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ライト・フライヤー号(1903年)のエンジン

 人類史上初めて、人を乗せた動力飛行に成功したライト・フライヤー号はあまりにも有名です。このページは、ライト兄弟とテイラーが作ったフライヤー号のエンジンの詳細を紹介するものです。ビル・ガンストン著(川村忠男訳)「航空ピストンエンジン−そのメカニズムと進化−」グランプリ出版(1998年刊)を大いに参考にした。

1.クラーク図による詳細説明

 下図はライト・フライヤー号のエンジン(1903年)についてJ.H.クラークが描いたものです。ワシントン・スミソニアン博物館はこれを標準参考図として承認している。[拡大図][超拡大図

以下の説明は、上図を大きく展開したものと比較しながらお読みください。

下記URLの中の“Wright 1903 Engine” のページに詳しい説明がありますので、御覧になられてください。
    http://wright.nasa.gov/airplane/shortw.html

下写真はライト・フライヤー号エンジンの模型ですが、クランクケースの内部が良く解る。[拡大写真

 

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2.ライト・エンジンの思想

 オハイオの自転車製造業のウイルバーならびにオービルのライト兄弟は、問題を合理的に考え、ひとつひとつ几帳面に解決していくことにより成功にこぎつけた。多くの人たちは、単に搭乗しさえすれば飛べるというおかしな信念で、複雑な飛行機械を製造していたが、ライト兄弟には、まず飛び方から習得しなければならないことが分かっていた。したがって、彼らは1899年8月から1902年までを、さまざまな装置を造り、模型さらには有人グライダーを飛行させることに費やし、操縦飛行の問題を見つけ出し解決した。1903年までに、彼らは飛行方法を理解したので、後つけ加えねばならないのは動力装置がすべてであった。

[補足説明]
 彼らが必要としたエンジンの諸元見積もりは、鈴木真二氏が説明されているものを引用しておきます。この中のスミートン係数、抵抗係数CD、用いられている数式の意味については別稿「翼理論の芽生え」2.(1)5.の表、および「二次元翼理論」7.(5)5.を参照されて下さい。(2014年4月追記)

 ほうぼうに手を尽くして調べてみた結果、動力としてふさわしい軽くて高出力のエンジンが市場には無いことが分かったので、彼らは自分たちでエンジンを設計し組み立てることにした。彼らは機械工のチャーリー・エドワード・テイラー(Charlie Edward Taylor)と共に、すべて自家製で組み立てた。
 ラングレーのエアロドロームに搭載されたマンリー製作のエンジンを調べた人にとっては、1903年のライト・エンジンは、粗雑ではないにしろ平凡に見えたであろう。それは、マンリーの(すなわちラングレーの)費用のおそらく5%で設計、製造され、職人技的で信頼性があり、必要な物は全て実装されていた。

 おおまかには1903年頃の自動車エンジンに似た、4サイクル直列4気筒の水冷式であった。[ちなみに大量生産されて自動車時代の先がけとなったT型フォードが販売され始めたのは1908年からです。]
 シリンダーは横置きで、最大の部品であるクランクケースをアルミニウムで鋳造することにより重量を劇的に軽減することができた。彼らはクランクケースの鋳造をデイトンの鋳造所Buckeye Iron and Brass Worksに発注した。Buckeyeは生アルミニウムをPittsburgh Reduction Company(これは後にアルミニウム製品の世界的メーカーになるAlcoa社の前身です)から入手しました。この画期的な材料アルミニウムを航空機の構築材料として使用したのはライト兄弟が最初です。[ちなみにアメリカのホールとフランスのエルーがアルミナと氷晶石を用いた融解塩電解法(ホール・エルー法)をそれぞれ独自に発明したのは1886年です。]

 ライトやテイラーがこの複雑な構造のアルミ鋳造物からシリンダーをねじ込むネジや、クランクシャフトのベアリングを納める溝をどの様にして削りだしたのかとても不思議です。
 このエンジンの重量については、54kg(120ポンド)から109s(240ポンド)までにいたる13もの異なる記録があるが、おそらくエンジン本体は69kg(152ポンド)で、ラジエーターと配管(水なし)を含めて79s(174ポンド)程度が正しい数値だと思われる。(後にオービル・ライトはこのエンジンの質量はマグネット、水、オイル無しで約160ポンドであったと述べている。)
 J.H.クラークによる鮮明な図が、細部をすべて示している。この図の中にある略語C/Iは鋳鉄(cast iron)を意味する。ラングレー・エアロドロームのマンリー・エンジンのシリンダーは、数多くの失敗の末に産みだされた驚くべき離れ技というべきものであったが、ライトとテイラーのエンジンのシリンダーは鋳鉄から機械で削り出された。
 ライト・エンジンのボアとストロークは、どちらも102mm(4インチ)で、排気量は3,296(201立方インチ)であった。
 テイラーは選択の余地なくクランクシャフトとカムシャフトを鋼鉄の固まりから機械加工した。ライトのコンロッドは、他の部品にも見られるように簡潔な設計の例である。

 カムシャフトは2本あった。1本はシリンダーヘッドを横切ってエンジン下部にネジ止めされていた。それに取り付けられたカムは、ガスケットで気密にしたドラム型のバルブボックスの下側に取り付けられた排気バルブを押し上げて排気を実行した。吸気バルブは排気バルブと同じ形だが、自動スプリング負荷式になっていて、シリンダー内のピストン移動による吸引の負圧で引っ張られて開く。
 2本目のカムシャフトは、燃焼空間内の点火断続接点を連続的に開・閉する役目をする。クラークの図には、チェーンで駆動する主カムシャフト36と断・接カムシャフト38が点火時期を変える巧みな方法を組み込んだ歯車37で連結されている様子が示されている。

 次に示すエンジン下面の写真からも2本のカムシャフトの様子がよく解る。またエンジン下面に取り付けられたオイルポンプがカムシャフトのウオームギアにより駆動される様子も良くわかる。潤滑オイルポンプは写真の外観形状とギアの回転方向から推測して、下図の様なギヤポンプであろう。

ただし、残念ながらこのオイル循環システムは吸排気バルブやそれを動かすロッカーシステムはカバーしていない。
拡大写真][補足写真

 上の写真は1928年1月10日にライトの自転車店で、ロンドンに船積みされる前の1903年の復元エンジンを撮ったものです。復元は1916年に、1904年、1905年のフライヤーのエンジンパーツを使って行われた。オリジナルエンジンは1903年12月17日の記念すべき飛行後の突風事故で壊れてしまいました。ライトは以後の改良型エンジンを造るとき1903年エンジンのパーツを流用したようです。オリジナルエンジンのクランクシャフトやフライホイールは失われてしまいました。
 上の二枚の写真からエンジンとラジエーターを繋ぐホースが3本あるのが解る。ラジエーターは真ん中の支柱の後ろに取り付けられている薄くて縦に細長い柱状の物です。二本のホースはエンジン上面からラジエーターの中程へ、一本はラジエーター下部からエンジン下面へつながっている。
 また下左の写真のエンジン前に燃料遮断用コックがあるのが解る。このコックはその写真右端の支柱から翼の前縁を右から左へと伸びてきている燃料補給パイプの途中に設置されている。

 点火時期を調整する進角手動ハンドルとタンクから燃料を供給するニードル弁は、離陸前に調整された。兄弟は、常にフルスロットルにする必要があるだろうと正しい決断をくだしたので、スロットルは必要とされなかった。
 燃料はシリンダーを囲んでいるウォータージャケットの上部21にしたたり落ちて供給される。燃料は、ここで急速に蒸発し混合気となって吸入マニホールドへ移動する。シリンダー頭部の樽型の燃焼室に設けられた吸気バルブが開くたぴに、混合気はシリンダー内に吸い込まれる。
 空中では燃料コック(パイロットの右側のエンジン前にある)を閉める以外はなにも操作する手段はなかった。エンジン運転中の燃料流量は別のニードル弁によって、前もって最適な量に調整されている。燃料遮断コックを閉めたとしても、燃料はシリンダーを囲んでいるウォータージャケットの上部21にしたたり落ちて供給されていたので、エンジンはしばらく回っていたであろう。

 この歴史的エンジンは、一見すると粗雑なものに見える。たとえば、チェーンの張りを調節する木製のローラー、無制御の気化、下翼の羽布から数インチのところで、耳をつんざくように直接噴出する排気35、水の循環ポンプのない水冷機構、・・・等々。
 しかし、これを造った兄弟の考え方は、テイラーが最初のエンジンについて述べたことで言い表されている。それは「気化器もなく、スパークプラグもなく、大したものは付いていない・・・・・・。だが、具合よく動く。」というものだ。
 1902年暮れの段階のライト兄弟には、1899〜1902年の4年間にわたる空気力学実験とグライダー飛行実験から、82kg以下の重量で、8〜9馬力以上の出力が出せるエンジンがあれば空に飛び立てる確信があった。
 1902年12月3日に、彼らは方々のエンジンメーカーに、その要求を満たすエンジンが有るかどうかを問い合わせる手紙を出している。しかし結局彼らの望むものは無かったので自分たちで造ることにした。
 彼らの欲しいものは、とにかく数分間動き続けてくれさえすれば良いから、彼らが望む軽さで、必要な出力を発揮してくれる物だった。その要求を見事に実現したのが彼らのエンジンです。その様に考えると、これは実に良く考えられている。設計は実用本位ともいうべきもので、必要ないものはすべて省かれている。
 また一方では、その複雑な構造のアルミニウム・クランクケースやシリンダーに隣接して設けられた巧妙な機構の燃焼室などを見ると、これを作り上げるには、かなり高度な工作技術が必要であったこともうかがえる。
 兄弟は、1903年2月にデイトンで、最初のエンジン試運転を行った。最初に造ったものはベアリングが焼き付いてたちまち壊れてしまったが、4月に新たに入手した鋳造部品で作り直したものは安定して動いた。おそらく彼らはそのなめらかな運転に感動したにちがいない。

 エンジンは、どちらかといえばどっしりとした4本の脚で翼のリブにボルト止めされた。中心線から右側に設置して左側の腹ばいになった操縦士の重量とバランスをとっていた。エンジンの後部には、フライホイールとプロペラチェーンをまわす2枚のスプロケットがあり、チェーンの1本は8の字にひねられて、プロペラを逆方向に回転させるようにしてあった。スプロケットのギヤ比は エンジン側:プロペラ側=8:23 である。エンジンシャフトとプロペラシャフトは丈夫なパイプで連結されて、その間隔を保つようになっている。
 下図は1948年にイギリスから返還されてスミソニアン博物館にある本物のライト・フライヤー号のコックピット写真です。ただしエンジンは複製品です。オリジナルエンジンのアルミニウムシリンダーブロックはノースカロライナのKill Devil HillsのWright Brothers National Historic Memorialに展示されている。
 いずれにしても写真から、エンジン周りの様子が良く解る。また、パイロット腰部の鞍から伸びている、主翼をたわませるための、操縦索の様子も良くわかる。操縦索の途中から三角定規のような板を仲介にして後方の垂直尾翼に伸びる索も良くわかる。この索が主翼の撓みと連動して垂直尾翼を動かした。[拡大写真

 パイロットの右側の支柱に付いている平たくて細長い柱のような物がラジエーターです。エンジンのウォータージャケットの上面から二本のホースがラジエーターの中程につながっている。ラジエーター下部にはエンジン下面のパイプに連絡するホースを繋ぐパイプ口が見えるが、この写真ではそのホースはつながれていない(一つ前の写真を参照)。ラジエーターはその表面を流れる気流によって冷却した、単なる水の貯蔵所です。
 エンジンの写真を見る限りウォーターポンプらしい物はどこにもついていない。熱膨張で生じる密度差によって(あるいは沸騰した蒸気の圧力で)、エンジン上面に接続している二本のホースから熱水(または蒸気)がラジエーターへ流れ出て行く。ラジエーターで冷やされた(あるいは凝縮した)水が重力によって下部の出口から流れ出てエンジン下面の流入口よりウォータージャケットへ戻った。おそらく運転を続けると水は蒸気となってラジエーター上部の開放端から失われて行き、貯蔵された水の量はどんどん減少していったはずです。
 次図は1903年12月17日のオービルによる最初の飛行を撮した有名な写真の拡大図です。支柱に取り付けられた燃料タンクとラジエーターの様子が良く解る。ラジエーターの上部には円筒状の膨らみと漏斗のような付属物が見える。ここで大気に対して開放されていたのだろう。[複製機の拡大写真

 容積が1.5quart(=約1.43リットル)の燃料タンクは、パイロット左側支柱の上部に取り付けられていた。そこから燃料補給パイプがパイロットの胸の下を通ってエンジンにつながっている。燃料は重力による落下でエンジンに供給された。燃料コックには二種類あって一つは燃料の流量調節用、一つは単に燃料パイプの開閉に使われた。それらはパイロットの右側支柱の近くエンジン寄りの所にある。
 ラジエーターを取り付けた同じ支柱にRichardの風速計(フランス製)とストップウオッチが取り付けられていた。またVeedorの回転数カウンターがエンジンのシャフトの近くに設置されていた[下写真参照]。
 回転数カウンターの測定軸先端にはゴムチップが付いており、フレキシブルな支柱の先に取り付けられていた。支柱を撓ませることにより、回転数カウンターのゴムチップがクランクシャフトの末端に圧着されたり離れたりして、カウントの開始と終了が制御できた。
拡大写真

 左の写真がRichardの風速計で、飛行中メーターの二本の針が回転し続けて、空気中での移動距離を示した。中央写真はストップウォッチで飛行時間を計測した。右写真の回転数カウンターはプロペラの回転数を数えるために取り付けられている。ライト兄弟はプロペラの回転数からフライヤー号が大気に対していくら進行したかを推測した。
 これらの測定器は飛行開始とともに計測を開始し、飛行が終了した瞬間に全ての計測がストップされた。パイロットの右腕近くの翼の上に装着された木製のレバーを操作すると回転数カウンターがクランクシャフトから離脱し、同時に燃料コックが閉じて燃料補給を遮断する様になっていた。

 操縦士が配置につき、燃料コックを開き、兄弟の一方がプロペラをまわして、エンジンを始動する。もう一つある燃料コックでエンジン運転中の燃料流量は前もって最適な量に調整されている。始動時には外部のコイルと4つの乾電池バッテリー(飛行機には載せない)によってスパークを生成した。エンジンの回転が始まると付属の直流発電機により電源が確保される。次に、操縦士は点火タイミングを調節して、エンジン回転を最大でおよそ1,100〜1,200rpmにするが、出力は16hpほど、指示圧力は49〜53になった。
 今日、正確にはこのエンジンに何があって何がなかったかについては見解が異なる。1903年12月17日の状況について後にさまざまな図面に表示され、いくつかの記事にあたかも取り付けてあったように述べられていた水ポンプが付いていなかったのは確かである。ウォータージャケットは、単にシリンダーバレルを囲んでいるだけで、最も高温になる部分のヘッドやバルブボックスは冷却されなかった。当然の結果として、高温部分は次第に熱くなり、おそらく水は最後には沸騰しただろう。
 吸入空気は、熱せられて密度が低くなり、スロットル全開で約1分もまわせば、出力は約12hpに落ちてしまう。にもかかわらず、これでもプロペラに正しい回転速度を伝えるのには十分であったはずだ。
 残念なことに、このエンジンは12月17日の4回の飛行の後の強風による事故で壊れてしまい、その後の飛行に使われることはなかったが、エンジンは、確実に5分かそれ以上にわたって適正な出力を出すことができたであろう。

 

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3.その後のライト・エンジン

 その後、ライト兄弟は、誰かが予想するようなことはすべて行って、1903年のエンジンを改良していった。彼らは、その後のエンジンを直立にし、冷却を改善し、燃料、滑油それに水のポンプを取り付けた。シリンダーの設計も変更され、個別に分離されたシリンダーは、水冷のヘッドをもち、長いスタッドボルトでクランクケースに取り付けられた。簡単な気化器が、高圧マグネトー点火器と一緒に装着された。

 下写真は1906年に排気量4,372cc(266.8立右インチ)、重量99kg(218ポンド)、1,300rpmで30hpの正立エンジンとなって出現したものである。[拡大写真

 自動吸気バルプとロッカーアーム駆動の排気バルプは、アルミニウム鋳造ジャケットに冷やしばめされた鋳鉄シリンダーの頂部に直接取り付けられている。
 この段階ではまだ気化器はな<、燃料はポンプで調節され、暖かい給気管に送られて気化する。写真では、クランクケース側板が外されてカムシャフトを見せているが、ウォームギアでガソリンおよびオイルのポンプも駆動している。
 

下写真は1910〜1911年の段階のライト・エンジンの写真。かなり洗練されてきたのが見て取れる。シリンダーヘッドの両サイドのパイプは冷却水の循環用パイプでクランクケースの端に付いている水ポンプでラジエーターとの間を強制循環させる。写真では見にくいが、気化用の吸気管はシリンダーヘッド向こう側に付いている。点火はイグニッションコイルとディストリビューターによるスパークプラグとなっている。[拡大写真

拡大写真


 ラジエーターとその配管の様子が良くわかる。この段階の操縦方法は左手のレバーで前方の水平舵を操作し、右手のレバーの前後の動きで方向舵を、左右の動きで主翼の捻りを操作したようです。その当時主流となった操縦輪とフットバー方式に転換するのは1912年頃からだそうです

 この2枚は修復前の写真ですが、この機体は2001〜2002年に修復されました。そのときの写真が
http://www.fi.edu/wright/takedown/images.html[修復前機体写真修復後機体写真
で公開されています。特にエンジン周りの写真は興味深いものですから、是非ごらんください。
 モデルBはそれまでのライト機に採用されていた前方の昇降舵が廃止されて、水平尾翼のみになった。また橇に初めて車輪が取り付けられた。

 後期のライト・エンジンの代表は、1913年の6-60(6気筒、60hp)であった。これは、6,658cc(406立方インチ)の排気量をもっていた。80〜85という代表的な平均有効圧力で、6-60は1,500rpm時に60〜65hp出たが、オービル・ライトは、1,560rpmで74hp発揮したものを測定したことがある。エンジンの後ろ、翼の後縁にパイプが縦に沢山並んでいるのがラジエーターです。


 しかし、このときまでには、他の人たちも、この程度の性能のエンジンをつくるようになっていた。ウイルバーは1912年に死去し、最後のオリジナルのライト(兄弟)エンジンは、1915年につくられた。
 実際、兄弟は、自分たちのエンジンを彼らの飛行機の付属品以上のものとは見なさなかった。エンジンを販売するために、生産ラインを設けようという試みもしなかった。飛行家が、ライト・エンジンを買いに行くことができた場所は、バリクアン・エ・マレのパリ工場であった。ライトのエンジンは、いろいろな人たちによって改良がほどこされた。彼らは優れた技術感覚をしていたが、その多くは兄弟を怒らせた。

 ヨーロッパでは、ライト兄弟の成功を快く思わなかった。特にフランスでは、オハイオの田舎者の成功に気分を害した。ライト兄弟が、飛行に成功したと報道されても、果たして飛んだのか、飛ばなかったのかを検証するため、あらゆる議論が集中した。
 1907年に、ライト兄弟は、フライヤーV(改)機をヨーロッパに送った。ル・アーブルに1年間置かれていたが、結局、ウイルバーが、フランスに行くことができたので組み立てられた。1908年8月8日、彼は2分間以下の短い飛行を行ったが、その見事な飛行技術に見物していた人々は傍然とした。そのときはじめて、その場にいた飛行家に、飛行機は操縦されるものであることを印象づけたのである。

 ライト兄弟の業績については別稿「翼理論の芽生え(リリエンタール、ラングレー、ライト兄弟の飛行)」で説明しておりますので、併せて御覧ください。

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4.参考書と参考URL

 主に参考にした本とHPページです。

  1. ビル・ガンストン著(川村忠男訳)「航空ピストンエンジン−そのメカニズムと進化−」グランプリ出版(1998年刊)(P133〜139)クラーク図はここから引用しました。
  2. http://www.wetwing.com/wright/「ライト兄弟のひみつ」
    ライト兄弟のことが、とても詳しく紹介してあるステキなサイトです。最初に読まれると全体像がつかめます。
  3. http://wright.nasa.gov/airplane/shortw.html
     1903年エンジンの詳細について最も詳しい情報が得られるNASAのサイトです。とくに“Wright 1903 Engine” の中のページを御覧ください。
  4. http://www.fi.edu/wright/1911/index.html
     フィラデルフィアにあるフランクリン科学博物館に保存されている1911年製造のライト・フライヤー・モデルBに付いてのページです。この機体は2001〜2002年に修復されましたが、そのときの記録写真がhttp://www.fi.edu/wright/takedown/images.htmlにあります。エンジンの詳細が良く解りますので御覧ください。
  5. http://www.vintageaircraft.org/featured/の中にあるPDFファイル
     2003 - Vol. 31, No. 12 - Details_ Looking Closely at an Historical Reproduction.pdf
    はライト機複製の様子を報告したもので、とても興味深い。
  6. http://www.nasm.si.edu/wrightbrothers/fly/index.cfm
     系統的な説明があります。ここから幾つかの写真を引用しました。
  7. http://www.456fis.org/THE_WRIGHT_COMPANY.htm
     ライトの飛行機製造会社の様子を示す写真がたくさんあります。
  8. http://www.loc.gov/exhibits/treasures/wb-achieve.html
     ライト兄弟関係の基本的な写真が掲載されています。
  9. http://core.libraries.wright.edu/
     ライト兄弟関係の写真ライブラリーとしては最も充実しています。サイト内検索をすると貴重な写真が見られます。
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