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G. B. Airy, “On a supposed Altertion in the amount of Astronomical Aberration of Light, produces by the passage of the Light through a considerable thickness of Refracting Medium”, Phil. Mag. (4), 43, April, p310〜313, 1872年
同じものが Proc. Roy. Soc. London, A. 20, p35〜39, 1872年 にも掲載されている。




[補足説明]
 上の表について補足すると、γ星の位置は下図の様になります。
拡大図

 下図中のA、A’春分の日秋分の日にγ星が南中するときの天頂からの北向き偏角です。また、図中のC、C’が光行差を考慮してγ星の赤緯から計算される子午環儀のある場所“地理学的な緯度”です。
拡大図

 表中のB、B’γ星“航海暦赤緯(Nautical Almanac)”はテーブル最右欄の光行差補正が施されたものです。最右欄の光行差補正量は別稿「年周光行差と年周視差による星の位置変化」1.(2)で説明した計算法で算出されたものです。春分・秋分の位置でγ星と黄道面の成す角が約75°ですから、補正する光行差の量は20.5”×sin75°=19.8”程度となります。Airyの論文では春分・秋分における光行差補正量は19.74”となっていますが、当時の公転半径の観測値から求まる地球の公転速度と、光速度の測定値からはこのような値になったのでしょう。
 春分・秋分の日を外れると南中時のγ星と地球の公転方向(黄道面)との角度は少し減少しますので、それに応じて補正のための光行差値は少し変化します。またそのとき、γ星の赤径は17h56mですから、光行差補正量が最大値を取る日は春分・秋分の日から365日×4m/(24×60)m≒1日程度の違いは出てきますし、地球の公転軌道も完全な円ではなく楕円ですからそれらの効果も出てきます。

 

G. B. Airy, “Additional Note to the Paper ‘On a supposed Altertion in the Amount of Astronomical Aberration of Light, produces by the Passage of the Light through a considerable thickness of Refracting Medium’”, Phil. Mag. (4), 45, April, p306, 1873年
同じものが Proc. Roy. Soc. London, A. 21, p121, 1872年 にも掲載されている。

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