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高等学校の生活

A.高等学校の三年間

〔一年次〕 一生懸命授業を聞いて、一生懸命クラブ活動をして、学校行事に積極的に参加する時代。勉強と言えば学校の定期考査に全力を尽くしておけば良い時代。この時期の生徒にとって大学入試はまだまだ先の事、自分がやりたい職業を選択するのもまだまだ先の事。この時期の勉強を効率よくするには、課外クラブ等で汗を流し、気のあった友達を見つけ学校生活を楽しみ授業、定期考査を中心に勉強していけば良かった。高校生になれたのが嬉しくてたまらなかった入学時の喜びを思い起こして下さい。

〔二年次〕 学校の様子も解り学校生活にも慣れて落ち着いてきます。しかし、同時にマンネリ化が始まる時期です。クラブ活動では主戦力として、学校行事でも積極的に働かなければならない時期。夏休み課題テストが終ったと思ったら体育祭、文化祭、秋の県選手権、その間には連続して模擬テスト、定期考査があります。毎日毎日が息つく暇のない忙しさで過ぎていく。まさにアップアップと感じで毎日を過ごさなければならない時期。そして大学受験のことがそろそろ気になるころ。
 いくら勉強しようと思っても状況が伴わなければできません。一年生の段階でいくら毎日5時間受験勉強をしようと思ってもなかなかできません。周囲の状況がととい、自分が将来何になりたいのか、どんな生活をしたいのかを考えるようにならなければ、単調で辛い勉強はなかなかできません。たとえ時間をかけても集中度の点で効率が悪いものです、また気持ちが整わなければ、学校の授業やクラブ活動との間で空回りするだけです。もの事には実行する適切な時期と順序があります。周囲の状況に応じ、自分の体力・知力の発達段階に応じて、そのとき最も適した生き方をすることです。

〔三年次〕模擬テストが毎月あり、周囲の友達の目の色が変わってきたと感じる時期。この時期、各人の勉強時間が何時間かとか、テレビを見る時間が何時間かとかを聞く段階でありません。この時期は起きている間の空き時間はすべて勉学にそそぎ込まなければならない。以前と違って周囲の状況からそれができる時期です。それは毎日の生活の中でこれでもかこれでもかと、受験の為の刺激がそそぎこまれ精神は緊張状態にあるからです。ただしそういった非人間的なメチャクチャな勉強ができるのも1年間だからです。この時期になると1年次の勉強がいかにのんびりしたものだったか分かる。

 

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B.課外クラブ活動のこと

 1、2年生の段階では、課外クラブの様に学校の授業や家での勉強とは違った時間がないと毎日の生活は旨くいきません。何か息抜きをする時間。気持ちを切り替える時間。そして生活のリズムを作る上で核になる行動が必要です。それは課外クラブでもよいし、何か自分の趣味の習い事やボランティア活動や読書でも良い。何か勉強以外で熱中できるものです。

 よく勉強する時間が取れないからクラブをやめると言う人がいますが、それは3年生の段階です。1、2年生の段階ではクラブをやめても勉強はできないものです。1、2年生の段階で勉強できるできないは、時間がある無しではなく自分の生活を規則正しく律して基本的生活習慣を確立できるかどうかにかかっています。

 自分でよく考えてみて下さい。確固たる趣味を持っている人以外、勉強してない時に何をして過ごすつもりですか。小学生や中学生なら野山を駆けめぐり、路地裏で遊び回ることも在るでしょう。しかし高校生になった君達がすることではありません。ゲームセンターやショッピングモールなどの盛り場をうろついてみますか。そんなことをしてみても空しいだけです。漫画やテレビを見て漫然と放課後を過ごしますか、それも情けない。自分でやるべき事柄を持っている人や家業を手伝わねばならない人以外は、結局クラブ活動をするか学校の様々な活動に積極的に参加するのが良いのではないでしょうか。

 やはり精神的に充実して安定した生活を送るには毎日の生活のリズムを作ってくれる何かが必要です。気分転換をさせてくれ、それに打ち込める何かです。運動部でも文化部でも活動がハードでしんどいクラブほど、後になって思い出に残るものです。練習や試合で全力が出せた後の達成感・充実感は、きつい練習を実施しそれに耐えた者しか味わうことはできません。つらい練習だからこそ、練習や試合の緊張後の開放感よい。またクラブの仲間との語らいに心が安らぎます。遠征や合宿で同じ釜の飯を食べた仲間なら末永い友達になります。クラブの仲間は学級でのつきあいとは違った側面を持っています。練習や試合を皆で一緒にやり、互いに信頼し、協力し、競い合い、時には衝突し喧嘩しながら影響し合いながら生きて行きます。それがあるからクラブの友達とはずっと深いつきあいができます。

 高等学校になると遠くから通学せざるを得ない人が多くなりますが、距離が遠いことを嘆かないで下さい。その人たちにとっては自転車による学校への行き帰りが息抜きの時間になるでしょう。また身体を鍛えてくれるでしょう。そう思うと長い通学距離も苦にならないはずです。その長い通学距離をものともせず3年間自分の足で通い続けた人はその事実を誇って下さい。それは生涯君の自信になり、辛い事を乗り切る時の力になるでしょう。

 以前工業高校で剣道部の顧問をしていたとき毎年のように四国山中のある高校の夏合宿に参加させてもらっていたことがあります。その約1週間の夏合宿は死ぬほどつらいハードな鍛錬で、その激しさから練習中に昏倒・失神する生徒が毎日続出しました。合宿が終わる前日の掛かり稽古は元立ちに立つ教師も掛かってくる生徒も本当につらく地獄の様相を呈します。それでもその掛かり稽古を終了しつらい合宿をやり遂げたとき、生徒は皆感極まって思わず泣き出してしまいす。思わず不覚にも涙が出てしまうようです。元気な生意気盛りの男の子が泣くのは恥ずかしいのですが、そのときは、とても自然で、さわやかな涙です。
 そして翌日山口県に帰ってくる船の中では、部員は、皆すがすがしく晴れやかな顔をしていました。何かをやり遂げた達成感、充実感、そして満足感に満ちた顔です。この合宿を乗り切ったことが彼らの生涯の財産になるでしょう。この合宿を乗り切るとみんな自信に満ちた剣道をするようになり、つらい練習でも軽々こなせるようになりました。そんな彼らを見ていると来年もまたこれると良いなと思いました。

 こんな常軌を逸した合宿をして何になるのだと言う人がいるかもしれません。課外クラブに限らず、野球応援や文化祭や生徒会活動にしても、こんな事をして何になるのだという人がいます。確かにそうです。さめた見方をすればあほらしい、馬鹿馬鹿しい。しかしその馬鹿馬鹿しいものをやめて他に何をするのですか?勉強するのですか?塾に通うのですか?それをやめて他に血道をあげなければならない事柄はたいして無いものです。勉強することがそうだというかもしれません、確かにそうです。死にものぐるいで勉強すれば、生涯の財産になるでしょう、課外クラブだって野球応援や文化祭や生徒会活動だって君の財産になると思います。

 課外クラブや文化祭や生徒会活動はつらくて面倒な部分もありますが、しんどいからこそ何かを君達に与えてくれるでしょう。それをしなかったら決して得ることのできない何かです。

 

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C.学校での様々な仕事や役割について

 学校での仕事には奉仕の精神が必要な面があります。ボランティア活動は自分の為にします。人の為に奉仕することにより、心の不安を解消し喜びを見つけて心の平静を得るのです。学校での掃除や学級当番もそうだし、様々な係りに伴う仕事もそうです。世の為人の為の仕事は人に生き甲斐を与えてくれる。自分の事しか考えられない人、自分のことしかできない人には生きている喜びや、生活の充実感はなかなか生まれません。

 学校生活が充実していないと思う人は、学校の中で友人の為・クラスの為・学校の為に働いて見てください。他人の為に働くことがいかに自分を充実させてくれるか実感できるでしょう。他のものが掃除をサボっているのに自分だけが掃除をするのは損をしているという発想ではなくて、掃除を一生懸命したらとても素晴らしい生き甲斐がえられるのに、掃除をサボっている人は気の毒にもその事を知らないのだと思ってあげて下さい。事実そうなのですから。落ち込んでいる自分の気持ちを高める最も有効な方法は他人に働きかけ、他人の為・公の為に働いてみることです。そうすれば必ず心の安定と気持ちの高揚が得られるでしょう。人がやらないから自分もやらないでは寂しい。他の人がやろうがやるまいが、俺はやる。その心意気こそ颯爽とした気持ちを生み出します。颯爽と生きたい。

 独りよがりになってはいけませんが、一人でやって差し支えないところは迷わず身体を動かして取りかかりましょう。また皆がやらねばならないこと、皆にやってもらわねばならないことに関しては、自分のやり方を一方的に押しつけてはいけません。皆ができ、皆がやってみようと思える平均的なところを話し合いの中で見つけだし皆の意見を摺り合わせましょう。

 人間は一人一人異なる存在だから、社会を維持するには、価値観に一定の共通部分を作ることが必要です。行きすぎた個人主義は社会の機能を破壊します。社会化した上での個性化でなければなりません。いまや学校以外で社会化を遂げることは不可能に近く、集団の場としての学校の存在価値は、むしろ大きくなっています。たしかに学校には、えこひいきやいじめ、無理解など、さまざまなものがあります。でも、社会とはそんなものです。その中で生きていく力を身につけることが大切です。

 学校へ行かないという子供も増えています。そう言った子供をある程度認めることはできます。豊かな時代ですから、そうして生きていくことも可能です。ただし、社会性を身につけない人たちばかりになれば日本の社会的機能は壊れてしまうでしょう。他人を認めずに自分しか信じられない人たちばかりの社会は味気ない社会になるでしょう。

 

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D.他人を認め、自分を認めること

 最近運動会で徒競走をやめてしまう学校が増えています。それは「優越感は悪」「子供に劣等感を味わわせるな」という意見があるからです。しかし、それは寂しい考え方です。優越感や劣等感というのは非常に大切な感情です。人は色々な事柄に対して様々な尺度の優越感や劣等感を味わうことで自分を周囲の人と比較し、他人の良さや自分の良さを認めていきます。ここで間違えてはならないのは、優越感を表に出して威張るのは浅はかなことです。劣等感にさいなまれて落ち込むのも愚かなことです。

 様々な中学校から進学した生徒が混じっており、互いの人柄・能力が良く把握できていない間は、互いの長所・短所を認め合って協力して一致団結するのはなかなか困難です。まだ自分の能力を過信しており自分自身に甘い所があります。だからなかなか他人の能力を認められないし、自分の能力を発揮できない。そのため、うまく協力できず、ぎくしゃくし、互いに憤ったり、喧嘩したり、粋がったり、落ち込んだりします。そしていろんな行事に参加しきれずに逃避する人もいます。

 しかし、学年が進むにつれて学友の良いところ優れているところ、またいけ好かないところ、今ひとつのところが分かってきます。それとともに自分の長所短所も分かってきます。中にはなかなか分からない人もいますがそれはそれとしましょう。そうなってくると他人の良いところを素直に認め、いけ好かないところには目をつむり、自分の良いところに密かな自信が持てるようになります。そうなると自分の苦手とするところは他の優れた人にまかせ、自分が優れていると思えるところは意見を主張して頑張れるようになります。時と共に君達は学習し成長していきます。

 まだ気付いていない人もいますが、人を褒めることは楽しいことです。相手を認めることは楽しいことです。他人の良さを認めることができる人、それはその人の心を豊かにするでしょう。認められた相手は嬉しくなるし、喜んでいる相手を見ると自分も嬉しくなる。ただこれがなかなかできない。でも発想を変えて相手を認め相手の良いところを誉めましょう。そうすると互いに良い気持ちになり、自分の良いところが素直に出せます。

 自分を表に出して主張するのも実はなかなか楽しいことです。この感覚は分からないかもしれませんが、自分が自信を持っている分野で最初は控えめに、そして少しずつじわりじわりと自分を表現してみてください。きっとその楽しさに気づき病みつきになります。教師には、しゃしゃり出て世の中のことや生徒の行動について一言意見を述べたいとか、抹香臭い訓辞が好きな人が多いですが、それもむべなるかなです。

 学校で一番大切な事は人間関係の調整法を学ぶことです。調整が苦手な人もいますが、重く考えないでください。できる範囲で少しずつやってみればいいと思います。学校は社会での生き方を学ぶところです。たしかに塾やスポーツクラブの様に同好の気のあった者だけで構成される集団は属していて楽しいし、有益かもしれませんが、そういった所には上記の機能は期待できません。
 学校には雑多な人間が集まっています。それが良い。そういった場で他人と比較して自分を知る。比較しないと自分を当たり前だと思い、他人を認められなくなります。自己表現は本能ですが、他人を認めることは学ばなければできません。そういった場でこそ対人関係の調整法を学び、人間性を磨くことが可能です。学校は各自の人格・人柄を磨くところ

 

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E.学校の本当の役割

 いまの子供たちは異質なものを消化する力が弱くなっているようです。異質なものを受け入れ消化するのではなくて排除する行動になってしまいがちです。そうなった原因には、少子化に伴い家庭において自分と違った見方や考え方に接する機会が減っていることもあるでしょう。情報化社会の進展による感情交流の減少もあるでしょう。私の子供の頃は学校から帰ると日が暮れるまで近所の友達と河原や野原で遊びほろけていました。しかし、今日テレビやテレビゲームばかりで過ごす人も多い。また悲しいことですが、進学進学と言って有名大学に合格させることのみを金科玉条にし学校自体に人間を測る尺度の数がへってしまったこともあります。学校では勉強の事ばかり言っているようですが、勉強ができないからといって学校を嫌いにならないで下さい。学校の根本的な本当の機能は君達に勉強させることではなくて君達を社会化させること

 人は様々な気質、能力を持っている。優れているところもあれば、劣っているところもある。また自分の能力の過信から来る様々な思いこみを持っている。教育の本質は、様々な機会を利用して人に、各自の良さや優れているところを知らせてやり、その能力を伸ばし、また能力の限界を悟らせる。そして人がこの世の中で生きていく道を見つけ、就くべき職業との折り合いをつける手助けをする。各自の生き方へソフトランディングさせる。旨く着陸できた人は、それぞれの道で着実に、幸せに生きていけるでしょう。

 各人が面白いと思うこと、熱中できることは、それぞれ異なる。趣味にしても、ゴルフが好きな人も退屈だと思う人もいる。魚釣りが好きな人も退屈だと思う人もいる。私はスキーやジョギングや水泳が好きです。読書も楽しい。でもそれらが趣味にならない人もいる。他人が面白いと思い熱中する事を理解はできても、自分が面白く思い熱中できるかは別のこと。人それぞれであって良い。仕事だってそうです。理系科目が得意な人もいれば、全く苦手な人もいる。これは各人の脳の構造が違うから人それぞれです。自分に一番あった仕事を見つけなければならない。

 何事も、人それぞれなのだから、他人が面白いと思っていることや、他人の仕事を、軽軽(ケイケイ)に批判してはならない。また自分の好みや性癖を卑下することもない。社会的なルールにはずれない範囲であれば、他人の言動に惑わされず、堂々と自己を主張し、自分のやり方を押し進めれば良い。この世の中は様々な性格や、能力を持った人材が必要とされ、色々な人間がいて初めて成り立つのだから。
 世の中には各自の持つ特質が生かされる場が必ずある。大事なことは、何とかしてその場を見つけだし、いかにして参加していくかです。自分で乗り出す必要もあれば親や教師の助言が必要な場合もあります。様々な人間が色々なやり方、考え方を持ちながら、自己を主張し、他人を認めながら生きてこそ豊かな社会です。

 そうは言っても、この世の中は旨くいくことばかりではありません。でも、人は旨く行かない事の中から多くの事を学びます。楽しさばかり望むと、孤独になる。喜びばかり望むと、不幸になる。本当に楽しさを分かち合いたいなら、苦しさも、悲しさも、受け入れる。苦しいことなくして、喜びはない。いいことからいいことは生まれない。喜びも、苦しみも、悲しみも、憤りもふくんだ現実こそが人生なのだから。

  

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F.高校や大学で学ぶということは

 高等学校、大学校、大学院と上の学校に進むにつれて学ぶ内容は難しくなる。そしてその内容を必要とする人、理解できる人、それを利用できる人の割合は減少していく。階梯を進むにつれて、大多数の人にとって理解不能な高度なものになっていく。
 例えば物理学分野で言えば、量子力学や特殊相対性理論を真に理解できる人は、どれほどいるでしょうか。さらに一般相対性理論となるとそれを理解できる人はごく少数の専門家だけです。でもそれでよいのです。この社会で宇宙論・重力理論の専門家はごく少数で十分です。それを必要とする人はほんのわずかです。それならば、その方面はそれに適した頭脳を持った人に任せましょう。

 そう言った意味で高等学校の内容は難しくなります。それが理解できる人もそれを必要とする人も絞り込まれています。それ故中学校と違って学校の授業に全力を注がなければついていけません。塾に通いながら、通信教育の添削を出しながら片手間に消化できるようなものではありません。英語や数学の授業は毎日予習・復習することが前提です。物理の問題演習も。それをしないと落ちこぼれます。毎日の授業をこなそうと思ったら余分な通信添削や塾通いをする暇は無い。それが現実です。

 生徒の多くは中学校と高等学校の学習の違いがわかっていないようです。高等学校の勉強は、自分でします。自分で考えます。中学校では教師から教えてもらうのが当たり前。学校や塾が解くべき問題を与えてくれ、考えるところを示してくれる。それを解説してくれる授業をただ聞いていれば良いと考えている。そして授業さえ受けていれば全てが理解できるのは当たり前と思っていたでしょう。
 しかし高等学校の授業は違います。高校では理解すべき事柄・範囲を説明し論理を一通り展開するだけで時間的に精一杯です。知識を整理し、理解を確実にするのは自分でやります。参考書を読み、問題を解いて自分で考えます。高等学校の勉強は人から教えてもらう時間より、自分で考える時間をたくさん取る。自分でやる勉強時間がどれだけ取れるかが大切です。かけるべき時間をかけないで解らない解らないと嘆いてもしかたがない。理解したかったら自分で努力する。それをしなかったら落ちこぼれる。

 高等学校は義務教育ではないから勉強が嫌いならする必要はない。この社会で全ての人が高学歴を必要とするわけではありません。勉強が嫌いなら別の生き方があります。進路変更した方が賢明です。

 大学の授業は、何を勉強すべきか、そのヒントを与えてくれるだけです。勉強のきっかけを与えて、読むべき専門書のさわりを紹介して、あとは自分で専門書を選び、自分で勉強の計画を立てる。何を学ばねばならないか、自分で模索し探さねばならない。大学で教えられる学問体系を本当に理解しようと思ったら、大学受験の勉強よりも遙かに勉強しなければならない。学問体系を自分の物にしようと思ったら膨大な思考の時間が必要です。自分自身それに気が付いたのは大学を卒業してからで後の祭りでした。

 残念なことに日本の大学では在学中にその点を厳しく悟らせてくれません。しかし、アメリカの一流大学ではちゃんと悟らせてくれるようです。アメリカのマサチューセッツ工科大学(MIT)で学んだ人の学生生活体験記からの抜粋を以下に紹介します。

「・・・・・・・・MITで学ぶのは『消火栓から水を飲もうとするようなものだ』とよく言われます。講義で紹介されるもののほとんどを限られた時間内に理解することは不可能です。講義での教科書の進み具合も速く(各授業において毎週1章くらい)、毎週各授業において問題集(problem set)が出るため、週に1回か2回、徹夜をするのが普通になっています。どれだけの睡眠時間が取れるかを計算しようとすると負の値が出てくることも在りました。実際学校から歩いて20分ほどの学生寮からの通学時間がもったいないと、学校に住み着いてしまう学生もいるほどです。・・・・・・・・・・MITの教育課程は残酷のように思われるかもしれませんが、MITでの研究レベルを維持するためにはそうすることが必要とされるのです。・・・・・・・・・・MITで何を学んだかと質問されるならば『しっかりした基礎知識を学んだこと』と答えるでしょうが、それ以上大切なことは『問題に対する考え方』かもしれません。すなわち、whatよりwhyという考え方です。whatは参考書を探せば見つかりますがwhyは簡単にはわからないことが多いのです。つねに疑問を突き詰めwhyと自分に問うことです。MITの厳しい教育課程(問題集、実験プロジェクト)により学生は問題の解き方を身につけていきます。問題を理解し、鍵はどこにあるのか探し、どう解いたらよいのか考える。ある理論をマスターしたと思っても、問題を解いてみると理解していない点が一目瞭然に明らかになります。そして問題を解いたときの満足感がさらなる努力を可能にします。一つの成功体験が他分野の問題にチャレンジする自信を与えてくれます。・・・・・・・」

 ここでは『消火栓から水を飲むような感じ』『水におぼれてアップアップという感じ』で膨大な知識の体系を学んで行かねばならないと言っていますが、それは本当だと思います。

 しかし、ここまで勉強しても幸せになれるかどうか分かりません。その分野の勉強が好きなら良いですが、技術者や科学者になるための研鑽は、根を詰めて考えねばらなず精神的にかなり辛いものです。それが好きな人には他の何物も犠牲にして良いくらいのめり込めるが、その方面に向いていない人にとっては頭が痛くなり、胃が痛くなるだけですから、やめておいた方がよい。

 

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G.大学受験とは

 小学校、中学校はよく遊ぶべき時期であり、それにより人格の形成がなされる。そこで感受性、対人関係調整、共感能力、自立心、独立心といった、生きるために必須のことが学ばれる。親の庇護の元に育っていく時期であり、子供は親や教師の言動を手本とし、親や教師の言うことを素直に聞く時期でもある。しかしこのとき、親が勉強の事ばかりを強調し、前記の行動よりも知識のブロイラーになることばかりを強要すると、上記の適応能力を発達させる機会を失ってしまう。
 上記の人格形成期をへて、いよいよ勉強しなければならない時期に入る。本来勉強は高校、大学で教えられるべきだ。そのころまでに、一応の人格が形成され、判断力も備わり、自分の生き方の選択もできるようになる。そのレベルに達すれば、多量の情報が押し寄せても、それに飲み込まれることはない。この時期に達すると自我が目覚め自己を主張しだし、親や教師の言うことをあまり聞かなくなる。それも正常な発達段階。それが自立し親や教師の庇護を離れていくこと。親や教師の言うことを聞かないということは、自分のやることに責任を持って、これからは生きる道を自分で見つける。自分の責任の元に物事を判断していかなければならない。

 私は物理の教師をしています。物理については生徒に教える知識の体系を持っています。生徒が欲すればいくらでも教えることができる。教えることで給料をもらっているのだし、教えるのが好きだから教師になったのだから。でも生徒が欲しなければ教えることはできない。欲していないのに、その方面に向いていないのに無理矢理勉強させてもしかたがない。

 このことは部活動についてもいえます。私は剣道部の顧問を20年以上やっています。剣道の事について教えることは沢山ある。でも部に入って汗を流してみようと思う部員がいなければ教えることができない、熱意のある部員でないと続かない。何のスポーツでもホントに何かをつかもうと思ったらきつい練習に耐えなければならない。

 高校生に親や教師が勉強しなさいとか、テレビやゲームにうつつを抜かす時ではない、学校に漫画や、トランプを持ってくるな、携帯電話で遊んでいるときではない、等々言ってみてもしようがない。勉強するもしないも自分のこと。学校で漫画を見るのもトランプ遊びをするのも自分のこと、好きなようにやればよい。しかし泣くも笑うも自分。やがて親や教師の庇護をはなれ、自分で将来を考え、生きる道を見つけなければならない。生計を立てるために職につき、稼ぐ方法を見つけなければならない。全て自分でやらねばならない。
 そのとき親や教師ができるのは、人生の先輩として勉学や生き方について助言できるだけ。それらの助言を取捨選択して実践するのは各自である。

 生徒諸君はやがて進むべき大学や就くべき仕事を決めなければならない。大学受験や就職試験は子供が親元を離れて独り立ちしていく儀式。青雲の志を抱いて郷関(キョウカン)を出て都会に受験に行く。大学受験、就職試験の日こそ君達の成人の日。
 だから進むべき大学や就くべき仕事は自分で決める。親や教師は助言ができるだけ。最後に決めるのは君達自身。選んだ大学や職場が自分に合っていなかったからといって後から泣き言をいわないで下さい。自分で決めたことですから。
 受験には自分一人で行きましょう。友達とつるんでいってもしょうがありません。親に付き添ってもらうというような事はしない方がよい。自分一人で決めて、自分一人で受験に行く。それが親元を離れて、自立するということ。

 都会に出ていくということは確かに意味がある。都会は『都市』とも書きますがまさに才能の市です。才能の目方をはかる市場です。洋服屋に修行に行き二十歳をすぎた頃に一本立ちするこれも才能です。ものを売り買いする才覚も一つの才能。敏感な舌を持ち器用な人だけが優秀なコックになれる。優秀なコックになれる才能を持つ人は希です。何にも無い人、勉強するしか能の無い人は、とりあえず大学の入学試験を受け、大学に入ることで就職先を見つける。
 日本中の子供たちが才能の市場で競争させられています。なかなかしんどいことですが、これこそが現代の青年の『成人式』かもしれません。郷土の先人、僧月性の漢詩

「男児立志出郷関、学若無成不復還、埋骨何期墳墓地、人間到処有青山」

の気概を持ちたい。

 

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H.勉強法

 以上述べたように現実の世界は“勉強の成績という尺度”だけで計りきれない。学力は様々な能力の中のほんの一つです。されど学力は大事な要素ですから、頑張らねばならない。以下にその頑張りどころを書きます。これを参考にして各自の学習法を確立してください。 

1.テレビから解放された生活をしよう

 テレビを見る習慣から解放されましょう。クラブ活動で忙しかったり予習復習の為の勉強時間が足りなかったら、ちゅうちょ無くテレビを見る時間を削ってください。テレビは見なければ見なくても済む。要はいかにしてその習慣を断ち切るかです。テレビを見る習慣に犯されている人はテレビを見ないことを努力するよりも、テレビ無しの生活(それは課外クラブ活動であったり、趣味の習い事であったり、日々の学校の授業を消化するための予習・復習)を作り上げる努力をする。

 

2.勉強の調子がでるまでには1時間くらいかかる

 机に付いてすぐに勉強できると思わない。人間の脳というものは刺激が小さいとなかなか興奮せず、また一旦興奮するとなかなか鎮静化しない。だから机に付く前に脳が持つていた興奮(それはテレビを見ること・レコードを聞くこと・運動すること・友達とお喋りすることによって生じたものかもしれない)をさまさないとだめです。教科書を読んだり、参考書をながめたりといった学習による刺激は上述の刺激に比べてはるかに小さく弱い。その小さな刺激により脳細胞を活性化するにはその時の神経細胞の状態がとても静かで落ち着いていなければならない。ボコボコと沸き立つ状態のところへ小さな刺激を入れてもかき消されてしまう。鏡の様な水面であって初めて小さな撹乱もさざ波となって周囲に広がり、周囲の細胞をその勉強の刺激により興奮させることが出来る。そして一旦興奮するとその興奮が新たな刺激を生み更に興奮していく。こうゆう状態が実現したらしめたものです。ちょうど小さなおきがバチバチと燃えさかる炎になるように、2時間から3時間は最高の状態で勉強できる。そんな状態にするには1時間くらいかかると思わなければならない。

 

3.学習に入るには準備が必要

 勉強が苦手な人は30分ぐらい机に付いていて集中できないとすぐ諦めて他の事を初めてしまう。それでは認識が甘い。項目2で述べたように、30分ぐらいですぐ学習に集中できるはずは無い。やる気がなくても、少なくとも1時間は机に付いて他の事をせずに学習に意識を集中する努力をする。そのとき自分で学習にはいるための儀式を編み出しておく。それは先ず机に付いてスタンドの電気を付けノートと本を広げることに始まり、次に鉛筆を削り、コーヒーを一杯のみ、おもむろに学習に入っていく、といったものでよい。それはちょうど剣道の練習をするとき、最初の座礼をして、柔軟体操をやり、素振りをやり、面手拭を巻き、面と小手を付け、切り返しをやり、その中で体をほぐし、精神を集中し、リズムとバランスと動きを確かめ、本格的な練習に入っていくのと同じ。今大リーグで活躍しているイチローはバッターボックスに入る前に手袋をつけて肘のプロテクターをつけ、素振りをしてストレッチをしてバッターボックスにはいる。いつも判で押したように同じ動作を繰り返す。彼はその動作のなかで自分の集中力を高め精神をリラックスさせている。

 勉強も同じ。運動クラブでその手順が決められているのと同じ様に、それをやれば、すぐに勉強に入れる独自の手順を創っておく。手順に従ってすみやかに勉強モードに入ろう。

 

4.スケジュールを作る

 勉強と言うものは時間がかかる、また効果はかけた時間に比例する。しかし勉強できない人はその事を認識していない。それを知る最も良い方法は問題集を一冊買って来て、例えば三ヶ月で仕上げる計画を立てて実行して見ることである。200頁の問題集なら、一週間に三日そのために時間が取れるとすると三ケ月なら36回使えるので200頁÷36日=約5.6頁/日を二日に一度やることになる。多くの人は200頁ぐらいの問題集など三ヶ月間一生懸命やればやりとげることができると思っている。しかし、これがどんなに大変な量なのか、一度きちんとしたスケジュールを立ててやつてみればよい。おそらく大多数のひとは途中で投げ出すだろう。たった200頁の問題集をやりとげるのでさえそれだけの時間がかかるのだ。そのことは日頃からきちんとしたスケジュールを立てた勉強をしていてこそ知ることができる。

 その事を知った人は時間がかかることを知っているから少しくらい成果が上がらなくても決して焦りはしない。コツコツと努力ができる。その事を知らない人は問題集をやり遂げる見通しが楽観的すぎる。やってみて、できないとすぐ諦め自分は頭が悪いのだ、自分には能力がないのだと思い込み悲観的になる。その人の頭が悪いのではなく時間の見積りが甘過ぎるのです。誰でも1時間でできると思っていた仕事が3時間たっても終らなかったらうんざりしてやる気が無くなる。逆に3時間かかると思っていた事が2時間でできたら嬉しくなる。

 計画を立てるときには目標の実現に関しては冷静沈着に分析して客観的悲観的に!、また将来に関してはあくまで夢を失わず楽観的夢想的であれ!

 

5.学校の授業を大切に

 授業時間に内職をして、授業をおろそかにしている人がいますが、それはとても愚かなことです。そういった人は、『授業の内容は家に帰って自分で考え、自分で勉強したほうが良く解る。だから今は自分がやりたいものをやるほうが良い』と思っている。確かに自分でやると言うのは大事な事だしそれはそれで重要なのだが、能率と言った面からいくと愚かな事です。なぜなら授業のときには回りの皆が、その内容を勉強しており、その事の専門家である教師が、特別に控えていてそのことを詳しく説明してくれる、またその内容は定期考査で再度強制的に勉強しなおし復習をしなければならないテーマです。そのことを学ぶ上でそれ以上ととのった環境はない状況で学んでいるのです。

 だから授業を聞けば1時間で理解できることでも、家で自分一人でやればその倍以上かかる。敢えて繰り返すが、自分で考え自分で学習することはとても大切な事なのだが、授業時間にそれをすることは愚かな事です。授業時間中は全力で教師の言うことを聞きその中身を吸収するとき。そして家に帰ってからその日習ったことを反復吟味し考え直す。つまり家での勉強こそ自分で考える時。そういった学習をしてこそ限られた時間で最大の効果を得ることができる。

 

6.予習、復習は授業を生きたものにする

 能率を考えると、いくら疲れていてもその日にやっておいた方が絶対に有利な学習項目と、そそぎ込まなければ行けない最低学習時間がある。

 英語は予習をして予め疑問を持って授業に臨むのと、そうでないのとは効果の点で大きく違う。それは一度試してみればすぐ解る。例えば明日リーダーの授業があるとき予めその範囲の英文を訳してみる。そうするとおそらく旨く意味が通じない箇所や文法構造が見通せない箇所が沢山あるはずだ。一度でも自分でそこを考えてから次の日の授業に臨めば、先生の講義を注意して聞き疑問箇所の説明が示されたとき“ああ、そうか!”と納得し嬉しくなる。そして印象深く自分の頭に刻み込まれ忘れない。そして試験前に復習するときも自分で考えた事や先生の説明を聞いてハタと解ったことなどが蘇ってきて楽しく復習できる。しかし『予習するのは時間の無駄だ、授業中に先生の解釈を本やノートーに書き込んでおいて試験前に暗記すればいい』と思っている人は、授業を受ける段階で何が解らないのか、何が難かしいのかが明らかになっていないので説明を聞いても聞き逃してしまう。“なるほど納得!”といった感激が無い。また試験前の学習も単なる暗記になってしまい面白くない。だから集中できない。

 つまり英語の場合1時間予習して1時間の授業を受けて獲得できる成果は、予習しないで授業を受けて後から2時間復習したとき得る成果を上まわる。勉強の良くできる人、いつも予習してくる人は、そのことを良く知っている。予習しない人は未だにそのことに気が付かず時間を無駄にしている。

 数学は授業を受けたその日の夜、印象が深いときに、すぐ問題を解いてみてその日に得た知識を試してみることが重要である。問題を解くうちに理解の不十分なところや疑問を発見することが出来る。そうするとその日の内に理論の本質が整理でき、理解をより確実・明快なものにできる。たとえその日のうちに疑問を解決できなかったとしても、その子には何が解らないのかが解っているから、いろんな問題に興味深く接し、似たような問題に出会った時“あっ! あの問題だ”という発見がある。その子にとっては次の数学の授業は自分が問題意識を持っているが故にとても興味深いものに成るであろう。興味を持って授業を聞けることは、その理解に於て計り知れない効果を生み出す。

 このことは模擬試験の後の復習についても言える。模擬試験を受けた後はくたくたに疲れて家に帰っても何もやる気がしない。しかしそこで気力を振り絞って解答をチェックしておかねばならない。模擬試験ではくたくたになるほど集中して問題を考えるから、その問題は深く頭脳に刻み込まれる。そのように刻み込まれた問題の解答をチェックしないということは、なんともったいないことか。模擬テストは最後の解答チェツクが終ってはじめて終了すると思え。

 勉強できる人、いつもその日の復習をしている人はそれらのことを良く知っている。だからいくら疲れていても、きちんとその日の復習をやり問題を解いておく。その人はその時つぎ込む1時間は、後になってつぎ込む2時間或は3時間に匹敵する事を知っている。このことを良く認識していれば英語の予習に1時間、数学の復習に1時間(願わくば物理の問題演習にも1時間)取ることはとても大切な事であり、けして無為には過ごせない時間である。もし種々の事情でどうしてもその時間が取れないと言うのであれば、どこかの時間を削ってでも確保しなければらない。

 勉強の苦手な人はそのことに対する認識が甘い。はっきり認識していればとても無為に過ごせない時間を惜しげもなくだらだらと過ごしてしまう。そのときの1時間は、後でやる勉強の2時間、3時間に匹敵するものなのに!

 

7.疑問追究形の学習をやる

 勉強や仕事は楽しくなければならない。勉強と言うのは疑問の発見とその解決の繰り返しである。疑問を見つけるといってもこれがそう簡単な事ではない。私の経験からいって、かなり努力し時間をそそぎ込まなければ疑問は発見できない。その中で遊び・馴染み・考えなければならない。

 しかし一旦疑問が見えてきだしたらしめたものです。疑問点が明らかになれば、教科書のどの辺りを読みなおせばよいか、どの参考書を調べればよいか、誰に質問すればよいか、何を勉強したらよいか見当がつく。その疑問に導かれて学習してゆける。そして一つでも自分の力で解決できたら、成功の喜びを味わえる。
 この成功体験こそ次の学習のエネルギーとなる。次の喜びを求めて更に学習する。このようにして疑問を解決して得た知識が増えれば増えるほどそれらの知識の連携による相乗効果によって次々と疑問が発見できるようになる。知識が増えるにつれ疑問の中身も高度になってくる。そして解決できたときの成功の喜びも大きくなる。そうすると幾らでも勉強でき、机に付くことがまったく苦になら無くなり考える事が楽しい事になる。

 授業が理解できない生徒の多くは、何が解らないのかが解っていない。また何が解らないのかを明らかにする努力をしていない。漠然とただ解らないでは駄目です。此の問題のこの言葉の意味が解らないから全体が解らないのだ、この式の変形で、ここからここに移る所が解らないから此の問題が解けないのだ、と言ったふうに疑問点を徹底的に突き詰めなければならない。なにが解らないかが解れば疑問の大半は解けたようなものです。

 

8.他人に質問し、他人に教えよう

 奢りやプライドを捨てて他人に質問し、かつまた自分の持っている知識を他人に分け与えよう。教師になって感じる事ですが、「物事を理解するもっとも良い方法は他人に教えてみる事」。自分ではよく理解しいているつもりでも、いざ口に出して説明しようとすると旨く説明できない。理解したと思っても、その論理プロセスはおおざっぱなものであり系統だって整理されておらず、論理の飛躍や交錯がある。とにかく一度頭脳の中から外へprint outしてみると、その不十分な所が良く解るし疑問点が整理される。そして思わぬ新発見がある。

 口に出して説明するという事は、漠然とした概念を人の言葉に置き換えることであり、数式に置き換える事である。脳細胞の中の電気的なインパルスの連なりの漠然とした概念のままで放っておくと、やがて霧散してしまい、知識として残らない。記録に残る形にまで発展させないと駄目です。脳の外にprint outして初めてハッキリと自分が理解した内容が明らかになる。

 同じ事が質問する場合にも言える。分からないところを質問しようとしたら、自分の分からないところを相手に納得させなければならない。説明して納得させようとしても、疑問点が明瞭に整理できていないと旨く言葉にらならいものです。分からないところがあったらまず質問しようと思い立とう。そうすると不思議と眠っていた頭脳が活性化し疑問点整理に意欲が涌いてくる。その活性化した頭で考えると疑問点が明らかになり、結局質問にいかなくても自分で解決法が見つかるものです。

 

9.友達、学校、世間からの刺激を旨く利用しよう

 友達が勉強する姿を見ると焦ってしまうが、逆にそれを自分が発憤する材料にする。学校の教師が勉強しろ勉強しろと言うのはうっとうしいですが、逆にその中から自分の為の刺激をくみ取る。勉強しろ勉強しろと迫ってくる有形無形の刺激は、へたをすると焦る気持ちだけを生みノイローゼーになるのを助長するだけだが、自分の方で、刺激の程度をうまく調整して自分のレベルや能力に合わせて旨く取り入れて行けば、自分に取ってプラスになる。

 親が自分に期待しているのを重荷に感じるのではなく、逆にそれを励みにする。生徒の多くは親が自分の事を心配してくれるのを腹立たしく思い、反抗したりふてくされたりするが、そんな気持ちを持つのはとても損なことです。人の好意は善意に解釈しよう。教師や親の助言を悪意に解釈して“チクショウ、チクショウ”と思うよりも、自分の為を思って言ってくれるのだな“ありがとう”と思うほうが、どれほどその人の為になることか!。勉強ばかりできても人生少しも良いことはありません。ちょっとばかり勉強できても生きていく上では何の足しにもなりません。やはり対人関係の調整能力、共感能力、他人や家族を思いやる能力、ボランティアの精神、自立心、独立心、進取の気質、等々を兼ね備えることこそ一番です。人柄を磨きましょう。ちょっとした考え方の変更で人は幸福になれるし、楽しく生活することができる。回りの出来事がその人に取ってプラスになるのもマイナスになるのも、その人の受け取り方、感じ方ひとつ。

 

10.遊んでしまったことを後悔しない

 勉強の事ばかり言ってきましたが、君たちも普通の人間です。時にはやる気の無いときや遊びたいときもある。だから最後は、勉強できずに遊んでしまったときの事について助言しましょう。勉強しなければならないのに遊んでしまったという事は良くあります。試験直前などに限ってどうでもよい小説に熱中し夢中で読んだりしてしまいます。せっぱ詰まったとき特にそうですね。そんなとき時間を無駄にしてしまったと後悔します。しかし遊んでしまった自分を責めないでください。普通の人間は勉強ばかりの生活はできないものです。だから遊んでしまったことを後悔しない。悔やむより今まで遊んだことで頭の休息ができた、recreation(創造の為の再生‥‥つまり休養ができた)したと考えて寝るまでの残りの時間を勉強してbestを尽くそう。遊んだことを後悔して、明日から頑張ろうという決意だけで、すぐ寝てしまったのでは遊んだことが無駄になる。遊んで頭を休めた事を生かして、もう一踏ん張りする。遊んだ後は意外と勉強できるものです。

 勉強は知力よりも体力、精神力です。普段から体を動かして何かをやっていないと、学習のようにじっと机に座って思考を巡らすことばかりでは肩が凝るし気が滅入るし胃が悪くなる。大いに運動して気晴らしをしてリラクゼーション(relaxation)レクリエーション(recreation)しましょう。それらで失ってしまった時間を悔やむよりも、残りの短い時間に如何に集中するかを考えましょう。

 

11.自分の精神をコントロールすること

 上記9.や10.のような思考法に自分を切り替える事ができますか。その切り替えこそが自分の精神をコントロールするということです。人生において何が楽しいかといって自分の気持ちや物事に対する見方や考え方を自由自在にコントロールする楽しさに勝るものはありません。自分の精神を自在にコントロールして、気持ちを高めたり鎮めたり、内省的になったり開放的になったり、また寂しさや悲しさを感じたり、楽しさや幸福感に浸れるようにする。こうなるとまさに山奥の禅寺の修行僧ですね。学校は人生の修行道場だと思います。

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