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剣 道 修 行 

1.心と体

 精神と体調は表裏一体、これは長い間高校生を観察していて、強く実感する。まさに感情、精神に変調をきたしているものは体調を崩し病気になる。感情、精神が安定している者は病気にならない。精神がコントロールできるようになればあらゆる病気は治る。精神をコントロールする術を身につけることが大切。
 世の様々な宗教の教義はその当たりの事を説いているものが多い。また、音楽、絵画、演劇、華道、書道、茶道などの様々な芸術の実践もそのための一つの手段を与えてくれる。そのとき運動もその方法を指南してくれます。自分の気持ちや精神状態を自由にコントロールする方法の一つが体を動かし体を鍛える運動の中にある。自らの足で歩いて八十八カ所を巡る四国のお遍路さんや、阿闍梨となる比叡山千日回峰行もそのようなものだと思います。これはあらゆるスポーツに通じることですが、剣道もその可能性を示唆してくれる。

 最近、自分自身剣道の練習をしていて、心(精神)の育成と体育は表裏一体であることを、強く感じる。体を動かしながら声を出す。運動と呼吸の相乗効果で気分爽快になる「ナチュラル・ハイ」。そして心が解放されてくる。剣道をすることにより心が開かれ強くなる。心が強くなることにより病気をしなくなり、剣道の境地は進んでいく。まさに修行が進めばすすむほど自分の体を自由にさばく事ができるようになる。そして姿勢、身の処し方、体のさばき方、歩き方に現れる。
 それが解りだしてから私は病気にならなくなりました。もちろん加齢とともに体力が衰え、疲れが抜けにくくなったために疲労がたまりくたびれて体調が崩れることはあります。しかし、ここ8年間はいわゆる風邪を引いたことがありません。発熱して寝込むということが全く無くなりました。もちろん、風邪のウィルスに感染していて、何となく体調が悪いなと感じる日が4、5日続いたりすることはあります。その場合も免疫の機構が強く働いて発病しなくなったのです。これは不思議なくらいです。いまにして思えば風邪を引かなくなったのは、上記の事が明瞭に解りだした頃と時期が一致します。
 さらに、その時期と一致するのですが、そのころから少しずつ自分の気持ちや精神状態を自由にコントロールできるようになりました。内省的になり寂しさや悲しさを感じたり、あるいは心を開放して気持ちを高揚させたり自由にしたりすることがわりと自在にできるようになりました。これは楽しいですね。人生何が楽しいといっても自分の精神状態を自由にコントロールできる楽しさに勝るものはありません。
 しかし、それらを体得するには、声を出し体を動かし、基本や型を練習し、身体を使った修練をしないと難しい。剣道の修行を日常的に行って初めて、そのあたりを実感できる。体を使った修練をしていない人にその当たりの妙を伝えるのは難しいが剣道はそういった意味で心の修行に適しているように思う。

 修行が進めば進むほど、基本の打突の練習が面白くなる。そして奥の深さが解ってくる。やればやるほど楽しくなり、飽きることはない。それは基本の練習の時感じる素晴らしい気持ち、心の冴えがやればやるほど強くなるからだ。声を出し基本の練習に入るときのすがすがしい気持ち、心が冴え渡ってくる気持ちが、ますます強くなる。(自分自身について言えば、立ち会いを始めるとき感じる気持ちの高ぶりは、40歳代前半まではアドレナリンがバッ!バッ!と放出されて覚醒してくる感覚でしたが、50歳を超えてからはアドレナリンのような薬物的な覚醒ではなく、それこそ、もっと透明な心の覚醒という感じです)そのためますます基本の大事さを感じるようになり、それ故にさらに基本の修練に身が入るようになる。そのとき単なる竹刀の振りや動きではなくて、自分の体の中心、体の奥深くの筋肉を動かして技を作り出していくというところに意識が働き、自分の体を動かすことに楽しさが感じられるようになる。そして境地が進めば進むほどより基本的なところが深まり、より基本的なところへ帰ってくる。つまり基本の打突よりさらに基本の素振り。素振りよりさらに基本の構え。構えよりさらに基本の歩き方・身の処し方・姿勢。そしてそれらよりさらに基本の心の持ち方・気の持ち方に収束していく。この方向の修練が進めば進むほど、逆の応用の実際の立ち会い、地稽古の内容が深くなることが実感できる。

 

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2.修行の方法

剣道修行のエッセンスは基本の技を古流の形稽古のように繰り返し練習することにある。
 何を基本の技とするかは多くの古流武術の流派では長い年月に渡って試行錯誤された。そして、その集大成されたものが各流派の型として確立され、長い年月伝承されている。すべてのエッセンスが詰まっていて多方面に応用の利く根幹の技が基本の技になって行くべし。実際、古流の剣道では半身を主体とし、八相の構えや脇構えで入身となり、半身から半身へ体を前後に入れ替えた動きの中で首筋、肩口、脇腹、上腕、足に自在に切り込み、またその切り込みを防いで次なる切り込みにつなげていく真剣での斬り合いを想定した型稽古が主体となる。(黒田鉄山氏の駒川改心流剣術の演武ビデオなどを見て強く感じる。)

 しかし現代剣道では首筋、肩口、脇腹、上腕、腰から下の足腰への打突は禁止されて、面、左右斜め面、突き、小手、左右の胴のみに打突部位が制限されている。さらに防具を装着した状態で、竹刀というそりのない物を用いた試合形式の打突になる。古流の体さばきの中から現代剣道に通じるものをつかみとることはできるだろうが、現代剣道の基本技は古流の形稽古とは違ったものになるだろう。現代剣道においては古流の型の練習よりも竹刀を用いた基本打突や基本の応じ技の練習の方がより効果的だろう。上記の制約された形の中でもっとも合理的な体の運用法をみいださなければならない。

 基本の繰り返しこそが境地を進めていく原動力になる。これこそが呼吸力・気の力を強め前記の目的を達成する事を可能にする。基本技の修行の時注意すべき事柄は

  1. 腹からの発声
  2. 技に入る前の気の充実した姿勢・形・構え。
  3. 脱力(特に上半身)してリラックスした状態から瞬間的な全力での全身を使った打突
  4. 体の中心の筋肉、奥深くの筋肉の動きを意識した動き
  5. 技を出した後再びリラックスした、すきのない残心
  6. 相手を叩くのではなく、相手を尊重して自分の体を全力で動かすことを主体とした寸止めの打ち。

 防具をつけ竹刀を用いて基本打突の練習をするとき大切なのは、相手を叩く・切る・突くという動作結果を重視するのではなくて、相手はあくまで目標であり自分の動作(いわゆるフォーム)の正しさや間合いをはかる物差しのようなものだと思うことです。相手を叩く直前で手の内を締める寸止めの打ちで良い。そちらの方が相手を叩くという動作よりも、自分の体をより迅速に動かす修練にはより適しているように思う。
 相手を叩くという動作ではなくて、自分の体をより素早く動かして間合いに入り、自分の竹刀をより速く運用し、竹刀の物打ち部を相手の体の目標箇所に持っていくという気持ちで修行してこそ効果は大きい。この気持ちで練習して初めて下半身は遅れず踏み込んでいき体全体を用いた技のしまった冴えた打ちになる。つまり体全体を独立にしかも協調して同時に動かした打突が可能になる。そうした打突を通してこそ気力が鍛えられていく。
 そして境地が進めば進むほど相手を尊重する気持ちが大きくなり、相手を叩くという気持ちより、自分の進歩の為に打ち込みの相手になって頂くという感謝の気持ちが強くなる。そのために全力で打ち込みながら寸止めの打ちになっていき、それでいて打ちに冴えが出てくる。そして寸止めの打ちながら、その打突の途中に相手の動きを様々に仮想的に思い描くことができるようになり、いろいろな応用が利く思いがしてくる。
 寸止めの打ちの中には、相手を打つということより、自分の体を動かすという意識の方が勝ってくる効用がある。そのため動き全体が締まってきて、次々と連続技が出せるし、次なる体のさばきがスムーズに出せるようになる。そうなってこそ相手の様々な動きに対応できる基本練習となる。

 基本技の練習といっても、特別なものはない。種々の素振り、種々の切り返し、種々の手の内の練習、面、籠手、胴、突き等の基本打突、基本の連続技、相手の打突に応じる抜き技や返し技、種々の連続の打ち込み等々。ここで言いたいのは上記の心がけを常に持ち、以下に述べる6つの着眼点を常に意識して練習すれば日々、本当に少しずつ少しずつであるが動きの質が変わり進化してくると言うことです。
 若い頃は基本の打突の練習をしても、そんなに重大な効果があるように思えなかった。それよりも掛かり稽古、地稽古等をたくさんやり、その中で駆け引き、フェィント等を練習した方が強くなれるような気がしたが、今はそのような小手先の動きよりも、もっと違うものが存在することが解ってきた。もちろん掛かり稽古、地稽古は沢山やらねばならないが、それよりも本当に単純な基本の技の練習の中で動きの質を進化させることができると実感できるようになった。

 

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3.着眼点

下記の6点が動きの質を進化させるのに重要なポイントのような気がする。

  1. 身体の可動範囲の拡大
     各可動部分が最大稼働範囲まで意志によって自由に動かせることが大事。
  2. 身体のリラックス
     特に上体の背中、肩、腕、肘の周りの筋肉はユルユルにゆるめた状態での立ち会い。
  3. 体幹の筋肉をつかう
     体の中心の筋肉、体の奥深くの筋肉を使っての身体を運用する。
  4. 個々をバラバラに独立に動かす
     各動作で必要な筋肉だけを、必要な時期に、筋肉それぞれを独立して動かす。そのためには身体を支えている様々な筋肉の力を独立して瞬時に抜けるように成ることも必要。これができるようになると身体の重力・落下を利用した身体の運用ができるようになる。
  5. 全体の筋肉を同時に動かす
     バラバラで独立した動きながら、それらの動きは一つの目的に統合され一つの効果を生み出さねばならない。そのためには必要な筋肉、骨格を、必要時にすべてが総動員できなければならない。
  6. 初動負荷理論で動かす
     瞬間的な動きで大切なのは、最大パワーを最初の起こりの瞬間に発揮すること。そうしてこそ、それに引き続いてのリラックスがノビのある動きを生み出す。
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(1)身体の可動範囲の拡大

 まず体の可動範囲を広げる。そして各可動部分が意志によって自由に動かせる用にする。肩が前後上下に大きく動くようにする。肩胛骨が背中で上下、左右、独立に自由に動くようにする。腰の骨が体幹部に対して自由に動くようにする。股関節を前後に自由にずらせるようにする。
 肩を前にずらすことにより竹刀が前に伸びるようにする。踏み込み素振りで後ろに残る足の膝が落ちないで腰を落とせるようにする。そうして股関節を柔らかくして大きく踏み込めるようにする。手首が返るようにする。手首が返らないと返し技はできない。何のスポーツでも足腰の関節、肩や胸の関節が柔らかくて足先や腕先が大きく動かないと話にならない。とにかく体が大きく動かないと上達しない、可動範囲が大きくないと話にならない部分があるのも事実だ。
 腕とか足の筋肉はわりと良く動くのだが、肩とか背中の筋肉や腰回りの筋肉はなかなか意志の通りに動かない。とくに肩胛骨が自在に動かせるようになれば、技に新しい局面が開かれるだろう。腕の付け根の肩関節は肩胛骨に付いている。そして肩胛骨は肋骨の上に乗っているが、体の中心のどの骨からも独立している。つまり本来腕の動きの根幹部は背中の肋骨の上をズルズルと動かすことができる肩胛骨にあるのだ。多くの人はその肩胛骨を背中の上で自由自在に動かすことができない。それが自由に動かせるようになると新しい境地に達することができる。
 また初心者の打ちは竹刀の振り上げ・振り下ろしに背中の筋肉、胸や脇の筋肉を使っていない。それらの筋肉を腕を動かす筋肉の動きと同時に使えば竹刀の動きはもっと大きくなり、運用のスピードはもっと速くできる。それを可能にするのも肩胛骨周辺の筋肉の柔らかさと動きにある。
 また股関節部が自由に動くようにする。これがなかなか動かない。たとえば椅子に座った状態で大腿部を前後にずらせるか。股関節部を上下左右前後に自由に動かせるか。特にこれができないと引き逆胴や逆胴の腰の動きができない。股関節周りの動きを柔軟にするには真向法が適しているように思う。真向法のストレッチ型に自分なりの工夫を付け加えて練習前に実行する。最初はその効果がなかなか解らないが続けていると本当に身体が変わり、動きが変わり、心が変わる。
 腰や股関節周りを自由に変形できるようになると、腰の内部の筋肉(腸腰筋など)を意識して使えるようになる。おそらくそれらの動きに促されて、内蔵の動きが活発になり、血流がよくなる。内蔵の消化器官や前立腺の働きも良くなる。そして内蔵の働きが良くなれば、おそらく自律神経の働きも良くなり精神的にも安定してくるのではないかと思う。
 股関節周りの筋肉、肩胛骨周りの筋肉を柔らかくすると、腰や胸の箱形を自由に変形できるようになる。そうするとその変形を引き起こす筋肉群を一つ一つ感じることができるようになる。感じて意識できるようになると、それらを意志のもとに動かせるようになる。意のままに動かせて初めて腰や背中に付着する筋肉群をバラバラに動かせるようになる。バラバラに動かせるようになって初めて、必要なときに必要な筋肉を瞬時・同時に動かせるようになる。普通の人が動かせない筋肉群を動かせるようになれば動きが変わる。腰回り、背中周りを柔らかくして可動範囲を広げることは大切。
 また初心の生徒は足首の関節が硬い。足の甲がつま先に向かってスッと伸びきるまで動かしきれていない。つま先立ちして足首の関節がスッと伸びるまで足首の関節を柔らかくし、その関節を動かす筋肉群を意のままに動かせるようなって初めて床を柔らかく自在に感じる事ができる。足指を開き床をつかみ取ることができるようにする。足裏、足指のすべてを使って床を感じる事ができるようにする。そうすると、その床に対する体さばきが変わってくる。足首から先の足の各部分を自在にバラバラに動かすための筋肉群を眠りから目覚めさせる。
 これは竹刀を真っ直ぐ振るとか、片手素振りの左手が中心を通るように振るとか、突きで竹刀を真っ直ぐのばすには、どの筋肉をどの時期、どの程度動かすかという事を覚えることにも通じる。以下で述べる(4)独立に動かす。や(5)同時に動かす。の前に各動きを正確に実現するために、必要な時期・必要な量動かすことができるようにする。そのためにはどういった順番で、どの筋肉をどういった量動かすかを体に教えてやらねばならない。それこそ基本の技を繰り返し練習して習得するしかない。そのもとはすべての関節が大きく動かせて、全ての筋肉群が大きく伸縮すること。そうして初めてそれらの筋肉一つ一つを感じることができる。

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(2)身体のリラックス

 体の筋肉とくに上体の筋肉、腕の先や足の先の筋肉、体の表面の筋肉をユルユルにゆるめておく。
 とくに剣道では肩、背中、胸、肘の筋肉をトロトロにゆるめておくことは大切である。適度に緊張させておくことが必要な筋肉(背骨周辺の筋肉、腸腰筋、もも裏の筋肉)以外は弛めておく。下半身の筋肉も弛められるものはできるだけ弛めておく。とにかくリラックスして構えておく事が重要。そうして初めて必要なとき必要な筋肉を最初からフルパワーで動かせる。修行が進むと上半身の筋肉、特に肘とか肩周りの筋肉はゆるめることができるようになる。しかし下半身の筋肉群をゆるめるのは難しい。私自身も立ち合いのときに下半身の筋肉もゆるめた状態で構えているということを意識できるように成ったのは最近のことだ。
 上半身のリラックスが大切なのは、剣道の打突のスピードはほとんどが上半身の動きから生じる。下半身は間合いを詰める事に主に使われるが、間合いを詰める事は重心の移動、つまり体全体の移動を伴い、どんなに頑張っても、どんなにフルパワーを用いてもそんなに早くはできないものである。それは質量がある物の加速度は発生しうる力に比例し、発生しうる力は有限だからである。そして間合いを詰める動作は時間がかかってもよい。元々相手の攻撃の間合いの外にある状態から間合いに入る動作だからである。しかし間合いに入ってからの動作には極限のスピードが要求される。間合いに入った後のゆっくりとした動きは致命的である。
 竹刀の重量は体に比べて遙かに軽い。故に間合いに入ったとき、竹刀の動きは体の動きに比べて遙かに早く運用できる。それは上半身の筋肉群によってなされる。そのとき上半身を構成する体の質量部分の質量重心の動きは少ない。ただ単に、上半身を構成する筋肉群が相互に動きあって体の形が変形するだけである。ただ単に、井桁がずれるような形の変形が生じるだけである。そのとき井桁の各部分の動きは小さくても、全体が協調して共同で動かせれば、それらの動きが集約された竹刀の先端のスピードは瞬息のものになり、可動範囲は非常に大きなものになる。全体としての質量中心の移動は伴わないので、修練を積めば積むほど剣先のスピードはいくらでも早くできる。その時以下に述べる、より体幹部・中心部・深部の筋肉群を、バラバラに、協調して動かすことによって達成される。そしてもっとも大切な事はその動作に入る前に、肩、背中、胸、上腕の筋肉群がトロトロ、ユルユルにリラックスしていることである。
 多くの場合関節を伸ばす筋肉と縮める筋肉が一対になっている。関節を伸ばす場合関節をのばす筋肉を一瞬の内に縮めなければならない。そのとき反対側の筋肉はゆるんでいなければならない。その筋肉に力が入っていれば、その筋肉をゆるめるのに時間がかかって瞬時の伸ばしはできないものである。
 実際地稽古の立ち合いをしていてリラックスしていない状態から行った打突動作は必ずスピードが出ず時間がかかって見切られかわされてしまう。瞬息の打突は必ずリラックスした状態からのものである。
 
 身体のリラックスで最も重要な事柄は高岡英夫氏の言われるセンターの概念である。それを高岡氏の著作「からだにはココロがある」総合法令出版から以下に引用する。
 人間の体は足の骨の上に頸骨、腓骨、その上に大腿骨、そして骨盤、仙骨がつみかさなり、その上に脊椎を構成する椎骨が積み重なっている。そして最頂部に頭蓋骨が乗っている。人が真っ直ぐに立ているときは、前記の骨が下から順番に真っ直ぐに上方に積み上げていった状態である。そのとき骨と骨の接点は滑りやすいく曲がりやすい点状の関節で接しているだけであるから、筋肉に力をいれて、その位置関係を保たないと、すぐにグニャと関節部で屈折してしまう。つまり普通の状態では筋肉に力を入れて前後左右から引っ張っておかねばすぐに崩れてしまって真っ直ぐに立っことはできないのである。
 しかしそのとき、地球が重力で体の各部分を下に引っ張っている方向と真反対に、正しく重心の上に各パーツを乗せた位置関係で骨を積み重ねていくことができれば、非常に微妙なバランスのもとではあるが、筋肉に力を入れずに真っ直ぐに立つことができる。センターが通った状態というのはそういった骨格の位置関係を実現して、骨の周りの筋肉に力を入れないで立っている状態のことです。
 なぜこの状態が重要かというと、この状態は筋肉に力を入れていないが、ものすごく微妙なバランスのもとにあるからです。筋肉に力を入れていないので、、少しでもどちらかに傾いたり、関節が折れ曲がったりすると、その姿勢は一気に崩れてしまいます。だから筋肉はリラックスはしているが、神経は最大限の敏感さでもって、身体の各パーツの状況やその変化を観察しており、筋肉に微調整のための信号を送っている。そうして初めて、骨に付随する筋肉群にはほとんど力を入れずに立つことができる。つまりセンターとは重力線とその延長線上に沿って形成された意識で、いつも自分の重心と地球の位置関係を正確に感知し、精妙にバランスを取りながら身体の位置をコントロールしている状態です。脱力しているから感覚がとぎすまされる。センターがあると、それを基準に、ちょっとした身体の傾きも瞬時に調整できる。例えば身体が右に傾くと、センターがそれを瞬時にきわめて正確にキャッチし、反対側の筋肉に必要なだけの力をいれてバランスを取る。だから、立つのに最低限必要な筋肉だけに力をいれ、後は脱力しても立っていられる。脱力していながら、感覚、神経系は最高度に覚醒した状態がセンターが通った状態で、まさに剣道の極意書で言う「ゆらぎの状態」である。そしておそらく、この状態が「自然体」と言われるものだと思う。
 剣道の打突や攻めの動作は重心のバランスを崩して始まる。全体が脱力していながら、自分の状況を最高度の敏感さで感知しているので、重心の崩れに沿って各パーツをより正確に使い分け、その動きに必要な筋肉を瞬時に動かし始めることができる。脱力しているので、体の各パーツのつながりが緩やかである。そのため各パーツをずるずるにずらす動きができ、センターを中心にした流動的な動きが可能で、あらゆる変化に対応しやすい。センターの位置は背骨の前ゆえに、背骨の動きをより分化させ、高度なものにする。そして体幹部の背筋や、体幹部に近いハムストリング、腸腰筋の働きが良くなる。そしてこの感覚は立っているだけ、歩くだけで養うことができるので、日常生活のあらゆる状況が修行になる。
 ただしセンターの概念を自ら感じ取れるようになるには条件がある。それは自分の脊椎を4〜5等分して、それぞれを独立に意のままに動かせるようになる必要がある。つまり脊椎を4個程度の自在関節で連結されたものとして、その関節部で自由に変形できるようになることである。そうして初めて自らの脊椎を下から順番にセンターが通るように積み重ねることができるのだから。最強の格闘家ヒクソン・グレイシーは脊椎の椎骨一つ一つを意のままにバラバラに動かせるレベルに達していると言われるが、少なくとも4、5等分をバラバラに動かせるようになる必要がある。私がこの状態に達したのは昨年くらいで、そのころからセンターを感じ取れるようになり、真っ直ぐ立てるようになった。

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(3)体の中心部(体幹)の筋肉を使う

 より体幹部の筋肉、より体の中心に近い筋肉、体のより深部の筋肉を使えるようにする。特にその鍵になるのは肩胛骨を動かす筋肉群と大腿部を動かす筋肉で腰に付着している筋肉群である。これらの根幹部の筋肉で上腕と大腿部を動かして初めて瞬間的な動きができる。
 剣道では竹刀を肩で振れというが、これは肩を支点として振るというのではなくて肩の支点である肩関節の付いている肩胛骨を動かして振ると言うことである。肩関節についている上腕を動かす筋肉だけでは上腕を強く速くは振れない。上腕が付いている肩関節の土台である肩胛骨を動かす背中の筋肉群と胸の筋肉を自在に動かせることが肝要である。
 また腰の周りの筋肉で大腿部を動かすことが大切である。特にもも裏の筋人群(大腿二頭筋、半腱様筋、半膜様筋)そして腸骨に付着して大腿骨を動かす筋肉(大腿直筋、腸骨筋)それと腰椎に付着しており大腿骨を動かす筋肉である大腰筋などが重要である。とくに腸骨筋と大腰筋を合わせたものを腸腰筋というが、これらを意識した動きでうごかせるようになることである。
 良く背中が割れた動きとか腰が割れた動きといわれるが、この当たりの事を言っている。ただし修行を積まないと背中の筋肉群を使って肩胛骨を自由自在に動かしたり、大腿部がコンパスを開くように動かすことは難しい。それが可能になると確実に竹刀の素振りのスピードは一ランク上昇するし、床面の上を滑るように前後、左右に動くことができるようになる。
 体幹部の筋肉を使って末端の四肢を動かすということは、(6)で述べる初動負荷理論と密接に関係している。また体幹部の筋肉により体幹部を変形させるという動作は、(4)や(5)で述べることができるようになると、信じられないくらいのスピードで体幹部を変形させる動きができるようになる。
 特に肩胛骨を動かせるようになり、肩胛骨の動きを竹刀の運用に利用できるようになると、籠手抜き面、籠手返し面、面返し面などの抜き技、返し技のスピードは確実に上がる。また腰回りの筋肉群が動かせるようになると胴技(面返し胴、面抜き胴、面抜き逆胴等)のスピードが上がる。
 私事ですが、最近自分の歩き方が変わってきました。腕や股やふくらはぎの筋肉を使って歩くのではなくて、体幹部特に背中、腹、そして腰の内部の筋肉をユルユルの状態でバラバラに使いながら、同時に協調して動かして歩く。そのとき股やふくらはぎなどの四肢の末端部の筋肉にはほとんど力を入れずに揺り動かして地面を蹴らずに歩ける。ナンバ走りで説明した動きに近い歩き方です。こういった歩き方ができるようになると、とても楽に歩くことができる。そのとき体を前に倒れるようにして重心を前にずらしてやると反射的に次々と足が前に送られて速く歩くことができる。とにかく歩くこと自体が楽しい。リラックスしているからいくらでも歩ける感じです。

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(4)個々の筋肉をバラバラに動かせるようにする。

 次に体の各部分の筋肉をバラバラに動かせるようにする。
 たとえば籠手から面の連続技でも左足を継ぐ量を大きくも、小さくもできるようにする。さらに間合いが近い場合は左足を動かさずに、また左足を後ろに引きながら右足は前に踏み込んで打つという動作をしなければならない。それらが可能になれば、どういった間合いでも籠手から面へと連続して打てる。それがいつも同じ量の継ぎ足しでしか足を送れなかったら特定の間合いで相手が動いてくれないと打てない。それでは動きが制約されて試合に勝てない。左足を送る量を調整するには右足と左足が独立して動かせねばならない。
 初心者で正面打ちをするとき必ず左足を継いでからでないと右足が踏み出せないのものがいるが、これも左右の足が独立して動かせない事による。つまり両足均等に体重をかけて右足でも左足でも自由に思う方の足の体重を抜いて前進したり後退したりが任意に、独立に自由にできないといけない。
 また正面打ちで上腕(肩と肘の間)を振り上げて両肘を前に振り出すと同時に腕(肘と手首の間)を伸ばせというが、初心者にはこれができない。普通の動きでは肘を振り上げて上腕を上げながら肘をたたみ腕を上げる。肘を振りおろして上腕を下ろしながら肘を伸ばす。これならできるが、上腕と腕をこの逆の運動で同時にするのは結構初心者には難しい。これを可能にするには上腕を動かす筋肉と腕を動かす筋肉が独立に動かせねばならない。
 試合で用いるコンパクトな面打ちも、初心の内は肘から先の腕先だけで剣先を振り上げてしまい、そのとき肘および肩は支点となり止まっている。肘も肩も同時に動かさねばだめなのである。それらを動かすにはそれぞれの部分を動かす筋肉が独立に動かせないとだめだ。腕先の動きに引きずられないと動かないのではだめである。
 突きの動作でも肩の筋肉を使って上腕を振り上げながら前に踏み込むという動作も、腕を引きながら踏み込むという通常の動作と違うので初心の内はなかなかできない。これも腕と足の筋肉が独立して動くようにしなければならない。
 引き逆胴でも足と腰の筋肉が独立して動かせないと難しい。
 また剣先をセキレイの尾のごとく自在に動かすには腕の指や手のひらを制御する筋肉が独立して自在に動かせないと難しい。特に剣道で大切な手の内というとき、それは竹刀を握る指のそれぞれが独立に締めたり弛めたりできる事が大切である。そして手のひらを自由に変形できないといけない。中段で構えたとき小指、薬指を締めて竹刀を握るが、親指、人差し指、中指はユルユルにゆるんでいなければならない。
 とにかく剣道の技にはいろいろな筋肉が独立して自由に動かせないとできない技はたくさんある。これはトレーニングして体に覚えさせないとできない。
 つまりある筋肉を動かすと必ずそれに引きづられて別の筋肉の動きがともなったり、ある筋肉の動きを引き出すために必ず別の筋肉の動きの準備がいるのではだめなのである。動きを必要とする筋肉だけ、また必要とされる筋肉はすべて瞬時に動かせなければならない。
 打突の時の目付にしても、初心のうちは必ず打突部位に目がいき、そこのみ意識が集中してしまう。全体を見て打突できないとだめだ。

 大切なポイントは後ろの足で蹴らないということ。特に大腿部前部についている大腿四頭筋やふくらはぎの筋肉を使って床を蹴って体を前に進めようとすると必ず蹴り足に力が入る。そのとき前の足は遊んでおり、蹴り足を中心に動きの中にためができ、後ろの足の蹴り、前の足の振り出し、踏みしめ、後ろの足の引きつけと、順番にうねるように体が動いていく。これでは相手に見切られてしまう。そうではなくて、実際には重力による倒れ込みを最大限利用する。そして大腿部の裏側の筋肉(大腿二頭筋)を使って移動する。ここの筋肉を使うことによりためのない移動が可能になる。
 そして同時に後ろ足も蹴っているのだが、それと同時に前の足の振り出しも同時に起こす。つまり前の足の振り出しによる体の引き出しも前進の力として同時に働かす。右足の体重を抜いての倒れ込み、後ろ足のひかがみの張りによる前進及び蹴り、右足の振り出しを同時に行う。体の各部分を独立して体幹部の筋肉も含めた全体を同時に動かし全体として平行移動の感覚で、全体として一気に動く。受ける立場から見ると相手が体全体でワッ!と突然目の前に迫ってきて打たれるという感じの打突である。特に大腿二頭筋(もも裏の筋肉)は初心の内はなかなか動かせない。しかし修練を積むと最初から瞬時にフルパワーで動かせるようになる。これができるかどうかで剣道の境地がまったく変わってくる。それと背中の筋肉を最初からフルパワーで動かしての竹刀の振りが重要になる。

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(5)必要な筋肉全体を同時に動かす。

 独立した動きを同時に協調して一緒にできるようにする。これも難しい。
 正面打ちでも、まず右足を滑らし踏み込んでから左足で蹴り右足を振り出し右足を踏み締めてから左足を引きつけている。どうしても左足の踏み切りに右足の踏み込みは遅れる。特に初心者にこの遅れがでるものが多い。これを遅れないように同時に右足を踏み込めば打ちは確実に速くなる。
 正面打ちの本質は両肘の前進と同時に両肩の前方への動きである。両肘を瞬時に前方へ振り出す事は重要であるが、このことに拘泥しすぎると肩が居着いてしまう。肩が支点になり肩わまりの筋肉が居着く。両肘の振り出しと同時に大切なことは上体の前傾と、肩の前方へのズレなのだ。肩胛骨周りの筋肉を最大限に、同時に使って肩胛骨を前方にずらし、肩の支点を前方へズルとずらす。この運動により肩の居着きが無くなり俊敏な打突が可能になる。
 初心者の切り返しは得てして肩から腕が動かず肘から先だけを振って竹刀を動かしている。これでは肘から先を動かす上腕の筋肉しか使えていない。竹刀は肩で振れといわれるが肩周りの筋肉を使って肩から竹刀をふれるようになるとスピードは一段と上がる。しかし、ここで止まっていては単なる上手の段階で、この段階では肩が支点になっており、その支点を動かす筋肉群を竹刀の打ち込みに利用できていない。達人といわれる人は、その肩の支点を動かして竹刀を動かしている。その支点を動かす肩胛骨の周りに付着している筋肉も同時に動かして初めて驚異的なスピードが可能になる。単なる竹刀の運用でも、より多くの筋肉を同時に利用している者の方がより早く動かせる。
 また打ち込みの時、左手の引きによるコック、スナップを効かせるのがおろそかになる。同時に効かせると打ち込みの時の剣先のスピードは確実にアップする。しかしえてしていつもそのコックや手の内の締めを忘れている。
 つまりある筋肉を動かそうと意識を働かせると必ず他の筋肉の動きがお留守になる。多くの筋肉を無意識のうちに同時に動かすのは難しい。これは本当に難しい。これもトレーニングして体で覚えるしかない。とにかくある動きに有効な筋肉は総動員してすべてを動かして一致協力させることである。これができれば動きの量もスピードも強度も、総動員できない人に比べると段違いに大きく、速く、強くなる。
 そして筋肉を総動員するということは関節の動きも総動員する。そうすると動きが固定されて回転の支点になる様な関節は無くなる。すべての骨格が互いにズレあう様にして動くから溜めが無くなり、支点が無くなるから動きが読まれにくくなる。一瞬どの様に動かしたか解らないような動きになる。
 胴技の体の左右へのさばきは足を蹴ってさばくという感じではなくて、足裏に掛かっていた体重を瞬時に抜いて、身体を落下させながら身体構造を変形させて相手の打突を抜く。重力による力というのは力を抜くだけで引き出せるかなり強い力である。力を抜いて引き出せることが、起こりやためを無くして迅速な動きを可能にする。
 おなじく引き技についても前に出ている足を蹴って下がるというよりも体重をフッと抜いて後ろに倒れ込む感じ。つまり後ろの足も体重を抜いて腰を落とすためフッと体重を抜いて後ろに引くのだが、その引く足で体全体を後ろに引き出すという感じで引く。
 相手の右側をすり抜けながら相手の左側胴を打つ逆胴も一歩攻め込んだとき右足のかかとの後ろにつける左足を支点にして、右足の体重を抜き相手の右横、自分から見て左前に倒れ込む感じで前に進む。つまり左足で蹴るという感じではなく倒れ込む、そして前に滑り出す右足で体全体を前に引き出すという感じ。
 引き逆胴で左斜め後ろに体をさばく逆胴も同じ。
 つまり蹴らない、体全体の落下と変形と平行移動という感じの体の運用。蹴るという意識が出るとどうしてもためが出て動きが遅れ、技の起こりが見えてしまう。
 面打ちも股裏の大腿二頭筋を用いて左足のひかがみの張りで腰をスッと前に出すと同時に、右足を前に振り出すという感じで出した右足で自分の体を前に引き出してもらうように体を運用する。そのときもちろん左足の蹴り、右足の振り出し、上体の前傾、腕の伸ばし(肩、肘の同時の動き)、手の内の締め等々をすべて同時にする。そうすることにより打突前の左足の蹴りによるためが消せて起こりの無い、溜のない打突ができるように思う。そうしてこそ体全体を同時に動かし、平行移動するような感じなのだが体全体が協調した打突ができる。
 引き面も手元を上げると同時に剣先を落とすのだが、これができない、初心の打ちは必ず手元を引き上げてから剣先を打ち下ろす動きになってしまう。

 諸手突き、片手突きいずれも肩を落として、体全体で突く。中段の構えから突きを出すには肩を支点にして竹刀を前に突き出すのだが、肩を支点にして突くのではなく、中国武術の寸勁(ワンインチパンチ)のようにのばした腕に体重が載った突きで突く。相手の突き垂れに剣先が当たるまでは、腕に力はいらない。スッとのばせばよい。しかし突き垂れに剣先が当たった後に体全体動きを乗せた背中から肩胛骨がズルと前に動くようなズンとくる鋭い突きが必要。そのときには肩が締まっていなくてはならない。それがあって初めて一本になる突き技となる。
 同じことが小手技についても言える。手だけで打つのではなくて、体の体重をフッと小手に乗せて、体全体で打つ。そうしてこそ“うねらない打ち”ができ、小手を抜かれても体が前に倒れず、足も体も打ちに遅れず前に出ている。もちろんそのとき大腿二頭筋(もも裏の筋肉)を使った体の前進も大切。

 小手を打つにしても上体をフッと前に倒す。上体の動きに促され、一致して小手を打ち出す。胴を抜くときも上体の肩から切る方向に抜く。その肩の抜きに促されて竹刀が振り抜かれていく感じで振ると速く振れる。支点が固着せず動きが読まれない。そして竹刀の動きに体の動きが遅れない。
 要点は腕だけで打つ、突くのではなく腕の動きに体全体の力を乗せていく。肩の振りで打突しているように見えてもその背後に体全体の力が乗り移っている感じの打突を体得する。つまり突かれた瞬間ズンとくる突き。打たれた瞬間ビシッとくると同時にズンとくる打ち。

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(6)初動に最大パワーが出せるようにする。

 筋肉は突然フルパワーで動かせるようにする。(初動負荷理論)
 これは小山裕史の主張する運動理論であるが、ジワーと動かし初めて徐々にフルスピードになるのではだめなのである。あらゆるスポーツは初動負荷にフルパワーが発揮できることが大切である。これがなかなかできない。ついつい動き始めてからだんだん加速してフル加速になるように意識が行ってしまう。最初は意識して初動フルパワー、そのうち意識しなくても初動フルパワーが出せるようにする。初動に最大パワーを発揮して後は惰性で動かしリラックスしていく。これが伸びのある動き、打ちを生み出す。多くの動きは一つの関節の裏表の筋肉を交互に収縮・伸張して、関節を伸ばす運動と曲げる運動を繰りかえす。収縮したあとに必ず反対の筋肉の収縮がくるので、今まで収縮していた筋肉はリラックスさせなければならない。初動負荷で動かし後はただちにリラックスさせるという動きはこの点からも理にかなっている。
 初動にフルパワーを発揮するためには、その動作に必要な筋肉群が動作の直前にユルユルにリラックスしていなければならない。リラックスしていないと初動フルパワーは発揮できない。
 初動負荷理論を小山氏の言葉でもう少し紹介すると「重心移動を先行させ、身体の中心部の筋肉群で力を発揮し、その筋肉群から出た力をうまくつかって手足などの末端部を動かす。末端部に位置する腕や、膝、ふくらはぎの筋肉はリラックスしてできるだけ余分な張力を発生させない。末端部の筋肉はできるだけ力を出さないで道具としてつかわれるから、末端部に生じる反射運動や加速度運動を制限しないから早く、安全で、しなやかな動きができる。末端部が勝手に、自然に動くことが反射で、この反射を妨げずに促進するように動かすのが初動負荷理論の要である。」一流ランナーの走りのフォームを観察すると小山氏の言われることが良く解るが、これは本来あらゆる動きに当てはまる。

 

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4.基本技の型稽古にこそ本質がある。

 以上6点を述べたがこれらは互いに密接に関連しあっている。これらの着眼点は、理想とする動きをある方向からみた一断面である。すべてができて初めて、目指す動きの全体像が浮かびあがってくる。
 これらの事を可能にするのが、基本の打ち込みによる型稽古や応じ技のパターン練習である。そう思えば基本練習の楽しさ重要さが解る。

 ここに記述した事柄は甲野善紀、黒田鉄山、宇城憲治、高岡英夫、小山裕史などの人々の著作や演武ビデオに多くを依存している。これらの人々は最近ますます脚光を浴びているが、自分自身も修行の過程でこれらの人々の考え方を知り、多くの教えや啓発を受けた。多くを学んだが、やはり武道の修行は自分で実践してみなければ解らないものです。修練して初めてこれらの人々の言われることが少しづつ理解できるようになる。
 そして振り返って現代剣道のトップレベルの選手の動きを観察してみると、上記の事柄を実践し体現している。実行できているからこそ質の高い剣道ができていることが解る。

 そして上記の着眼点は剣道に限らず体を使って行うすべてのスポーツに通じる。最近の身近なところでは大相撲テレビ中継での横綱朝青龍の動き、特に時間前のしきりの中での身の処し方に、上記のすべての要素が読み取れる。だから朝青龍は強い。その当たりの事が見えるようになったのも自分自身の技が進化したからこそだと思う。加齢により自分自身の体力は衰えてくるが、心の持ちようや技の質は修練によりもっともっと進化できると思える予感はある。
 体の動かし方の研究には底知れぬ深みと可能性が残されていると感じる今日このごろです。

 

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5.攻めと地稽古

 「攻め」とは何かを剣道をやらない人に伝えるのは難しい。攻めは地稽古の中でこそ体得できる。地稽古は基本技の修練と並ぶ剣道修行のもう一つの大きな柱です。そしてこの地稽古こそ打突部位を制限して防具と竹刀を用いて行う現代剣道で初めて可能になった修行方法で、深い内容を包含している。

 未熟な自分が攻めについて説明するのはおこがましいのですが、今の段階で理解しているところを述べます。
 現代剣道の試合は竹刀のもの打ち部で相手の打突部位を打ち合うことでおこなわれる。相手の打突部位を打つためには竹刀が届く間合いまで近づかなければならない。しかしここで問題になるのは身体は質量を持っているため、どんなにフルパワーを用いてもそんなに早く間合いを詰められない事です。前に述べたように、質量がある物の加速度は発生しうる力に比例し、発生しうる力は有限だからである。そのためいわゆる遠間(竹刀の剣先がふれるかふれないかの間合い)からの打突は身体移動に時間が掛かって、相手に読まれ、かわされ、応じられてしまう。
 そのとき、もっと近間からの質量中心の移動を伴わない、井桁を変形させるような、体全体を変形させる打突動作は、身体の各部分の質量や竹刀の質量が体全体の質量に比較して遙かに軽いため、体の各部分に対して相対的にかなり迅速に動かすことができる。これなら舜息の打突動作、いわゆる一拍子の打突が可能です。
 そのため剣道の試合では一拍子の打突で打突可能な間合いまで攻め込めこんでから打突動作を開始しなければならない。しかしその間合いは相手にとっても一拍子の打突が可能な間合いであり、相手の竹刀も瞬時に届く間合いだから、攻め込んだ方にとってもきわめて危険な状況である。
 まさに剣道の最大の妙味は一拍子の打突が届かない間合いから、一拍子の打突で相手を打つことができる間合いに入り込む瞬間にある。

 入り方には無限のバリエーションがある。左右の足を送って継いで攻める。左足はそのままで、前に右足を滑らして攻める。右足をそのままで密かに左足を継いで攻める。じりじりと小刻みに攻める等々。下肢の動きに加えて上体の動きにも様々なバリエーションがある。
 そのとき、遠間から打突動作を起こしながらの攻めは相手に簡単に見切られ応じられてしまう。だから攻めるとき面、籠手、突き、胴のどこを打つかのそぶりを見せないで攻め込む事が大事である。つまり打突動作を起こさずに攻め込まなければならい。あるいは打とうとする部位とは違うところを攻めて目的の場所にスキができるように攻める。いわゆるフェイントをかけて攻める。しかし、そのようにして間合いを詰めることは、相手に取ってはまさに絶好の打突機会である。まさに敵の方から間合いに入り込んでくれるのだから、一拍子の打突を実施するだけで打ち勝つことができる。これが出がしらの技である。

 だから攻め込む方はその出がしらの技で打たれないように、攻め勝って間合いに入らねばならない。攻め勝つとは、相手の「剣を殺し」、「打とうとする気を殺し」、「技を殺し」て攻め込むことである。

  1. 剣(竹刀)を殺すとはまさに自分の竹刀は中心を進み、相手の竹刀は中心からはずれた状態にすることである。その際相手の竹刀を上から押さえたり、下から支えたり、裏から攻めたりの攻防が展開される。そうして中心を割ってはいって打突できれば、その技は決まる。ただし、そういった竹刀操作に心が捕らわれると、抜き技や返し技で出がしらを打たれてしまう。
  2. 気を殺すとは、相手を居着かす事である。打突動作を起こさず、鋭く中心を攻めると相手はどこを攻められるか判別できずに一瞬相手を見てしまって動けない瞬間がある。それは金縛りにあった様な状態で、居着いた状態という。相手をこういった状態に導くことができれば、こちらの打突がきまる。そのとき相手が居着かず出がしらの技を迷わず打ってくるとこちらが打たれてしまう。
  3. 技を殺すとは、こちらの攻めにより、相手に攻めの打突動作を起こさすことなく防御の態勢、防御のための動作を起こさせることである。防御の動作は必ず防御する部位とは違う場所にスキができる。そのスキを打つことができる。あるいはこちらの攻めが一種の誘いになり、相手がねらっている出がしらの技を誘い出すことができる。その出ばなの技を抜き、返して打突できれば打突の好機となる。とにかく相手を動揺させビクッと動かすことができれば打突の機会が生じる。しかし、そのとき相手の技を殺し切れなかったら相手の術中にはまり、こちらが打たれてしまう。

 攻める方にしてみれば非常に危険な間合いに入っていく動作であるが、この「攻め」が無いとどんなに素早く一拍子の技を出しても見切られてしまい、技は決まらない。まさに「捨て身で打ち間にはいる攻め」がないと一本になる打ちは決まらない。
 こちらが攻め勝って打ち込めるか、逆に相手に出がしらの技や応じる技を決められてしまうかは、紙一重の違いである。この攻防の中に剣道の最大の妙味があり、この瞬間こそ、各自の心や、気の持ち様が大きく影響してくる。この中に修行のもう一つの面白さや深さがある。

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