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マックス・プランク著(浜田貞時訳)「現代物理学の思想(上)」−講演と回想− 法律文化社(1971年刊)P19〜35 より引用
M. Plank, “Zur Geschichte der Auffindung des Wirkungsquantums”, Naturwissenchaften, 31, 153, 1943年

 これは、マックス・プランクが晩年に雑誌「自然科学」に寄稿したもので、後世のために当事者本人が作用量子発見の過程を書き残してくれた貴重な記録です。このなかで彼が得意とした熱力学のエントロピー(実験式の内挿公式として見つけたもの)をボルツマン流の統計力学で解釈し直すことでエネルギー量子ε=hν(作用量子h)を見つけたことが述べられています。
 多くの解説書がこれを参考にしているのですが、この文章だけから理解するのは極めて難しく、プランクの原論文や彼自身による解説書「熱輻射論」とつきあわせながら読むことが必要です。
 理論展開前段の共振子と輻射エネルギーの関係についてはノーベル賞講演の方が詳しい。ただし、内挿式の解釈についての説明はこの稿の方が詳しい。また内挿式へ至るエントロピーに関する考察は両方で強調されている。両方を合わせて読まれることを奨めます。
[段落分、文字の着色・強調等は、読みやすくするために当方が適当に行いました。また文中の(古典論文叢書No)は物理学史研究刊行会編「物理学古典論文叢書1 熱輻射と量子」東海大学出版会(1970年刊) の中の論文番号を意味します。]

マックス・プランク著「作用量子発見の歴史によせて」

 要素的作用量子の登場とともに物理学の新時代が始ったのだから、私はこの普遍定数の算定にいたるまでの曲折の多い道を、後世の物理学者たちのために、記憶にある限り忠実にかつ簡潔に描写しておく必要と義務を感じている。

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 この目的のためには、まず私の大学時代にまでは遡らねばならない。その頃から、物理学の中で何よりも私の関心をひいたのは、すべての自然現象に対して、それにあずかる物体の性質に依存することなしに意味を持つような、重要な普遍的諸法則であった。こういう基本的態度で私を教育してくれたのは、特にマクシミリアン高等中学校の数学教師H・ミュラーである。そのおかげで、熱力学の二つの主法則が特に私をひきつけた。だが第一法則、すなわちエネルギー保存の法則が、単純明快で特別の説明を要しなかったのに対し、第二法則を正しく理解するには、綿密な研究が必要であった。私がこの法則を知ったのは、学生時代の最後の年(1878)にR・クラウジウスの論文を読んだ時なのだが、この論文[R.Clausius, Die mechanische Wa¨rmetheorie,1876]はその表現が非常に明快で説得力に富んでいるために魅力的だった。クラウジウスがその第二法則の証明を導いたのは、「熱はひとりでに低温物体から高温物体に移ることはない」という仮説からである。この仮説には特に説明の必要がある。それは単に、熱が低温物体から高温物体へ直接には移らない、ということを意味しているだけでなく、そういった熱の移動は、たとえば何か適当な循環過程を工夫しても、その代償となる変化を自然の内のどこかに生じることなしには、いかにしても不可能であって、その時生じた変化を元に戻す時にはまた別の変化が残る、ということを表明しているからである。右の仮説が含んでいるここまでの主張を前提として、はじめて第二法則の一般的な証明を導くことができる。クラウジウスの証明に向けられたさまざまの反論は、本質的な点でこの仮説の意味するところを誤認したことによっている。

 この点をできるだ明確にしようとして、私はこの仮説を、より単純でわかりやすいと思われる形に表現しなおした。すなわち「熱伝導の過程はどのような仕方によっても完全には元に戻すことができない」としたのである。これはクラウジウスの把握していたのと同じ事柄を表現しているが、特別な説明を必要とはしない。ただ、「どのような仕方によっても」「完全に」という言葉には、しかるべき注意が払われねばならぬ。つまりそれらの言葉は、その過程を元に戻すためにどのような(力学的、熱的、電気的、化学的な)補助手段を用いてもよいが、その操作が終った後では用いられた補助手段が、その使用前と正確に同一の状態に戻っていなればならない、という条件を意味している。換言すれば、まさしく全自然を通じて、過程の最初の状態が再現されるべきだ、ということなのである。どのような仕方によっても完全には元に戻すことのできぬ過程を、私は「自然的」と名づたが、それは今目では「不可逆的」と呼ばれている。

 クラウジウスの命題をあまりにも狭義に解釈することから生ずる誤りは、私が生涯を通じて正そうと務めてきたものであるが、いまなお完全には姿を消していないと思う。実際今日でもまだ、不可逆性の上述の定義の代りに、「逆方向には進むことのできない過程を不可逆的という」といった定義にお目にかかることがあるが、これでは十分ではない。逆方向には進むことのできない過程をも、何らかの仕方で、しかるべくしつらえられた装置によって完全に元に戻すということは、確かにたやすく考えられうるからである。不可逆性のまさにこういったより深い意義にもとづいて、第二法則は熱現象にだけでなく一任意の自然現象に対して意味を持つことになる。

 上の定義から、自然界のすべての過程は、何らかの仕方で完全に元へ戻すことができるかどうかによって、可逆過程と不可逆過程(当時私はそれらを中性的過程、自然的過程と名づけていたのだが)の二種類に分類される。ここから帰結する重要なことは、ある過程が不可逆的可逆的かということが、その初めの状態と終りの状態の性質にのみ依存し、過程の特性や経過について知る必要はまったくないということである。問題は、終りの状態から出発して、自然界の全体にわたって初めの状態を再現できるかどうか、ということだけだからである。第一の場合、すなわち不可逆過程では、終りの状態は初めの状態よりもある意味で特別に扱われており、自然はそれを「偏愛」しているとも言える。第二の可逆過程では、二つの状態は同等なのである。この偏愛の強さの尺度としてクラウジウスのエントロピーが設定され、こうして自然界のすべての過程において、それにあずかる物体のエントロピーの総和は増大し、極眼の場合である可逆過程に対しては不変である、という意味での第二法則が得られたのである。こういった分析を、私はミュンヘンでの学位論文[U¨ber den zweiten Hauptsatz der mechanischen Wa¨rmetheorie,Munchen,Th. Ackermann, 1879]の中でおこなった。

 この論文は当時の物理学界に、ほとんど何の関心もよび起さなかった。私が基礎的な科学教育を受た物理学者のPh・v・ヨリイや、数学者のL・ザイデルおよびG・パウエルといった大学の先生たちは、彼らと実際に話を交したのではっきりしていることだが、誰もこの論文の内容を理解していなかった。彼らは私のことを物理実験や数学のゼミナールでの仕事から知っていたというだけの理由で、それを学位論文としてパスさせたのだろう。さらには、主題そのものにより近い物理学者たちも、賛同はおろか、関心さえ示さなかった。ヘルムホルツはそれをまったく読んでいなかったし、キルヒホッフはその内容にはっきりと反対したが、彼の批評は、可逆過程によってのみその大きさが測定可能かつ定義可能であるエントロピーの概念を、不可逆過程に適用してはならないというのであった。クラウジウスとは近づきになることができなかった。彼は人間関係において非常に引っ込み思案だったし、ボンで彼に会おうと一度は試みたのだが、それも彼の不在のため果せなかった。ライプチヒのC・ノイマンともこの問題に関して文通はしたが、それは何の成果も挙げなかった。

 こういった苦い経験を味いながらもこの課題に魅せられた私は、エネルギーと並ぶ物理現象の最も重要な特性と考えたエントロピーの研究をやめなかった。その最大値が最終的平衝を表わすということから、エントロピーを知ることにより物理的、化学的な平衡の法則がすべて導き出された。このことを私は次の数年間にいくつかの研究で、まず凝集状態の変化に対し、ついで気体の混合に対し、最後に溶解の現象に対して順次おこなった。それらすべてにおいて、たとえば解離理論に対するような実り豊かな結果が得られたのである。だが、後になって知ったのだが、アメリカの偉大な理論家ジョン・ウィラード・ギブスがこの方面では私に先んじていて、これらの法則を部分的にはもっと一般的な形ですでに定式化していた[J. W. Gibbs, Transactions of the Connecticut Academy 1873,1876,1878. Deutsche U¨bersetzung von W. Ostwald mit dem Titel Thermodynamische Studien, Leipzig, W. Engelmann, 1892]ので、ここには残念ながら私に固有の収獲は残されていなかった。

 

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 その代り、輻射熱の領域で私は前人未踏の地に行き当った。すでに1860年キルヒホッフは、完全に反射する壁で囲まれた真空の空洞が熱を放出、吸収する任意の物体を含む時、不可逆過程によって時間と共に輻射の平衡状態が形成されるが、それは唯一つの変数、すなわちそれらすべての物体に共通な温度Tに依存する、ということを見いだしていた。もし取り囲む壁が黒くてその当の温度になっているとすれば、その輻射状態は真空内のそれと同じものである。これに対応して、スペクトルのその都度の振動数νに対する輻射のエネルギー分布が決定される。このいわゆる定常エネルギー分布は、従って物質にはまったく依存しない、Tとνとの普遍函数によって表現されることになり、自然法則は包括的であればあるほど単純であるというのが私の確信だったので、この函数の研究は私には特に魅力的と思われた

 そのためにすぐ思いついたのはマクスウェルの電磁光学を利用することだったが、この学説は数年前にヘルツの偉大な発見によって最終的な勝利を収めていた。そこで私は真空の空洞が、電気的に振動してエネルギーを放出、吸収する物体で満たされていると考え、その物体の性質は関係しないのだから、できる限り簡単なもの、すなわち一定の固有振動数νを持ち、輻射によってのみわずかに減衰する線形共振子つまり振動子をえらんだ。私が期待したのは、この系の任意の初期状態にマクスウェルの理論を適用すれば不可逆の輻射過程が導かれて、それはある熱力学的な平衡状態にいたり、その状態における空洞輻射が、かの黒体輻射に対応する、問題の定常エネルギー分布を示すだろうということであった。

 このようなわけで、私はまず、共振による電波の吸収と放出の研究を始めた[Sitzungsber. Berl. Akad. Wiss. vom 21. 3. 1895;Wied. Ann. 57, p1〜18, 1896に再録/Sitzungsber. Berl. Akad. Wiss. vom 20. 2. 1896;Wied. Ann. 60, 577〜599, 1897に再録]。その際私は、電波で励起されてエルギーを吸収、放出する振動子と、これを励起する電波との間の相互作用が不可逆過程になると考えていた[Sitzungsber. Berl. Akad. Wiss. vom 4. 2. 1897, p59]。この考えはしかし、このように一般的な形で言い表わすならば誤っていたのだが、そのことをただちにはっきり指摘したのはボルツマンであった[L. Boltzmann, Sitzungsber. Akad. Wiss. vom 17. 6. 1897]。すなわちこの過程全体は、まったく逆の方向にも同様に進行させうるのである。そのためにはある時点で、電場の強さをそのままにしておいて磁場の強さの符号をすべて逆にするだけでよい。そうすれば振動子は、同心の球面波で放出していたエネルギーを同じ球面波でふたたび吸い込み、この励起する輻射から吸収したエネルギーをふたたび吐き出すのである。このような過程について不可逆性を云々することはもちろんできない。

 熱輻射の理論について進めてきた研究をここでさらに発展させるためには、それゆえこの同心的に収束してくる球面波といった自然界には存在しない過程や、従ってまた、磁場の強さの符号がすべて同時に逆転するといったことの可能性を、あらかじめ除外するような制約条件を導入する必要があった。そのために私は「自然輻射」の仮説[Sitzungsber. Berl. Akad. Wiss. vom 7. 7. 1898]を立て、熱輻射の波に合成される個々の調和的部分振動は、まったく干渉性を持たないとした。この仮説にもとづいて私は、一定の固有振動数を持ちわずかに減衰する線形振動子が、真空の空洞内でとる輻射過程の法則を展開していったが、まず、その過程の微分方程式が容易に積分できるゆえ、中央に一個の振動子が存在する球形空洞を、ついで任意個の振動子を含む任意の空洞という一般的な場合を考察した[Sitzungsber. Berl. Akad. Wiss. vom 18. 5. 1899; Ann. Physik, (4).1, p69〜122, 1900 に再録(古典論文叢書10)、これはSitzungsber. Berl. Akad. Wiss. に発表した一連の5編の論文1897(2/4、7/8、12/16)、1898(7/7)、1899(5/18)の最後のもので総まとめの論文です]。この研究の結果、一つの振動子とそれを励起する輻射との相互作用は事実、常に不可逆過程を形作り、しかも初期状態におる輻射強度の空間的、時間的な揺れは時間と共に平均化する、ということが明らかになった。平衡状態に達したとき、任意にわずかに減衰する固有振動数νの振動子は、

というエネルギーの値をとる[前掲論文の式(34)]。ここでc光速度Kν・dν・dσ・dΩ・dtは、dνのスペクトル区間にある直線偏光輻射が、空洞内の任意の面要素dσに対し、それに垂直な立体角dΩ内で、時間dtの間に入射するエネルギー量である。私にはかけがえのないものとなったこの式で重要なことは、振動子のエネルギーが輻射強度Kνとその振動数νとにのみ依存し、他の性質には関係がないということである。

 この過程の不可逆性からして、時間と共にその値が増大する状態函数を容易に示すことができ、それをエントロピーと解釈できるわけである。系全体のエントロピーは、すべての振動子のエントロピーと空洞輻射のエントロピーとの総和になる。一つの振動子のエントロピーを私は、

とした[前掲論文(古典論文叢書10)の式(41)]が、ここでaとbは普遍定数であり、自然対数の底eを因数としてbに付加してあるのは、単に便宜上のことにすぎない。

 また、空洞輻射のエントロピーの表現は、すべての輻射がそのエネルギーとともに、対応するエントロピーを伴うという仮定から類推により導かれたので、空間のエネルギー密度と類比的に空間のエントロピー密度が定められる
 これらを確定した上で私は、振動子および空洞輻射の初期状態を任意に選んでも、系全体のエントロピーは時間とともに増大することを証明したが、その終りの定常状態である熱力学的な平衡状態は(その時エントロピーが最大になるのだが)、そのすべての部分において唯一つのパラメーターに、すなわち

なる関係で与えられ、熱力学的には絶対温度を表わすTのみに依存している

 これに式(2)のSの値を代入し、式(1)の関係を当てはめれば、振動数νの輻射強度

が得られる。[この計算はこちらを参照

 これはすでに1896年、W・ウィーンによって立てられていた定常エネルギーの分布法則(古典論文叢書6)であり、当時(1899年5月)の測定によって本質的には実証されていたものである。ここまでは、万事が満足にうまく運ぶかと思われた。

 だがその後間もなく、まずO・ルンマーE・プリングスハイムが、また遅れてはF・パーシェンが、ウィーンの分布法則をより大きい波長へと検証し続けた際、そこに若干のずれが認められるのを発見し、そのずれは測定が精密になるにつれて、式(4)が一般的に成り立つかどうかを真剣に疑わねばならぬほどはっきりしてきた。そこで私は振動子のエントロピーの表現(2)を、より適切な表現に置き換えることができないものかと吟味することにした。

 この問題にとり組むようになったとき、以前には好ましくないと感じられていた外的状況、すなわち私の切り拓いた方向に対して専門仲間が関心を持ってくれないということが、今やまさしく私の仕事を楽にする事情として、むしろ好都合になるように運命ははからった。というのは当時、実験の面からも理論の面からも、正常スペクトルのエネルギー分布の問題には多くの優れた物理学者がとり組んでいたが、彼らはすべて輻射強度Kνを温度Tの函数として表現しようという方面でのみ研究していたのに対して、私はエントロピーSがエネルギーUに依存している点に、より深い関連を推定していた。エントロピー概念の意義が当時はまだ正当な評価を受けておらず、私の方法には誰も注意を払わなかったので、私は十分な時間をかけて徹底的に計算をやってみることができ、どの方面からも邪魔されはしないか、追い越されはしないかと心配する必要はなかったのである。

 エントロピーの性質を徹底的に明らかにするために、私はまず関係式(2)を用いないでまったく一般的に、定常の輻射場の中にあって、その輻射場に対応するエネルギーUよりΔUだけ大きいエネルギーを持った一つの振動子が、輻射場からdUのエネルギーを受け取った時に生ずるエントロピーの変化を計算してみた
 この変化は

となった[Ann. Physik, (4)1, p730 (1900)(古典論文叢書11)
 熱力学の第二法則によってこれが常に正であり、また自然界において実際に生ずる変化では、dUとΔUとの符号がとにかく逆であることから、必然的に

となる。
 実際、ウィーンの分布法則が導かれるエントロピーの表現式(2)によっても

が得られるのである。
 この関係が非常に単純なので、私はそれを適当な直観的考察から直接に導いてみようと考えた。そのような考察をやってみたものの、こうして私は別の面からふたたび関係(2)に、従ってまたウィーンの分布法則に到達した。

 この考察は、ある程度まで説得力があるにしても、否みがたいものとは言えないので、ここではそれを紹介することを控えておく。またそれが実際に適合しないことは、ウィーンの分布法則が測定によれば、一般的には成り立たないという事実からも明らかである。こうして式(2)を改善しようとする試みはゆき詰ってしまい、私はそれを究極的に放棄しようとしていた

 そのとき、こういった状態にあって、決定的な転回をもたらすべき出来事が起った。それは、1900年10月19日に開かれたドイツ物理学会で、F・クールバウムH・ルーベンスと共におこなった、非常に長い波長部分に対するエネルギー測定の結果が報告されたことである。その報告の一部として、黒体の輻射強度は高温になればなるほど、ますますよく温度Tに比例するということが明らかにされたが、これは輻射強度を常に有限ならしめるウィーンの分布法則(4)とは、かなりあい容れない事実だった。
 学会の数日前に私はこの結果を口頭で知らされたので、それからの結論を学会が開かれるまでに私なりの仕方で引き出して、振動子のエントロピーを計算してみるだけの時間的余裕があった。
 もし高温Tにおいては輻射強度Kνが温度Tに比例するとすれば、式(1)より振動子のエネルギーも温度Tに比例して

となり、これを式(3)に入れて積分すると

が得られ、従って

となる。この関係は従って、Uの大きな値に対しては、Uの小さな値に当てはまる関係式(5)にとって代るものである。[この計算はこちらを参照
 
 そこで式(5)と式(6)を極限として含む一般的な関係を求めれば、最も簡単なものとして

が得られ、積分すると

となるが、ここでは簡単のため、定数aC=a' と置いてある。[このあたりの計算はこちらを参照
 これは、Uに対して式(1)からKνを代入すればエネルギー分布法則を与える式になるのだが、上述の物理学会でのクールバウムの講演に続く活発な討論の途中で、私はこの式を波長に換算した形[Sitzungsber. Deutsche Phys. Ges. 2, p202〜204 (1900)(古典論文叢書12)で提出し、検討を加えるよう申し出たのである。

 翌朝同僚のルーベンスが訪ねてきて、学会が終った夜、私の式を自分の観測データと詳しく比較した結果、すべての波長で十分に両者は合致することが判った、と述べた。ルンマープリングスハイムも、最初は測定値との不一致を確かめたと信じていた[M. v. Laue, Naturwiss. 29, 137 (1941)]が、間もなく(プリングスハイムが口頭で伝えてくれたところでは)、それが計算の間違いによるとはっきり判ったので、反論をとり下げた。それ以後の測定では、実験方法が精密になればなるほど正確に、式(7)が繰り返し実証されることになったのである[H. Rubens und G. Michel, Physik Z. 22, p569 (1921)]

 

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 黒体輻射のスペクトル上のエネルギー分布法則の問題は、これで究極的に解決したと見なしてもよいであろう。だがここに、この法則の物理的意味を適切に基礎づけるという理論的に非常に重要で、これまでとは比較にならぬほど困難な課題が残された。問題は、式(7)から積分によって得られる振動子のエントロピーの表現を理論的に導出することなのだが、その表現は

の形に書かれる。
 この表現に物理的意味を与えうるためには、電気力学の領域をはみ出した、エントロピーの本質に関するまったく新しい考察が必要であった

 当時の物理学者の中でエントロピーの意義を最も深く把握していたのは、ルドヴィヒ・ボルツマンだった。彼は一定の状態にある物理系のエントロピーをこの状態の蓋然性の尺度と解釈し、第二法則の内容は、その系が自然の内に生じるすべての変化において、より確率の高い状態に移るということだと見ていた。事実彼はその運動論的気体理論において、自然に生じるすべての変化に際しその量が減少するという性質を持った、状態函数Hを定義することができた[L. Boltzmann, Vorlesungen u¨ber Gastheorie, 1. Teil, Leipzig, J. A. Barth 1896, p33]が、これはつまり負のエントロピーと見なしうるものである。もっとも彼は、この有名なH定理を証明するために、気体分子の状態が「分子的に無秩序」であるという制限条件を仮定せねばならなかった。

 私自身はその頃までエントロピーと確率の関係には注意を払っていなかったが、この問題が私にとって魅力をもたなかったのは、すべて、確率の法則というものが例外を許すものであるのに、当時の私は第二法則に対して例外のない妥当性を与えていたからである。私が考察した輻射過程についても、その不可逆性の証明は「自然輻射」の仮説を前提としてのみ可能であったこと、従って輻射理論においてもこういった制限条件の仮定が、気体理論におる分子的無秩序の仮定と同様に必要であり、全く同様の役割りをになっているのだということは、後になってはじめてはっきりと判ったことだった。

 だが他によい方策もなかったので、私はボルツマンの方法を用い、任意の物理系の任意の状態に対してまったく一般的に

という式を立てた。ここでWは、状態のしかるべく算定された確率を表わしている。

 この関係が実際に普遍的な意味をもつとすれば、エントロピーが加算量であるのに対して確率は乗算量であるのだから、定数kはその単位にだけは依存するにしても、普遍定数でなければならない。それはしばしば、ボルツマンの定数と俗称されているが、ボルツマンがこの定数を導入したのでもなく、また私の知る限り、彼はその値を求めることにも思い及ばなかったということは、注意しておく必要がある。もしそれをやっていたのなら、彼は現実の原子の数を問題にせねばならなかったであろうが、この問題は同僚のJ・ローシュミットにまったく委ねてしまって、彼自身が自分の計算をする時いつも念頭においていたのは、運動論的気体理論が力学的な体裁をとりうるかどうかということだけであった。それゆえ彼はグラム原子のレベルで満足していたのである。文字は非常に徐々に一般の間に浸透していったのであって、それが導入されて数年後でも、なおそれの代りに、一グラム原子に相応する原子数であるローシュミット数Lで計算するのが普通のことであった。

 ところで、関係式(9)を当面の場合に当てはめるために、私は非常に大きな数N個の同種の振動子よりなる系を考え、それが与えられたエネルギーUNを取る確率を算出してみようとした。だが確率の大きさは、事象を数え挙げることによってのみ算定できるのだから、まずはじめにエネルギーUNを、同様に非常に大きな数P個のばらばらでたがいに等しい要素εの総和と見なすことが必要であった。従って

としたわけが、ここでUは一個の振動子の平均エネルギーである。
 そうすれば、求めている確率Wの一表現として、P個のエネルギー要素が(番号を付けられるものと考えた)N個の振動子に分配せられうる場合の数

が容易に得られる[Sitzungsber. Dtsch. Physik. Ges. vom 14. 12. 1900, p240(古典論文叢書13)
 式(11)と式(9)からその振動子系のエントロピーは

となり、スターリングの公式から

すなわち

となる。

 二つの表現式(8)と式(12)との相似は一見して明らかである。従って残るのは、この二つを同一のものとするために必要な推定をおこなうことだけであったが、それは

と置くこと他ならない。
 ここから式(10)より、エネルギー要素の量として ε=a'ν が出てくる。振動子の性質には依存しない定数a'を私はで表わし、それがエネルギーと時間との積のディメンジョンをもつことから、エネルギー要素hνに対して、要素的作用量子ないしは作用要素と名づけた。輻射法則(7)式の定数aおよびa'の測定値から得られたの値は、それぞれ

となった。

 この理論の実験的な検討については、当時はまだ非常に限られたことしかできなかったが、それというのも、そのためにとり扱えたのが定数kだけであって、しかもその値はたかだかオーダーがある程度知られていたにすぎなかったからである。ボルツマンによれば、いわゆる絶対気体定数を意味する[L. Bo1tzmann, Situngsber. Wien. Akad. Wiss. (II) 76, p428 (1877)]のだが、いまのそれは、その場合の様にグラム分子における

にではなく、現実の分子に関するものである。従って

という比は、一グラム分子の質量を現実の分子の質量に換算する換算因子であって、ローシュミット数Lの逆数に等しい。ここから私はまた、一価の一グラムイオンの電気量(静電単位での)2.895×1014に、この換算因子を乗じて電気的要素量子の値を4.69×10-10esuと算定したが、F・リヒャルツ[F. Richarz, Wied. Ann. 52, p397, 1894]は1.29×10-10を、 J・J・トムスン[J. J. Thomson, Phil. Mag. (5) 46, p528, 1898]は6.5×10-10を見いだしていた。電気的要素量子のそれ以上の測定は当時まだおこなわれていなかった。

 以上の結果で私はある程度満足できたが、多くの物理学者の目には事情は当然別様に映った。熱輻射の測定から電気的要素量子を算定するといったことは、時として真面目に受取られさえしなかった。だが私はこのような疑惑によって、私の定数に対する自信を失うようなことはなかった。もっとも、それに対する完全な確信をはじめて得たのは、E・ラザフォードH・ガイガーがアルファ粒子の計算から、電気的要素量子の4.65×10-10という値に達したE.Rutherford and H.Geiger,Proc.Roy.Soc.London(A), 81, p162〜173 (1908)と知った時である。その後測定の方法が精密になって、この値は周知のごとく少しだけ大きくなった。

 これに比べて、最初はまったく宙に浮いていた、第二の定数hの値を吟味するという課題は、はるかに期待がもてぬもののように思われた。それゆえ、J・フランクG・ヘルツが、電子の衝突によるスペクトル線の励起に関する実験で、これを測定するのにそれ以上直接的であることを望みえないほどの方法を見いだしたことは、私には大きな驚きであり、かっ喜びでもあった。これによつて作用量子の実在に関する最後の疑いもまた消え去ったのである。

 だが今や、これら二つの奇妙な定数に物理的意義を与えるという、理論的に非常に困難な問題がもち上ってきた。実際、それらを導入することは、私が最初推測していたよりもはるかに根本的な、古典理論からの隔絶を意味していた。エントロピーの本質が、ポルツマンの意味での確率の尺度であることは、輻射に対しても最終的に確定された。このことは特に、私の立場に最も近い私の弟子マクス・v・ラウエが、種々の方面からの議論で私に確信させた命題、すなわち、たがいに干渉する二つの輻射束のエントロピーは、個々の束のエントロピーの和よりも小さいという命題において明らかになつた。これは、二つのたがいに独立でない事象が同時に生ずる確率は、それぞれの事象個々の確率の積とは異なる、という命題に完全に対応するものである。だがしかし、エネルギー要素hνの本性は明らかにされずに残っている。私は何年もの間、作用量子を古典物理学の体系の中にくみ込もうとくり返し試みたが、それは成功しなかった。むしろ、量子物理学の建設という課題は若い世代の人たちに残されたのだが、彼らについては、ここでは年代順に、A・アインシュタイン、N・ボーア、M・ボルン、P・ヨルダン、W・ハイゼンベルク、L・ドゥ・ブローイー、E・シュレーディンガー、P・A・M・ディラックの名を挙げるにとどめる。理論の数学的構築に関して、ドイツの物理学者ではまずA・ゾンマーフェルトが、物理学的理解の促進についてはCl・シェーファーが貢献している。

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