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ヘリウムの発見

奥田毅 著「低温小史−超伝導へのみち」内田老鶴圃(1992年刊) から引用

 1868年8月18日にインドから東南アジアにかけて日食があった。このとき太陽スペクトルを観測していたジャンセン(Pierre Jules Cesar Janssen 1824〜1907年)はフラウンホーファーD線の近くに新しいスペクトル線を発見した。これと同じときロッキャー(Joseph Norman Lockyer 1836〜1920年)も同様なスペクトル線を発見しD3線とよばれるこになった。
 D3線はそれまで地球上では知られていなかったので太陽にのみ存在する元素からの光ではないかと想像され、その仮定の元素にロッキャーは太陽を意味するヘリオスからヘリウムという名前をつけた。
 その頃アルゴン族元素の研究をしていたラムゼー(William Ramsay 1852〜1916年)は実験室でD3線を出す物質を発見し、カイザー(Heinrich Gustav Johannes Kayser 1853〜1940年)は地中から出る天然ガスのスペクトル線にD3線を発見したので、ヘリウムは地球にも存在することが明らかになった。1895年である。

 大気中にあるヘリウムの量は大変少ない(0.0005%)。それは大変軽い原子のために地球上から絶えず宇宙空間へ逃げていくためである。そのため、大量に得るには天然ガスが利用される。ウランのα崩壊から生成されたものが、天然ガスに混ざっているのである。ヘリウムを含む天然ガスはアメリカ、カナダ、旧ソ連などにあり、早くから開発されているのはアメリカである。
 アメリカでは中央部から東部にかけて多数の産地があり、特にカンザス、テキサス、オクラホマなどの諸州から出る天然ガスにヘリウムが多い。しかしヘリウムの量は数パーセント以下で、大部分はチッ素、メタンであり、エチレン、炭酸ガス、酸素なども含まれている。

 天然ガスを圧縮、膨張で冷却するとメタン、チッ素などは液化するから途中で除かれて、最後は液化の困難な気体のヘリウムだけが出てくる。次図は天然ガスからヘリウムを分離する装置の一例である。

 きれいにした天然ガスをAから45気圧で熱交換器Bに通すとメタンは液化してCに溜る。残りの気体は熱交換器Dを通り、さらに冷却されてEに入る。Eでは液体チッ素と液体メタンが溜り、残りの気体は50%のヘリウムとチッ素である。Gは熱交換器でチッ素はさらに液化されてHに残り、Kからは98%のヘリウムが110気圧で出ていく。L、M、NはGを冷却するための装置で、圧縮機Lで圧縮したチッ素を膨張機Nで膨張させて低温にし、そのチッ素でGを冷却する。

 ヘリウムの主な用途は水素の代わりに飛行船に使われることであった。飛行機が今日のように充分に発達してない頃は飛行船が軍用によく使われた。軍用ではもちろんであるが、平時の輸送用としても、燃えやすい水素を避けて浮力は少し落ちたが不燃性のヘリウムを使用した方が明らかに安全である。
 しかし、飛行機の発達とともに飛行船は廃れていって、ヘリウムの使用量はおおいに減った。しかし、その代わりに深海での潜水作業に使われるようになった。ダイバーの呼吸用の気体に90%以上のヘリウムと酸素を混合して使うと潜水病が防げるので盛んに使用されている。深海作業のダイバーに空気を高圧にして送るとチッ素が血液中に溶解して危険な潜水病にかかることがあるが、チッ素の代わりにヘリウムを使うとその恐れがない。従って深海で作業しなければならないダイバーにはヘリウムが欠かせない気体になっている。

 さらに低温での研究では液体ヘリウムが必須である。この元素の発見・液化が驚くべき低温物理の世界を開き低温工学を飛躍的に発展させた。今日では学術研究用として大量のヘリウムが使用されている。

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