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マイケルソン、モーリー著
 “地球と光エーテルとの相対運動について”(1887年)

 このページは大野陽朗監修「近代科学の源流−物理学篇U」北大図書刊行会(1976年刊)p287〜298 より引用。これはAlbert Abraham Michelson and Edward Morley、“On the Relative Motion of the Earth and the Luminiferous Ether”、American Journal of Science、 34 (203): p333〜345、 1887年の部分訳です。











マイケルソン[Albert Abraham Michelson 1852〜1931年]

 アメリカの実験物理学者。海軍兵学校卒業後、光速度の精密測定などの光学研究に従事。ベルリン、ハイデルベルク、パリヘ留学研究(1880〜1882)した。クリーブランドのケイス工学校教援(1883)、シカゴ大学教授(1892)。
 地球と工一テルとの相対運動を見出す実験を、光路が直交する干渉計を用いて行なったが(1881)、結果は否定的であった。
 そして、フレネル随伴係数検証したフィゾーの実験(1851)を追試Lて確認(1886)した後、さらに精密な干渉実験を計画した。
 地球運動の光学現象への影響については、フレネル理論が最良であり、この場合v/cの1次効果は地上では観測不能、2次効果は高精度測定で可能というローレンツの指摘を受け、装置をさらに改良、モーリーと共同して再実験を行なった(1887)が、結果はやはり否定的であった。
 この一見失敗に見えた実験結果はローレソツが短縮仮説を提出する契機となった。短縮仮説は、やがてアインシュタインがエ一テルを排して作り上げた特殊相対性理論によって説明された。
 1895年以降は、この干渉計によりスペクトル線波長の精密測定、これを長さの絶対標準とすることを提唱。
 晩年は直径91cm、長さ1.6kmの真空パイプを用いる光速度の大がかりな精密測定を企画、後継者の手で光速度2.99774×108m/sが得られた。
 1907年、ノーベル物理学賞受賞。

モーリー[Edward Williams Morley 1838〜1923年]

 アメリカの物理学者・化学者。組合教会の牧師を志願して神学校に入学、その傍ら化学の研究に従事した。クリーブランドのウェスタン・リザーヴ大学教授(1868)。 
 1870年代に、酸素と水素の原子量の比較測定を行ない、のちに、マイケルソソと共同して、干渉計を用いたエ一テルの検証実験を行なった。

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