちらのBorn(p86〜90)の説明、あるいはPais(p72〜78)の説明を参照して下さい。
フーコーは1850年の実験に用いた装置をさらに改良して、1862年に光速度の絶対値を精密測定します。
第一の改良点はハーフミラーと接眼マイクロメーターの間に“縁がぎざぎざの歯車状の回転円盤”を入れたことです。この回転歯車円盤の回転数は正確に制御され、その単位時間当たりの回転数が測定できるようにしてあった。
一方回転鏡は小型タービンに送風する空気量を制御して回転数を変化させます。回転鏡が回転することで断続的に歯車状の回転円盤が太陽光の反射光で照射されます。
回転する物体を回転数と同じ周期で発光する“ストロボ発光装置”で照らして見ると回転物体の回転が止まって見えますが、回転鏡が反射して断続的に送り返す太陽光にストロボと同じ働きをさせるのです。
タービンの回転数を直接測定するのは難しいが、歯車の回転に同期するように調整することはできる。そして歯車回転円盤の歯が1ピッチ移動する時間に回転鏡が1回転(鏡の両面を使う場合は1/2回転)すれば、視野の中の歯車円盤は止まって見えます。つまり視野の中の歯車円盤が止まって見えるように回転鏡の回転数を調整し、両者を同期させることで回転鏡の回転数を測定した。これが1862年の実験で最も重要な工夫です。
下図は接眼マイクロメータの視野の様子です。
視野の中の歯車回転円盤(直径5cm)の円弧の上に並んでいる歯の数から解るように、かなり沢山の歯(400個)が並んだ円盤だったので、円盤はそんなに超高速回転させる必要はなかった。また、光学系配置図から解るように歯車回転円盤は軽くて小さなものだから、時計仕掛けで正確に回転させることは可能だった。
実際、1850年の論文の後半でタービンの回転数を計測するための装置の改良について述べているのですが、それによると遮光歯車円盤(直径5cmで歯数400個)は毎秒2回転の割合で時計装置により回転させたと記述されています。このため歯車回転円盤が静止して見えているときに、反射鏡は毎秒800回転していることになります。
視野の上側にある歯車状の影は、ハーフミラーで反射された後に反射鏡から反射されて帰ってきた歯車円盤の像かも知れません。その当たりは、接眼部のレンズ系の配置の詳細が良く解らないので何とも言えません。
いずれにしても、下図の様に接眼鏡測定装置の全体はレールの上を左右に移動できるようになっていたので、結像の位置をかなり任意に調整できたはずです。
第二の改良点は、色消しレンズを回転鏡とハーフミラーの間ではなくて回転鏡と反射鏡の間に移動させたことです。また、回転鏡と反射鏡m5の間の距離を4mから20mに増やしたことです。この間の距離を増やすことによって接眼マイクロメーター上の像の移動量が増えてより精密な測定が可能になった。
このとき注意して欲しいことは、反射鏡m1〜m5は全て曲率半径4mの凹面鏡であることです。スリットの像はまずレンズにより最初m1の凹面鏡の位置に結ぶように配置されていた。その像はさらに反射凹面鏡m2が果たす集光効果により、凹面鏡m3の位置に像を結ぶ。その像がさらに凹面鏡m4の集光効果により、凹面鏡m5の位置に結ぶようになっていた。つまり奇数次の凹面鏡の表面上にスリットのスケールの像が次々と転写されることで行路を20mまで増やしたようです。
[上図拡大版]
上記の改良点以外は1850年の装置と同じです。従って光速度の計算式も同じになります。すなわち
で計算すればよい。
ただし、これは近似式で、正確に計算するには、この場合も1.(2)3.の最後に注意したように、レンズの位置も考慮した正しい公式を用いる必要がある。
この実験で用いられたタービンは蒸気ではなくて圧搾空気で作動するものです。供給される圧搾空気の圧力はレギュレーターで正確にコントロールされた。300mmHgの送風圧力に対して、圧力変動は1/5mmHg以下に成るようにコントロールされている。
観測者は視野の中の歯車遮光円盤(歯数400)が静止して見えるように空気タービンに送る空気量を調整用コックを遠隔操作して、回転鏡の回転数を歯車回転円盤の回転数(毎秒2回転)の400倍に成るように同期させた。つまり回転鏡の回転数は800回転/秒。
フーコーの得た測定値は、回転鏡と反射鏡m5の光路長 l =20m、回転鏡の回転数 n=800回転/秒、スリットと回転鏡との距離 r=5.19m(この値は記されていないのですが図と光速の測定値から逆算するとこの程度になる)のとき、接眼マイクロメーター上でのスリット像の移動距離はd=7.0mmというものでした。(移動距離を0.7mmと説明している解説書が多いのですが、7.0mmが正しい値だと思います。)
これから空気中の光の伝播速度を求めると 298000000m/s となる。これは今日の測定値(真空中 299792458m/s) と比較しても誤差0.6%程度というきわめて正確な値でした。実際、装置の詳細を検討すればこの精度が達成できることは了解できる。
フーコー以後の光速度測定の歴史は文献5の第5章をご覧下さい。
このページを作るに当たって参考にした文献を挙げておきます。