壁と床の両方に摩擦が有る場合の梯子の立てかけ問題を例にして、高校物理に於ける摩擦の取り扱いを考えてみます。
以下の例は大学の入試問題とその解答です。 これらの問題では、“壁と床の両方に摩擦力が働く”としている。壁にも当然摩擦はあるのですから、これは実際の状況に即した問題です。しかし、これがはたして高校レベルの知識で解けるのだろうか?
前節の問題ではいずれも、梯子が滑って倒れる臨界値を求めるために、“滑り出す直前には床と壁が同時に最大静止摩擦力に達する”という条件を用いている。はたしてそのような仮定が許されるのだろうか。そのことについて考察する。
以下の議論では話を簡単化するために梯子の質量はゼロとし、人の重さWだけが働いていると考える。また滑り出す直前の臨界値ではない通常の釣り合い状態を考える。
そのとき摩擦力FAやFBのいずれもまだ最大静止摩擦に達していないので、それらの摩擦力を摩擦係数μAやμBによって垂直抗力NAやNBと結びつけることはできない。
このうち(1)(2)式を用いると(4)式は(3)式と同じになるので結局独立な式は3個となる。しかし未知数はNA、NB、FA、FBの4個なのでθ、l、x、Wが与えられてもNA、NB、FA、FBは一意には決まらない。このことは図2を検討すれば明らかです。
人が梯子のC1点(図2参照)に載っているとき、抗力RA、RBから生じる摩擦力FA、FBが各面での最大静止摩擦力以内であれば図2の(1)、(2)、(3)・・・等々のいずれもが解になり得ます。
(1)、(2)、(3)・・・のいづれにおいてもRA、RB、Wの合力はゼロなのですから、図中の力が“力のつり合い”と“力のモーメントのつり合い”の式を満足することは明らかです。結局、合力の作用点が作用線L1上にありさえすればいずれも解になります。この当たりの力の合成については別稿「剛体の静力学」を参照。
人が梯子の上をC1点からC2点へ移動した場合でも、やはり同様に摩擦力FA、FBが各面での最大静止摩擦力以内であれば図2の(4)、(5)、(6)・・・等々のいずれもが解になります。FA、FBが最大静止摩擦力以内でありさえすれば、合力の作用点が作用線L2の上にあれば“力のつり合い”と“力のモーメントのつり合い”の式を満足する解RA、RBが存在します。
[補足説明](2017年6月5日追記)
最近、ある読者の方から上記の抗力RA、RBは、[梯子の傾き]、[C点のy座標]、[荷重WのAB上の位置]の変化に応じて、下記の変化をすることを教えていただきました。確かに興味深い関係です。
図には作用点Cの鉛直方向の変化の様子しか描いておりませんが、荷重WがB点から出発して梯子AB上を登って行くと線分aAbAとaBbBの間隔は(平行関係と傾きを保ったまま)次第に狭まって行き、やがて入れ替わります。上図は入れ替わってから、さらに少し登った状況を示しています。
ところで、摩擦角θA、θBは、上図の変化とは関係なく定まっていますから、上図の変化が(2)1.で説明する事柄に影響を与えることはありません。
前項では摩擦力FA、FBが各面での最大静止摩擦力以内であると仮定した上での話しでしたが、現実には壁も床も静止摩擦係数μAとμBで定まる最大静止摩擦力による制限があります。
それぞれの摩擦係数から定まる摩擦角をθAとθBとすると
となりますので、つり合い時に合力の作用点が存在できるL1とL2上の区間は下図の赤矢印範囲内となります。
実際には、梯子のB端が床から受ける摩擦力は左向き、A端が受ける摩擦力は上向ですので、上図の黄色で表した領域内に合力の作用点は存在するはずで、その場合には梯子は滑らずつり合いを保ちます。
つまり、合力の作用点Oが上図の黄色の領域内のL1あるいはL2上にあれば、どの場合でも前記の(1)〜(4)式のつり合いの条件式を満たすのです。
このとき人が乗っている位置C1やC2が決まったときに、合力の作用点が上図黄色範囲内のL1やL2の何処に有るかは前記の4つの方程式からは決まりません。それを決めるには、床と壁の摩擦力と垂直抗力をどちらがどの程度分担するのかを決める“条件関数”がさらに必要になります。それが無いのなら、NA、NB、FA、FBを一意には決めることはできないのです。
今仮に、摩擦力が最大静止摩擦力以下でも摩擦力がどの程度あらわれるかを決める関数とか、あるいは床の垂直抗力と壁の摩擦の間、床の摩擦と壁の垂直抗力の間で、どちらがどの程度の力を受け持つかを決める“条件関数”が存在して人がC1にいるとき、その合力の作用点が下図のO1点に定まったとしましょう。
人が梯子を登ってC1→C2→C3→C4→・・・と移動していくと、合力の作用点Oは前記の“条件関数”に従ってO1→O2→O3→O4→・・・と移動していくはずです。そうしてやがて上図のabか又はacの境界線上に来るはずです。
このとき、 最初にあげた大学入試問題を解くときに必要な前提“滑り出す直前は床と壁が同時に最大静止摩擦力に達する”が成り立つためには、境界に達した後の作用点は、境界を突き抜けるのではなくて、境界に沿ってa点に向かって移動しなければならない。
つまり床や壁のどちらか一方の摩擦力がおのおのの最大静止摩擦力を越えそうになったら、越えそうになった摩擦力の増加がそこでストップ(より詳しく言うと静止摩擦係数μの割合でのみ変化)して他方の摩擦力が増大していくという“別のメカニズム”が必要となります。はたしてその様な都合の良いメカニズムが有るのだろうか?
確かに、図5のO3→O4→aの変化は線分BO3→線分BO4→線分Baの傾きが大きくなる方向に変化します。ですから、梯子上を移動する人の体重が一定ならば、壁のA点に働く垂直抗力(壁を押さえつける力と言っても良い)はだんだん増えていきますから、それに応じる形で壁から働く静止摩擦力も摩擦係数μの割合で増えいっても良さそうです。そのとき床のB点では常に最大静止摩擦力以下ですから問題有りません。つまり境界ab上ではA点についての普通の最大静止摩擦力に関する公式(最大静止摩擦力∝μ×垂直抗力、但しμは一定値)が“条件関数”として働き始めるのかもしれません。
また、c→a線上を移動する場合は、床のB点に働く垂直抗力つまり床を押さえつける力は変化しますが、μに応じて床の静止摩擦力が変化するとすれば、壁の摩擦力が最大静止摩擦力以内におさまっていますから、作用点はc→a線上を移動するかもしれません。この場合も、B点についての最大静止摩擦力に関する公式(最大静止摩擦力∝μ×垂直抗力、但しμは一定値)が“条件関数”として働き始めるのかもしれません。
そのメカニズムを保証するものが高校物理の摩擦の理論の中に有れば、この問題は解けますが、もし無いのならばこの問題は成立しません。
普通よく見かける壁の摩擦がない問題は、上図の壁の摩擦角がθA=0となった場合です。
このとき、上記の問題が解けるのは、“壁面に於いて任意の垂直抗力に対して摩擦力は常にゼロである”という条件があるからで、これは前述の“条件関数”に他なりません。
このときには、上記の“条件関数”がありますので合力の作用点は一意に決まります。そして人が梯子を登れば合力の作用点は図のようにab線上を一意に移動していき、合力の作用点が点aに達したとき梯子は滑って倒れます。
もし摩擦角θBがθB>θの場合には人がA点まで登っても梯子は滑って倒れることは有りません。
いずれにしても、この場合には完全に解けます。
前節2.(2)1.の最後で述べたように、たしかに人が梯子を登るにつれてAかBの一方の摩擦力が最大静止摩擦力に近づいて、いよいよそれを越えて滑り出そうとすると、梯子を静止させている力は他方の点に掛かってくるのかも知れません。そして他方の摩擦力が増大して上記の都合の良い“別のメカニズム”が存在するのかもしれません。
しかし、それは大いに疑問です。
結局、この問題は高校物理の問題として成立しないと思います。
もし君達が大学受験で最初に述べた様な問題に出会ったら色々疑問はあるでしょうが、それは置いておいて前述の仮定“滑り出す直前は床と壁が同時に最大静止摩擦力に達する”を用いて解いて下さい。それ以外の解き方は有りません。
注意深い入試問題作成者は上記の問題点に気付いておられるようで、壁と床の両方に摩擦力が働く問題はさけています。そのためこのテーマの出題のされ方は
のいずれかの形が多いようです。
これらのいずれの場合も、摩擦が働かない接点では垂直抗力のみが働くことになり未知数が一つ減り、最大摩擦力以下の状況でも2.(1)で立てた連立方程式を完全に解くことができます。
そのため、その解の極限として最大静止摩擦力を越える状況を議論することができて、Aタイプの問いでは梯子が滑る臨界値を求める事ができます[2.(2)2.図6参照]。