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Einstein著「自伝ノート(1947年)」東京図書(1978年刊)

 この文は、P.A.SchilppがEinsteinの70歳を記念して編纂した論文集にEinstein自身が寄せたものです。

訳者は、後書きで
 “この自伝ノートは7つの段落から成り、各段落に題名を付けると

  1. 生い立ちと哲学・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 3
  2. 19世紀物理学とその批判・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 16
  3. 量子論とブラウン運動の理論・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 53
  4. 特殊相対性理論・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 73〜81
  5. 一般相対性理論・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 81〜94
  6. 量子力学の統計的解釈批判・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・107
  7. 統一場理論・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・111

 のようになる。”
と注意されている。ここでは上記の中で第4段落のみを引用しますが、これは含蓄の深い文章ですが、極めて難解です。

4.特殊相対性理論(p73〜81)

 このような考察から、1900年を過ぎてすぐ後に、すなわちプランクの画期的な研究が出てまもなく、(極限的な場合を別にして)力学も熱力学も共に正確には成り立っているとは主張できないことが私にはすでに明らかであった。
 徐々に私は、既知の事実に基づいて努力をすることによって真の法則を発見する可能性をあきらめていった。長くそして絶望的に努力すればするほど、私は普遍的な形式的原理の発見によってのみ確実な結果が得られるのだとより強く信ずるようになった。私が眼前にとらえていた例は熱カ学であった。そこでは一般原理は、自然の法則は(第一種と第二種の)永久機関をつくることが不可能なようになっている、という命題によって与えられていた。では、どのようにしてそのような普遍原理が発見されたのであろうか。
 十年熟考して、そのような原理は、私がすでに十六歳のときにぶっかった、パラドックスから得られた。そのパラドックスは、光線のビームを(真空中の)光速度cで追いかけると、その光線ピームは静止した、空問的に振動する電磁場としてみえるはずだというものだった。しかし、経験に基づいても、マクスウェルの理論によってもそのようなことが起こるとは思えなかった。そもそものはじめから私には、そのような観測者の観点から判断すると、すべてが地球に相対的に静止している観測者と同じ法則にしたがって生じなければならないことは直感的に明らかなように思われた。なぜならば、もしそうでなかったら、第一の観測者はいったいどのようにして、自分が速い一様な運動状態にいることを知るのか、すなわち決定できるのか。

 このバラドツクスのなかに特殊相対性理論の萌芽がすでに含まれていることがわかる。現在ではだれもがもちろん、このバラドックスを満足に解決するすべての試みが、時間の絶対的な性格についての公理、すなわち同時性の公理を無意識のうちに押し止め認識しないままにしておくかぎり、必ず失敗することを知っている。
 この公理とその恣意的性格を認識することが実際にすでに問題の解を含んでいることは明らかである。この中心的な点の発見に必要だった批判的思考は、私の場合には、特にデイピッド・ヒュームとエルンスト・マッハの哲学的著作を読むことによって決定的に押し進められた。

 事象の空間座標と時間的推移が物理学で何を意味するのかがはっきり理解されなげれぱならなかった。空間座標の物理的解釈では一定の剛い参照系が前もって仮定され、さらにその参照系は多少なりとも一定の運動状態(慣性系)になければならなかった。ある与えられた慣性系では座標は剛い(定常的な)棒を用いるある種の測定を意味した。(剛い棒の原理的な存在を前提とすることは近似的には経験によって得られる前提ではあるが、原理的には恣意的なものであるという事実はつねに意識しておかなげればならない。)このように空間座標を解釈すると、ユークリッド幾何学の成立に関する疑問が物理学の問題となる。

 さて、ある事象の時刻を同じように解釈しようとすると、時刻の差を測定する手段(十分小さた空間的拡りをもつ系によって実現される、それ自身で一定の周期をもつ過程)が必要である。
 慣性系に対して静止している時計は局所時刻を定義する。.これらの時計を互いに“合わせる”手段があれば、全空間点の局所時刻をいっしょにしたものが、その選んだ慣性系に属する“時刻”である。このように定義された異なる座標系におげる“時刻”が互いに一致することは先験的にはけっして必要ではないことがわかる。もし、目常生活の実際の経験に、光が(その大きなcの値のために)絶対的同時性の陳述の手段として現れなげれば、このことはずっと以前から注意されたであろう。

 (理想的なすなわち完全な)測定棒と測定時計の(原理的な)存在を仮定することは互いに独立ではない。なぜなら、剛体棒の両端を往復して反射される光の信号は、真空におげる光速度一定の仮定が矛盾をひきおこさなげれば、理想時計となるからである。

 さて、上述のパラドックスはつぎのように定式化できる。古典力学で用いられている、ひとつの慣性系から他の慣性系に移るときの、事象の二組の空間座標と時刻の関係規則によると、二つの仮定

(1)光速度一定

(2)法則が(したがって光速度一定の法則も)慣性系の選択と無関係であること(特殊相対性原理)

は(両者がそれぞれ経験によって支持されているという事実にもか.かわらず)互いに両立しない。

 特殊相対性理論に基本的な認識は、仮定(1)と仮定(2)は、事象の座標と時刻の換算に新しい型の関係(“ローレンツ変換”)を仮定すれぱ、両立するということである。座標と時刻の物理的解釈が与えられると、これは単に伝統的な一歩を踏み出したといったようなことではけっしてなぐ、実際の運動する測定棒と時計に関する、実験によって肯定または否定されうる、はっきりした仮説を含んでいる。

 特殊相対性理論の普遍原理は、物理学の法則が(ひとつの慣性系から他の任意に選んだ慣性系に移るときの)ローレンツ変換に対して不変であるという仮定に合まれている。これは、熱力学の基礎にある、永久機関の非存在という制限的な原理と比較しうる、自然法則を制限する原理である。

 まず、この理論と“四次元空間”との関係についてひとつの注意をする。特殊相対性理論が物理的連続体の四次元性をはっきりとあぽき出した、あるいは新たに導入したと考えるのは広く行き渡った誤りである。これはもちろんそうではな
い。
 古典カ学もまた空間と時刻の四次元連続体に基づいている。しかし、古典物理学の四次元連続体では、一定の時刻の値をもつ“部分空間”が、参照系の選択とは無関係に、絶対的な現実性をもっている。それゆえに四次元連続体は自然に三次元と一次元(時刻)とに分かれ、そのため四次元的観点はどうしても必要であると強制的に映ることはない。
 それと反対に、特殊相対性理論は、一方で空間座標が他方で時刻座標が自然法則にいかに入るべきか、という方式に形式的な関係を与えている。

 ミンコフスキーのこの理論への重要な寄与はつぎの点にある。ミンコフスキーの研究がなされるまでは、ある法則のローレンツ変換のもとでの不変性を調べるためには、その法則にローレンツ変換を施す必要があった。
 それに対して、彼は、法則自身の数学的形式がローレンツ変換のもとでの不変性を保証するような形式を導入することに成功した。四次元のテンソル解析を創ることにより、彼は、普通のベクトル解析が三次元空間で果すことと同じことを四次元空間でおこなった。彼はまたローレンツ変換が(時刻の特別な性質のために生じる、異なる代数的符号を別にすると)四次元空間におげる回転にほかならないことをも示した

補足説明
 上記赤線四角で囲ったミンコフスキーの業績に対するアインシュタインの記述を補足します。
 “座標変換(ローレンツ変換)のもとで不変性を保証する形式”とは、要するにテンソルで自然法則を記述したと言うことです。そうすれば座標変換に対して共変的な形が保証されるので、相対性原理を必然的に満たしている。このことはEinsteinが一般相対性理論に向かう上で極めて重要な貢献でした。このことについては、Einsteinの1917年文献§17もご覧下さい。
 
 また、“ローレンツ変換が四次元空間における回転にほかならないことをもしめした。”ですが、自然法則が共変でなければならない座標変換とは、その原点を空間的にずらす事も含めた座標変換では無いと言うことです。座標の原点を固定して、時間座標軸と空間座標軸の関係(つまり互いの座標軸の交叉の仕方、斜交座標の斜交の仕方を変えると言うことです。この座標変換に対して共変でなければならないと言うことです。もちろん、その様な座標変換に限っても、その中には異なった速度(加速度)で動いている座標系への座標変換を含んでいます。また、空間座標についてもその斜交角が時間的に任意の変化をする斜交座標系への座標変換を含んでいます。
 これは一般相対性理論に向かうとき、最大に必要な制約です。実際一般相対性理論の世界では4次元空間の座標原点(世界点)をずらすことも含めた座標変換などは意味が無いのですから。つまり、自然法則が共変でなければならない座標変換とは4次元空間における座標原点(世界点)を固定した回転であるようなもので無ければ成りません。もちろん一般相対性理論の世界では単なる回転ではありませんが、いずれにしてもミンコフスキーの4次元世界の座標回転をさらに一般化したようなものです。
 座標変換をこのように捉えることは、4次元世界の世界距離(一般相対性理論の世界では微小である必要がありますが)が座標変換に対して不変であると言うことを理解する上でも有益です。

 まず、上のように特徴づけられる、この理論についてひとつの注意をする。この理論が(四次元空間を別にして)二種類の物理的なもの、すなわち(1)測定棒と時計、(2)例えぱ電磁場や物質点などの他のすべてのものを導入するという事実は奇異の感をいだかせる。これはある意味では矛盾している。厳密にいうと、測定棒と時計はあたかも理論的に自明なものとしてではなく、基本方程式の解(運動している原子の配位からなる対象物)として表わされなければならないであろう。しかしながら、そもそもの始めから、理論の仮定が、そこから物理的事象の十分に完全な方程式を十分任意性のないように導くことができ、そこに測定棒と時計の理論を基礎づげることができるほどしっかりしてはいないのであるから、この手続きは正当である。
 座標の物理的解釈を(それ自身可能な何かを)一般にあきらめたくないならば、このような矛盾を許すほうがよいが----もちろん、理論の以後の研究において、それを取り除く必要はある。しかし、ここに述べた欠点を正当化して、距離を、他の物理的な量と本質的に異なる、特別な物理的実体であると想像すべきではない(“物理学を幾何学に還元する”など)。

 さて、物理学が特殊相対性理論に負っている決定的な性格を知ることを考えてみょう。

(1)遠く離れている事象の同時性というようなものは存在しない。したがって、ニュートンカ学の意味での瞬間的遠隔作用というようなものも存在しない。この理論によると光速度で伝播する遠隔作用の導入は同じよに考えうるが、不自然である。なぜなら、そのような理論ではネルギー保存の原理をうまく言い表わすようなものがなくなってしまうからである。それゆえ、物理的実在は空間の連続な関数によつて表わされなければならないということは避け難いように思われる。したがって、物質点を理論の基本概念と考えることはもはや問題にはならない。

(2)運動量保存の原理とエネルギー保存の原理はただひとつの原理に融合している。閉じた系の慣性質量はそのエネルギーと等しく、したがって独立な概念としての質量は消え去っている。

注意
 光速度、は、物理の方程式に“普遍定数”として現われる、ひとつの量である。しかし、秒の代わりに、光が1センチメートルの長さをよぎる時間を時間単位として導入すると、cはもはや方程式に現れない。この意味で、定数cはただ見掛け上普遍定数であるということができる。
 グラムとセンチメートルの代わりに、適当に選んだ“自然”単位(たとえば、電子の質量と半径)を導入し、物理学からさらに二個の普遍定を除去する可能性があるということは明白であり、一般に受げ入れられている。
 これがなされたとすると、“次元のない”定数のみが物理の基本方程式に現われるであろう。この点に関して、今のところ、自然の単純さすなわち平易さを信頼する以外に理由づげすることができない、ひとつの命題について述べておきたい。そのような任意の定数は存在しない、すたわち、自然は、十分強く定まった法則を立てることができるようになっており、それらの法則には合理的に完全に決まる定数しか現われないようになっている(したがって、理論をこわさずに数値を変えることができるような定数は現われない)。・・・・・・・・・

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